« ああ 「やらせメール」 | トップページ | ワイシャツ代と株価との関係? »

2011年7月18日 (月)

相殺してはいけないこと

 先の大戦の詳しい経過、細かな内容について承知していない。限られた知識については、小説の中で史実として語られている部分や思想史や文学史を学ぶ際に、その範囲から得たものである。

 戦争に関する私自身の興味は主に次の二点にある。一つはなぜ開戦を避けることができなかったか。二つ目はなぜにもっと早く終戦を迎えることができなかったかである。前提は、戦争は多くの災禍災厄をもたらし、何一つ益はなかったという認識にある。私は歴史の研究者ではないので、自分の学習の目的はあくまで個人的な「知りたい」という欲求の充足であり、誰からの期待でもなく、強制でもない。

 ここでは、先に上げた二つの興味からは外れた話題になる。日本軍が敵軍の捕虜をどう扱ったか、また日本の兵士が敵軍から捕虜としてどう扱われたかに関わる問題である。しかし、その詳しい内容を明らかにしようというのではない。日本軍の捕虜に対する扱いは、国際法に照らして不適切であったと言われている。見方はいろいろあるだろう。人権への認識が弱く、そもそも自国の兵隊をも人間扱いしない軍隊が他国の兵士にフレンドリーに接することができたのかという疑問もあろう。また、国際法が、近代の戦争が多くの国の参加を前提としており、だからこそ捕虜の扱いもフェアにしておく必要があったという背景を、先進国の仲間として承認する余裕もなかったという解釈もできよう。

 では日本軍の捕虜はどう扱われたか。個別の事実としては一様ではなかろうが、全体としてはルールに基づいて、対応されていたようだ。実体験をもとにした戦記ものの小説にも、米軍に優しくされて戦意を喪失していく様が描かれている。これは普段優しくされるのに慣れていなかったことの反動かもしれない。
 (しかし、米軍は捕虜に対してそうであったかもしれないが、彼らの戦いそのものは、戦争だから当たり前なのだが、フレンドリーであるはずはなかった。南洋諸島や沖縄戦で大量の砲撃を加えたり、火炎放射機で地下壕に潜む兵士を焼き殺したり、B29で本土に大空襲を仕掛けたり、最後は原爆を落としたり。見えない敵への攻撃は激烈を極めたのである。殺戮を企てておいて、その生き残りには優しくするというのは、まさに偽善ではなかろうか。)

 さて一方では、戦後のシベリア抑留という問題もあった。これは帰還した人から直接聞いたこともあるし、本で読み知ったこともある。多くは、敗軍の兵士らしく戦勝国への批判は抑えがちであるが、その苦難は大変なものであった。

 ここで言いたいのはややこしい話ではない。「日本軍が行った行為への反省は大いにある。反面日本軍や日本国民の舐めた辛酸も相当なものがある。やったことは大きいが、やられたこともあるから、差し引き相殺勘定すると、われわれの罪は思っているほどひどくはないのだ。」このような考え方をしてはいけないというのが私の主張である。

 こういうものは相殺してはいけない。個々に事実を明らかにして、それぞれに判決を下すべきである。歴史は大雑把に見ない方がよい。

« ああ 「やらせメール」 | トップページ | ワイシャツ代と株価との関係? »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ああ 「やらせメール」 | トップページ | ワイシャツ代と株価との関係? »