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2011年6月12日 (日)

危機感がないと馬鹿になる

  野生動物が家畜化すると脳の大きさが次第に小さくなっていく。厳しい自然環境や天敵から遠ざかり、変化に対して身を守るために感覚を研ぎ澄ませる必要がなくなると、複雑な脳も必要でなくなる。

 人間にとって、快適な空間で生きることは望ましいことであり、社会の発展にともなって徐々に実現してきた。しかし、お金さえ払えば何もかも手に入るようになると、生活の知恵というものがなくなる。ストーブもエアコンもない時代であれば、暖をとったり涼をとったりするために様々な工夫があった。炭をおこしたり、打ち水をしたり、簾をかけたりした。

 わざわざ文明の利器を投げ捨てる必要はないが、一定その使用を控え、設定した水準の範囲内でストイックに暮らしてみる試みもあってよかろう。そうなると行動の仕方が今までとは変わり、そこに新たな思考も生まれる。これからの季節であれば、朝顔の花を楽しみ、そうめんを食し、読書のあとには昼寝をし、浴衣を着て散歩する。これは私の願望の表れであろうが、テレビやパソコンに時間をかけているよりはずっと心豊かな暮らしではなかろうか。

 組織が硬直化すると、馬鹿な人間ほど偉くなる。慣例や規則に従い、決まったことを決まった範囲でやっていると評価される。しかし環境の変化が著しくなると、馬鹿ばかりでは組織がもたない。組織自体に変化を起こし、その変化に対応できる人間が偉くなるルールと風土を持ち込むことが不可欠だ。

 政治家に馬鹿が多いのはなぜだろうか。政治の世界が、いまだ古典的な党利党略の世界だからである。変えられるのは、有権者だけである。ある観光ホテルのマネジャーが、観光バスを見ると札束に見えると冗談を言ったが、政治家は大人を見ると票に見えるに違いない。

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