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2011年6月29日 (水)

「ヒロシマ」と「東北」

 今まで読んでいなかったのが不思議なくらいの名作である井伏鱒二の「黒い雨」を読んでいる最中である。

 「ピカドン」による被害の状況が生々しく表現されている。原爆資料館を見学した経験はあるが、随分昔のことなので詳細を覚えていないこともあり、この小説に書かれている内容が実にリアルに伝わってくる。

 熱線による火傷の被害に、風圧による怪我と建物の倒壊や火災による被害などを加えて大量の死者を出した。衣服が吹き飛ばされたり、焼け焦げたりしてほとんど裸体に近い姿で逃げまどう人々。熱さや渇きのために水に飛び込み、そのまま亡くなる人。親子や夫婦で重なるように黒こげの状態で横たわる死体。あまりに死者が多く、また役所も消失している状況では死亡届も出せず、腐乱を防ぐために川原で焼いている様子が書かれている。主人公は、お寺で経の上げ方を教わり、簡易な葬儀で僧侶の役を任されることになる。

 死者の多さや身元の確認と火葬の困難さなどは、東北の地震後の様子とよく似ている。広島の地獄絵と共通する部分が東北にあったのだろうと思う。しかし原発事故は人災の面が強いにしても地震と津波は天災の要素が強く、同列視はできない。
 とはいえ、原因がなんであろうと、一人ひとりの人間には如何ともしがたい現実があり、うろたえるしかない状況がある。

 原爆は戦争末期の出来事であり、行政も十分に機能しなかった事情も推測されるが、それと比べたら現在は、やろうとすればすぐにでもできることがたくさんあるだろう。この点は声を大にして訴えなければならない。

 ああ、どうしてこんな目に合わなければならないのか!

 被害者、被災者の嘆きは深いが、神や仏でもそれを受け止めることはできない。事態は極めて現実的である。

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