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2011年6月21日 (火)

いやなことを避けて生きるか

 いやなことを避けて生きると、ろくな結果を招かない。これは本人にとっての悲劇であると同時に、場合によっては社会にとっての損失を生むことがある。とはいえ、困難に対して、臆することなく挑戦的に生きることは難しい。多くの場合、易きに流れがちである。

 小さなことを取り上げれば、こんなことは日常茶飯事である。たとえば、今日中に読んでおこうと思っていた資料を、遅くなったから明日に先延ばししてしまう。こういうことでも、一度なら大した影響はないが、繰り返しあり、また他のことでも常にそういう態度であるならば、その人の仕事の成果に大きく影響するに違いない。

 人生の中で、突破すべき目標があり、そのためには普段の何倍ものエネルギーを要する時、その試練を避けずに立ち向かうことができるだろうか。そこでは成功と引き換えに多くの犠牲を強いられる。試験の合格が目的ならば、少なくとも標準的な時間は机に向わなければならない。遊びに行かない、テレビは見ない、睡眠時間を削る。そして、競争がある以上、気持ちが揺らいで自分への要求を引き下げてしまった人は、目的を達しないのである。夢をたびたび口にしながら、いっこうに叶えられない人がいるが、その人には「代償」が必要なことが分かっていないのだろう。何の努力もなしに夢が現実のものとなるのなら苦労はしない。

 目標に対する強い執着があれば、多少の試練は苦も無く跳ね返すことができるだろう。軽々しく日替わりでああなりたい、こうなりたいと言っている人間は、実は何にもなりたくないし、何もしたくないのである。本当の夢や目標は心に秘めたるものであり、人前で口にしたときにはすでに覚悟が決まっているものなのである。

 ただ、ひとつ分からないことがある。かの、強い執着は如何にして生まれるのであるか。つまり動機である。世間からの称賛がほしいのか、具体的な人物への競争心か、純粋な向上心か、欲望にかられてのことか、社会への奉仕的精神か、などなどありうるが、単純に一つのことでもなさそうだ。ただし、漠然と衝動に駆られているよりも、自分はこのために頑張るのだと、言葉にして自覚する方がよい。その方が気持ちを整理でき、志を持続することができる。とはいえ、目標をクリアしたあとには、その動機は失せてしまうこともある。自分のために必死に頑張って手に入れた地位を、人のために使おうと考えを改めることがある。もちろんその逆もある。社会のために使おうと思っていた地位を、ただひたすら自分のために使ってしまう浅はかな人生も大いにありうるのである。

 困難から逃げるな。現実に立ち向かえ。

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