« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月の投稿

2011年6月30日 (木)

久和ひとみと江川紹子

Wikipediaより

久和 ひとみ(くわ ひとみ、1960年9月25日 - 2001年3月1日)は、日本のニュースキャスター。趣味、特技はクラシック音楽、相撲観戦。夫はテレビ朝日ディレクターの小林雄高。 東京都武蔵野市出身。東京都立国立高等学校卒業後、一浪し東京大学を志すも失敗。1980年、早稲田大学政治経済学部政治学科入学。

江川 紹子(えがわ しょうこ、1958年8月4日 - )は、日本のジャーナリスト、獨協大学経済学部経済学科特任教授。 東京都杉並区生まれ。千葉県立船橋高等学校普通科、早稲田大学政治経済学部卒業後、1982年から1987年まで神奈川新聞社で社会部記者として警察取材や連載企画などを担当。29歳で退社しフリーライターとなる。

 同時期に同じ学部を卒業した二人の女性である。二人の活躍は注目していたが、久和さんは残念なことに2001年に40歳の若さでこの世を去った。

 学年で言えば、久和さんは一つ下であり、江川さんは一つ上である。年齢では、久和さんは二つ下で、江川さんは同い年になる。

 久和さんは主に報道番組に出演しており、たびたび顔を見ることができた。サークルのOB会の時に、同じ学年の女性が「久和さん、頑張っているね。」と言っていたのを思い出す。35歳になってアメリカに留学し、その甲斐あってか帰国後あるニュース番組のメインキャスターに抜擢された。これからが活躍の時期だったのに、癌で急逝された。

 江川さんは、よく知られているように、有田芳生とともにオウム事件で顔を売った。地下鉄サリン事件の後は、顔を見ない日がないほどテレビに出まくっていた。印象としては、悪く言えば少し暗い感じであるが、発言は細部まで覚えていないが比較的まっとうなことを言っていた記憶がある。最近ではごくたまにコメンテイターとして出演しているのを見かける。去年だったかTBSのサンデーモーニングで、張本勲の「喝」に疑問を感じ「エーッ」と声を発したことに立腹され、番組を下されるという事件があった。

 この二人の接点はないかとネットで調べてみたら、両者ともに内田満教授のゼミ生だった。2学年違うからゼミで同席することはなかっただろう。ちなみに年代が違うが、寺島実郎氏も内田ゼミ出身である。私は滅多に講義に出なかったが、内田教授の話は何度か聞いた記憶がある。江川さんと内田満とはあまり相性がいいようには思えないが、ゼミ選びには特に関係がないのかもしれない。

 

2011年6月29日 (水)

「ヒロシマ」と「東北」

 今まで読んでいなかったのが不思議なくらいの名作である井伏鱒二の「黒い雨」を読んでいる最中である。

 「ピカドン」による被害の状況が生々しく表現されている。原爆資料館を見学した経験はあるが、随分昔のことなので詳細を覚えていないこともあり、この小説に書かれている内容が実にリアルに伝わってくる。

 熱線による火傷の被害に、風圧による怪我と建物の倒壊や火災による被害などを加えて大量の死者を出した。衣服が吹き飛ばされたり、焼け焦げたりしてほとんど裸体に近い姿で逃げまどう人々。熱さや渇きのために水に飛び込み、そのまま亡くなる人。親子や夫婦で重なるように黒こげの状態で横たわる死体。あまりに死者が多く、また役所も消失している状況では死亡届も出せず、腐乱を防ぐために川原で焼いている様子が書かれている。主人公は、お寺で経の上げ方を教わり、簡易な葬儀で僧侶の役を任されることになる。

 死者の多さや身元の確認と火葬の困難さなどは、東北の地震後の様子とよく似ている。広島の地獄絵と共通する部分が東北にあったのだろうと思う。しかし原発事故は人災の面が強いにしても地震と津波は天災の要素が強く、同列視はできない。
 とはいえ、原因がなんであろうと、一人ひとりの人間には如何ともしがたい現実があり、うろたえるしかない状況がある。

 原爆は戦争末期の出来事であり、行政も十分に機能しなかった事情も推測されるが、それと比べたら現在は、やろうとすればすぐにでもできることがたくさんあるだろう。この点は声を大にして訴えなければならない。

 ああ、どうしてこんな目に合わなければならないのか!

 被害者、被災者の嘆きは深いが、神や仏でもそれを受け止めることはできない。事態は極めて現実的である。

2011年6月28日 (火)

夏本番か

 24日には熊谷で39.8度の気温を記録し、6月の最高気温の記録を塗り替えた。この時期になると熊谷の地名がたびたび聞かれるようになる。暑いことですっかり有名になってしまった。かつてここに私の勤務する会社が営業所を置いていた時期があり、当時から暑いところだと聞いていた。

 24日は大阪でも33度になった。この日は健康診断の日で、バリウムを飲み検診車の中で体を回転させていたから汗をかいた。バリウムは昔に比べ飲みやすくなったが、発泡剤を飲み込むのはつらい。今回は吐き出してしまい、2回飲むことになった。下剤を2錠もらい、すぐに服用したら、今回は効き目がよかった。下剤の入った袋には「下剤をもらった方へ」というタイトルの注意書きがある。このタイトルが、去年もそうだったが、「下痢をもらした方へ」に見えてしまう。あとに発生する事態の先行イメージがそうさせるのだろうか。

 日曜日には発達した入道雲を見た。梅雨入りが早かった分、季節が一カ月早く回っているような気がする。同様に秋もひと月早く訪れたらよいのだが、それはないように思う。
 昔なら子どもを連れてプールへ行き、自分もそれなりに涼をとったのだが、今や子どもはそんな年齢ではなくなり、こちらもわざわざ暑苦しい場所へ足を運ぶことはしなくなった。ただひたすらじっとして汗をかくのを抑えている。せいぜい数度、高校野球の試合を見に行くのが、思い切った行動だ。

 今回の夏は電力不足が心配される。当家には、もともとエアコンを極力使わない習慣があるが、さらに意識したいと思う。職場では室温が28度を超えるとエアコンを動かせるが、そのルールも見直すべきだろう。私は低血圧で、比較的暑さを感じにくい体質だからかもしれないが、暑い暑いを連呼する社員には辛抱できないものかと思ってしまう。

 少しひんやりするぐらいの気候が一番いい。

夏空のジェット

Jal03

2011年6月27日 (月)

寄本勝美先生が亡くなられていた

 インターネットで寄本ゼミ出身者である乙武洋匡を検索していたら、寄本先生が亡くなったとの一文が目にとまった。全く意外であった。今年退官してすぐのことであり、ましてや70歳の若さだから考えもしないことである。

 寄本先生は和歌山の田辺市出身ということもあって親しみのある先生だった。郷里には車で帰ると聞いたことがあったので、さぞかし時間がかかるだろうと思っていた。ゼミには、現在早稲田大学大学院公共経営研究科の教授である小原隆治氏の紹介で入った。先生とは何度か話をさせていただいたが、記憶に鮮やかなのは「民主主義は疲れるよ。」の一言だった。その当時、どこの自治体だったか、市民参加の委員会が持たれていて、そこにアドバイザ―として行っておられた。そこで、おそらく議論がまとまらず、期待した成果が得られなかったのであろう。夜遅くまで付き合わされて疲れている様子だった。自分には直接益にならないことでも信念に基づいて頑張っておられた。おそらく急死されたのも、そういう長年の無理がたたったに違いない。

 私の卒論を読み、突飛なことが書いてあったので笑われていたことも思い出す。卒業してからお会いしたのは一度だけだったと思う。先ほど名前を出させていただいた小原教授の結婚式の時だった。この時も、元気かねと笑顔で言っていただいた。

 すでに3カ月も経ってしまったが、ご冥福をお祈りしたい。

weblog死亡欄より

寄本勝美氏

早稲田大学教授の寄本勝美氏、東京都東村山市の自宅で3月28日死去。70歳。

1940年和歌山県田辺市生まれ。64年早稲田大学政治経済学部自治行政学科を卒業。70年同大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。
78年早稲田大学政治経済学部教授となる。94年京都大学で博士号取得。11年早稲田大学を退職。地方自治が専門で、都市行政、住民参加、ごみ問題などを研究。日本地方自治学会理事長や廃棄物学会(現廃棄物資源循環学会)会長などを歴任した。

2011年6月26日 (日)

二種類の猿 NHKスペシャルを見ながら考えた

 9時前のローカルニュースで、和歌山県の串本町で猿を駆除していた猟友会のメンバーが間違えて人を射殺してしまったというニュースを流していた。毎年この時期になると猿の駆除が行われるらしい。私の郷里はこの串本に近いが確かに猿が人里近くに現れる現象が目立っており、人間の厄介者になっている。

 このニュースに続くNHKスペシャルで日本に生息する動物の多様性が紹介されていた。そのなかに上高地に住むニホンザルがあった。福山雅治が現地を取材しており、子猿を見てかわいいと発していた。日本の猿は雪の中でも繁殖をし、温泉につかって体を温めたり、冬場の川で岩の裏に隠れる昆虫を食べてたんぱく質を摂取したりと、他の地域では見られない行動を見せている。こういう生態が世界の研究者の注目を集めているらしい。

 駆除される猿と研究上あるいは取材の上で大事にされる猿とは同じ種類の猿なのに、どうしてこうも扱いが違うのだろうか。

三宅宏美選手全日本選手権4連覇

 「三宅」の娘ということもあり、人気薄のウエイトリフティング競技にあって注目度ナンバーワンの三宅宏美選手が全日本選手権53kg級で4連覇を成し遂げた。おまけに、記録はスナッチ90kg、ジャーク117kgでともに日本新。トータルも加えてすべて日本新での圧勝である。

 この記録を男子56kg級と比べると相対的な強さが分かる。

三宅宏美 体重50.44kg スナッチ90kg、ジャーク117kg
山田正晴 体重55.74kg スナッチ100kg、ジャーク140kg

 スナッチは体重の差でしかないと考えられ、性差が出ていない。三宅選手は世界でも戦える可能性がある。逆に言えば、男子は世界では全く歯が立たない。ちなみに56kg級の世界記録はトータルで300kgである。(これは日本の62kg級記録と同じ)

 三宅選手は53kgのリミットまでまだあまりがある。これをどう考えるのか。無意味に増やしてもスピードが落ちるだけである。48kgに落とすのは苦しい。競技を続けながら自然に増えるのを待つのがいいだろう。

 美人選手として注目される八木かなえ選手はこの大会に出ていない。まだ大学1年生で、素質十分だから三宅選手を脅かす存在になるだろう。

2011年6月25日 (土)

閏二月二九日 中野重治

 1936年2月29日に書かれた中野重治の評論である。二・二六事件の直後にあたる。

 当時は北アジアに対する侵攻が企てられ、国内では右翼勢力によるテロが繰り返される過程で軍部がより力を増していた。政治的直接行動に対する禁止は共産党は言うに及ばず範囲がより拡大され、言論活動についても統制が強化されていた。

 そんななかで、進行している現実に対し、論理的、理性的な批評を加えることは著しく困難であった。しかし、中野らはぎりぎりのところで踏ん張っていた。「日本の文学世界は混沌としているように見えるけれども、それを貫く社会的論理の糸は途絶えていない。見失われることはあろうが、カオスのなかからも糸口は拾い上げられるのだ。そして社会生活の論理の糸は文学批評の論理の糸を一層弾力あるものとしずにはいないと思う。」と書いた。

 中野は小林秀雄と横光利一を批判する。彼らは、小説と批評の世界で論理的なものをこき下ろそうとしており、それはたまたまそうなったのではなく、反論理であることを仕事の根本としているというのである。中野が言いたい結論はこのことに尽きる。
 横光はこう書いている。「新しい時代の土俵は、論理の立ち得るような安穏な所にはなくなって来たのである。新聞や雑誌に満ちている問題の、どこ一つを取り上げて考えてみても、論理の立たぬ箇所ばかりだ。元来問題というもので、論理の立つ所に立った問題は、昔から問題にならぬ。」

 論理の立たないところはない。中野と同様に私もそう思う。論理を立てることを妨げているのは権力による外的圧力であって、そのことを認識せず(認識すること自体はさほど困難なことではなかったろう。)昔からそうだったのだと一般化してしまうことは、権力への迎合・加担以外の何物でもなかった。

 「あらゆる問題は論理の立ち得る『危険な箇所に』立っているのだ。反論理主義者はそれを避けたいとあせっている。」(中野)

 論理は立ち得るが、それは常に危険を伴う。それを敢えてするのが文学者の立場であるにも関わらず、小林や横光はその立場から逃げ回っているだけなのである。政治的な見解がいかなるものかを問う前に、文学者であることの自覚が先んずる。土俵を自分で作り、そこで勝手に一人相撲を取っているかぎり負けることはない。そういう姿勢を中野は許さなかった。中野はあくまで文学にこだわった人である。その土俵を政治に譲ることはなかった。

大正4年 1915 対華二十一箇条要求
大正5年 1916
大正6年 1917 石井・ランシング協定、ロシア10月革命
大正7年 1918 シベリア出兵、米騒動
大正8年 1919 パリ講和会議、三・一事件(朝鮮)、五・四運動(中国)、ヴェルサイユ条約
大正9年 1920 国際連盟(常任理事国)、普選要求大デモ行進
大正10年 1921 原敬首相暗殺
大正11年 1922 ワシントン海軍軍縮条約締結、日本共産党非合法結成、ソ連成立
大正12年 1923 関東大震災、甘粕事件(大杉栄ら扼殺
大正13年 1924 右翼団体国本社(平沼騏一郎)、護憲三派内閣
大正14年 1925 治安維持法、普選法
大正15年
昭和元年
1926 万歳デモ(朝鮮)
昭和2年 1927 昭和金融恐慌、第1次山東出兵、芥川自殺
昭和3年 1928 普通選挙、3・15大検挙、第2次山東出兵、特高設置
昭和4年 1929 4・16大検挙、ニューヨークで株価暴落、金解禁(井上準之助)
昭和5年 1930 ロンドン海軍軍縮条約、4月共産党大検挙、浜口首相狙撃
昭和6年 1931 三月事件、十月事件(桜会クーデター未遂)、満州事変、金輸出再禁止(浜口)
昭和7年 1932 上海事変、井上準之助射殺、団琢磨射殺、満州国創立五・一五事件犬養首相射殺
昭和8年 1933 国際連盟脱退関東軍華北に侵入
昭和9年 1934 ワシントン海軍軍縮条約廃棄通告
昭和10年 1935 国体明徴決議、相沢事件(永田鉄山惨殺)、高橋蔵相軍部の予算復活要求退ける
昭和11年 1936 二・二六事件、日独防共協定

2011年6月24日 (金)

女性にもてるということ

 女性にもてる男とそうでない男がいる。できれば、もてる男になりたい。誤解しないでほしいが、多くの女性とつき合って浮名を流したいと思っているのではない。もてる男と言っても、たくさんの女性とデートしているという意味ではなく、多くの女性から好かれることを言っている。

 女性との付き合いから学ぶことは多い。付き合いといっても、「交際」だけを意味しているのではない。それ以外の交友関係の占める割合がはるかに多い。女性に対して気を使ったり、優しくしたりすることで、男も含めて人に対する気づかいを学ぶことができるように思う。女性に対してと同じぐらい、男性にも優しい人が実際にいる。そういう人は優秀な経営者であったりする。多くの人を好きになると、多くの人から好いてもらえるのである。これは古今東西にあてはまる真理ではないだろうか。なにかにつけ人の批判をしている人は、必ず周囲から嫌われている。

 女性も人間だから、あまり区別しすぎてはいけないが、男性とは違った観点を持ってることも事実だ。しかし、それは対話をしてみないと知ることができない。女性だと特に意識して声をかけにくい性格の人も多いと思うが、それは実際損をしている。コミュニケーションの糸口をたくさん持っていることは、成功への条件であり、豊かな人生への大きな助けになると思う。

 男も女も嫉妬深い。もてる男はうらやましいが、なんだあいつは節操がない、などとと思ってしまう。本音は自分もそうなりたいのである。どんどん声をかけて会話を作ることだ。ただし、男性とのコミュニケーションも忘れずに。なかに、女性への態度と男性への態度とが全く違う人物がいる。これはいかがなものか。こういう人は敵が多い。

 

2011年6月23日 (木)

人間の評価は自分では決められない

 自分が幸福かどうかは自分が決める以外にない。ここに直接他人が介在することはできない。ひとからあなたは幸福だと言われても、自分でそう思えなければなんの価値もない。

 反面、その人間の評価は、他人が決めるものである。自分でいくら偉いと思っても、そのことはその人物の客観的な価値を高めない。逆に、そう思っていることが周囲に知れると価値を下げることになる。自分を実際以上に高く評価する人間は、周りから嫌われる。少し低めに見ておくと、大概の場合好感を持たれる。

 人目を気にして生きろと言っているのではない。短絡的に考えてはいけない。瞬間瞬間の他人の反応を見るほど神経質になってはいけないのだが、日常的な評価については自分の行動のコントロールや弱点の克服のための学習に活かすべきである。日常的な評価とは、たとえば、判断が自分中心ではないかとか、発言が論理性に欠けて分かりにくいとか、ひとのアドバイスを受け入れないとか、そういった類のものである。

 人間とは、自分が考えているところのものであるという言い方があるが、一方では、人間は周囲の人間が思っているところのものであるという言い方もできると思っている。謙虚にひとの言うことを聞けば、それ自体が評価を上げるし、聞くことで成長の機会ともなりうる。一石二鳥であって、何の不利益もない。言うことが人によって違うだろうから、何でも聞いていると混乱するのではないかと心配するかもしれないが、それは自分の頭の中で自ずと整理されるし、人の言う中身に大きな違いはないのである。よほど突飛に思われる意見だけは捨てるとよい。

 おごることなかれ。

 

2011年6月22日 (水)

ザ・リッツ・カールトン大阪

 仕事で利用した。私生活では、このような高級ホテルに縁がなかった。数週間前に、事前の打ち合わせで初めて館内に入ったのだが、まず入ったとたんにいい香りがしてくる。安物の人工的な香料では味わえない、自然で心地よい匂いである。次に、落ち着いた調度品類と美術品。英国貴族の館という雰囲気だ。照明は控えめで、これも落ち着いた雰囲気作りを演出している。館内はかなり入り組んでいて、慣れないと移動が難しい。もちろん案内に聞けばわかるのだが、これも慣れない人間には煩わしい。安い施設ほど、安い店ほどセルフサービス化しているので、手厚いサービスに不慣れであり、何かをしてもらうことに窮屈な感じを持ってしまう。

 仕事のあとで、お茶を飲んだ。コーヒーが1350円で、サービス料が13%つく。1500円ほどだ。私のような貧乏人は、値段だけ聞くと、これで牛丼が5杯食べられるなどと思ってしまうが、実際その場を経験すると、落ち着いた雰囲気で、大声でしゃべる人もおらず、創造的な会話を楽しむには格好の場である。世間話や悩みごとの相談は向かない。こういう空間は生活の場に確保することが難しい。どんなに金持ちで、どんなに立派な豪邸を建てても、こういう空間は作れない。

 たまにはこういう場所に来るのもいいなと思った。コーヒー1500円といえども、プロ野球を見るよりもずっと安いし、映画の料金並みだ。一本の洋画を観たつもりになれば、安いものである。

2011年6月21日 (火)

いやなことを避けて生きるか

 いやなことを避けて生きると、ろくな結果を招かない。これは本人にとっての悲劇であると同時に、場合によっては社会にとっての損失を生むことがある。とはいえ、困難に対して、臆することなく挑戦的に生きることは難しい。多くの場合、易きに流れがちである。

 小さなことを取り上げれば、こんなことは日常茶飯事である。たとえば、今日中に読んでおこうと思っていた資料を、遅くなったから明日に先延ばししてしまう。こういうことでも、一度なら大した影響はないが、繰り返しあり、また他のことでも常にそういう態度であるならば、その人の仕事の成果に大きく影響するに違いない。

 人生の中で、突破すべき目標があり、そのためには普段の何倍ものエネルギーを要する時、その試練を避けずに立ち向かうことができるだろうか。そこでは成功と引き換えに多くの犠牲を強いられる。試験の合格が目的ならば、少なくとも標準的な時間は机に向わなければならない。遊びに行かない、テレビは見ない、睡眠時間を削る。そして、競争がある以上、気持ちが揺らいで自分への要求を引き下げてしまった人は、目的を達しないのである。夢をたびたび口にしながら、いっこうに叶えられない人がいるが、その人には「代償」が必要なことが分かっていないのだろう。何の努力もなしに夢が現実のものとなるのなら苦労はしない。

 目標に対する強い執着があれば、多少の試練は苦も無く跳ね返すことができるだろう。軽々しく日替わりでああなりたい、こうなりたいと言っている人間は、実は何にもなりたくないし、何もしたくないのである。本当の夢や目標は心に秘めたるものであり、人前で口にしたときにはすでに覚悟が決まっているものなのである。

 ただ、ひとつ分からないことがある。かの、強い執着は如何にして生まれるのであるか。つまり動機である。世間からの称賛がほしいのか、具体的な人物への競争心か、純粋な向上心か、欲望にかられてのことか、社会への奉仕的精神か、などなどありうるが、単純に一つのことでもなさそうだ。ただし、漠然と衝動に駆られているよりも、自分はこのために頑張るのだと、言葉にして自覚する方がよい。その方が気持ちを整理でき、志を持続することができる。とはいえ、目標をクリアしたあとには、その動機は失せてしまうこともある。自分のために必死に頑張って手に入れた地位を、人のために使おうと考えを改めることがある。もちろんその逆もある。社会のために使おうと思っていた地位を、ただひたすら自分のために使ってしまう浅はかな人生も大いにありうるのである。

 困難から逃げるな。現実に立ち向かえ。

2011年6月20日 (月)

行動の変革と目標設定について(2011.06.17全社会議)

 先週末に、勤務する会社で全社会議(方針発表会)を開いた。会の構成やスケジュールは、基本はこれまでの例に従ったが、細かな部分は私が案を作った。

 詳細をここに記すことはできないが、全体の評価としては、非常に中身のあるいい会になったと思う。経営トップからも好評であった。ポイントは、場の雰囲気を絞め、方針に向かって社員の気持ちを高める、前向きで迫力のある発言である。招待したY社I社長の話は話術として最高級のものであったし、熱い思いが伝わった。工場のYさんの業務改革についての発表は、現場での改善活動を生き生きとして伝え、活動のなかで人が育っていく様子が見て取れた。壇上で堂々と大きな声で発表し、さらに大事な部分ではアクセントを効かせていた。漫然と話すのではなく、明らかに狙いを持った内容であった。

 ところで今回の会のキーワードは「行動を変える」である。風土改革においては意識と行動の変化を求めているが、「行動」にウエイトがある。意識の変化は行動の端緒にはなるが、意識が具体的な成果を生むのではない。行動が客観的世界を変革するのであり、行動の繰り返しが高次元の意識の定着化を確実にするのである。

 そして、行動の変革を誘発するのは、高い目標である。会のなかで私は言った。「背伸びをして届く目標ではなく、飛び上がらないと届かない目標を持ちたい。」と。飛び上がるということは、これまでとは違った次元に自分を置くということである。そういう状況でこそ、違った発想が生まれる。

 厳しい環境だが、その厳しさに潰されないためには自己の変革と成長が必要だ。無為無策では生き残れない。変わりたくなくても、世の中は変わっているのである。何もしなければ、外部の力によって望まぬ方向に変えられるだけである。

2011年6月19日 (日)

NHKスペシャル「父は日本人を殺した」

 今日のNスペはよかった。戦争については日ごろから考えるところは多いが、つねに考えているのでもなく、生活の忙しさにかまけて忘れている時間の方が圧倒的に長い。そういう時にこのような番組があると、原点に自分を引き戻してくれる。NHKでしか作れない番組であると思う。かつては民放でも深夜ではあるけれども、この手の番組を作ることができたが、最近では見た記憶がない。

 沖縄の悲劇はなんだったのか。米軍の行動にも問題はあったのだろうが、日本の国家にこそ主たる責任があったのではないか。もちろん、沖縄で戦火を経験した当事者にとっては、面前の米兵の行動こそがすべてであったに違いない。丸腰の民間兵を家畜のごとく撃ち殺したことへの怨念は消え去ることがない。

 それでも、なぜもっと早く日本は降伏しなかったのか。サイパン、グアムと玉砕し、東京が大空襲を受け、さらには硫黄島が玉砕した。すでに敗色濃厚どころか、負けははっきりしていた。国体の延命を図るために降伏を先送りしたことでどれだけの命が失われたことだろう。広島、長崎に至っては、死者を面前で見ることなく、一瞬にして大量殺戮が行われてしまった。米軍の行動への疑問と同時に、返す返すも、体面にこだわった降伏の延期が悔やまれる。

 政治家は、国民の運命が自らの手中にあることをもっと自覚してほしい。いや、それは無理かもしれない。彼らの心は国民とともにないのだから。

下を向いて歩こう

 坂本九の「上を向いて歩こう」は1961年に発売され、内外で大ヒットした。私が3歳の時である。したがって、物心ついた時にはすでに誰もが口ずさむほどに親しまれていたに違いない。私自身も子どものころからよく歌っていたように思う。どの程度かは分からないが、日本の国民に希望を与えたのではなかろうか。私はこの曲を日本の国歌にすればよいという考えを持っている。

 ところで、タイトルの「下を向いて歩こう」だが、これはうな垂れて生きようという意味ではない。組織や社会の底辺に視線を向けようという趣旨である。
 社会のレベルで言えば、職に就けない若者たちであり、障害等の理由で生活に困窮する人々であり、大地震で被災した人々も加えなければならない。組織で言えば、現場で働く労働者のことであろうし、上司から見れば部下の社員のことを表わすだろう。

 上を目指すのはよいが、上昇志向が強すぎると、自分から下へは視線を向けなくなる。上ばかり気にして生きていくことになるのである。けっきょく、下からの支持を失い、上昇もほどほどのところで止まってしまう。それはそれでその人のなした業であるから仕方がないのだが、そういう傾向があることを承知して事に当たりたい。

 これは処世訓というよりは、ポリシーの問題かもしれない。自分の利益を優先したら、自ずと下に目が行かなくなる。

2011年6月18日 (土)

心中考

 「心中」といえば、すぐに思い浮かぶのは近松の「曽根崎心中」だろう。お初天神あたりに飲みに行くことがあるし、曽根崎の旭屋書店にもよく行くので場所としては身近かなのだが、この話の詳しい筋は知らない。題名だけはよく知っている例である。

 次に落語の「品川心中」。小三治の話を聞いたことがある。これは落語だから深刻な話ではなく、実際に死ぬこともない。歌舞伎や浄瑠璃の話がベースにあっての落語ネタということができるだろう。

 もとに戻り、近松の心中ものは当時大人気となり、その内容に触発されて実際に心中が大流行したらしい。そして、それを問題視した幕府は上演を禁止したという。封建的な規制が強く働いていた時代には、惚れあっても一緒にはなれない関係が数多くあったはずで、そういう男女に心中という最後の選択があることを強く印象付けてしまった。
 ここから始まったのかどうかは知らないが、日本では心中した男女をあからさまに誹謗することはないように思う。そこまで好きあったのだから、あの世で添い遂げさせてやろうという気持ちだろう。死者には鞭打たないのが、日本のやり方である。

 松本清張の出世作「点と線」に心中した男女が香椎の海岸で見つかる場面がある。男女が脱いだ靴をきれいに並べて横たわっていると、一般の人々だけではなく、警察も疑問を抱かず情死だと思い込むことを前提にして、その思い込みの盲点を突き破っていくところに面白さがあった。実際は毒物を使った殺人だった。

 テレビのドラマでは、「高校教師」があった。真田広之(私の家内が大ファンである)と桜井幸子主演の純愛物語である。逃避行途中の列車の中で、お互いの指を赤い糸で結びあって服毒自殺を図る場面がラストだったと思うが、その印象は鮮烈であった。

 以上は物語のうえでの心中だが、実際にあった事件について触れたい。よく知られた例としては小説家の心中がある。有名なのは、有島武郎と太宰治の場合である。
 有島は夫ある身の女性記者波多野秋子と軽井沢の別荘で心中した。ものの本によると、当時この事件は好意的に受け止められたらしい。先ほども書いたように、江戸時代以来、死んでしまえば非難されない文化が出来上がっていた。ただし、永井荷風からは痛烈に批判されたという。他人の女に手を出すとは何事かという理屈だった。玄人の女とつき合うのが粋で、素人に手を出すのは野暮だという認識である。実際、荷風は玄人ばかりと遊んでいたが、その理屈も妙なものである。

 もう一人の太宰治だが、彼の場合はもっとも特殊な例だろう。彼は何度も自殺・心中を繰り返した。1930年に田部シメ子と鎌倉の海で入水自殺。このときは田部だけが死亡。1937年には内縁の妻小山初代と薬物による心中を企てるが両者ともに未遂。そして1948年に玉川上水にて愛人の山崎富栄とともに入水自殺を遂げた。この日は桜桃忌と名付けられ、今でも墓参りするファンがいるらしい。
 太宰の生き方や作品は決して無視できるようなものではないが、共感を呼ぶものでもない。逆に、多く弱点を指摘しうるし、信念をもって社会と向き合うことができなかったという評価が妥当であろうと思う。

 私の実家は海岸の近くにあり、海に向かって50メートルほど歩くとそこに漁具を納める小屋があった。聞き伝えでは、昔そこで心中事件があったらしい。子どものころに聞かされたのは、あったという事実だけであるが、その小屋の中に男女の呻きが聞こえるような気がした。男と女の感情の機微など分からない年頃だったが、なにか怪しい空気を感じた。

2011年6月17日 (金)

仲里依紗と栗山千明(お薦め女優)

 テレビは食事のときに見る程度だが、ドラマを見ていると気になる女優さんがいるものだ。最近では、仲里依紗さんと栗山千明さん。

 仲里依紗さんは、モデル兼女優とのことで、フジテレビの「幸せになろうよ」に出演している。また、バラエティーでもときどき見かける。ドラマの主演女優は黒木メイサで売れっ子だが、仲さんは助演だがいい持ち味を出している。私が見るに、顔立ちが個性的で、特に鼻の形がいい。印象に残りやすいタイプである。

 栗山千明さんは、女優兼ミュージシャンである。ミュージシャンとしてはかなりの実力者らしく、海外でも評価されているという。ドラマ「リバウンド」に出演しており、主演の相武紗季の友人役だ。相武さんがコミカルな役をやっていることもあって、栗山さんの演じる女性がすごくいい女に見えてくる。もちろん、演技のうまさも加わってのことだ。

 二人についてあまり詳しくない私だが、しばらく注目していきたい。さっそく、二人のブログをお気に入りに追加した。

http://ameblo.jp/ri---sa-bi-kaku/

http://www.spacecraft.co.jp/chiaki_kuriyama/

2011年6月16日 (木)

進む寡占化(市場経済の法則)

 資本主義経済では、競争のなかで中小の資本は消え去り、大資本に集約されて寡占化すると教わったような気がする。

 経済社会での変化を見ていると、まさにその通りの現象が起こっている。思いつくままその事例を上げてみようか。

 ● 家電の小売・・・ ヤマダ電機をはじめ、大型店が幅をきかして街の電気屋さんがなくなってしまった。どうもヤマダ電機のイメージがよくない。

 ● 紳士服の小売・・・ 青山、アオキ、コナカなど。私もアオキでたまに買うが、昔は百貨店で買うことが多かった。

 ● カジュアル衣料の小売・・・圧倒的にユニクロが市場を奪ってしまった。街の衣料品店ではどうにも太刀打ちできない。私もしばらくはユニクロ派だったが、最近はやめた。少々高級でもバーゲン品なら手が出ないことはない。いいものは傷まないし、飽きがこない。

 ● スーパーマーケット・・・ イオンとセブンに集約されつつある。しかし、ここは市場そのものが大きいことがあり、食品の嗜好は地域特性が強いことから、地場の中小も必要とされている。

 ● 書店、CD/DVDショップ・・・まだ街の小さな店もあるが、書店では紀伊国屋やジュンク堂などの大型店が増えている。確かに品揃えが豊富で欲しい本が手に入るので便利だ。ただし、本はどこで買っても値段は同じである。CDはタワーレコードが目立つ。この分野は通販が急速に伸びている。

 ● 引っ越し業・・・テレビで宣伝している引越し屋をよく見かける。昔は中小の運送会社にも頼んだが、これだけCMを流されたらそちらに行ってしまう。

 以上は皆流通関係である。変化が大きい。もともと巨額な投資が必要な製造業や通信業では寡占化していた。電力、都市ガス、自動車メーカー、家電メーカー、電信電話などなど。

 そういえば、最近変化が激しくて付いていけないのが、銀行と証券会社だ。会社にもよく来るが、どこがどうなったのかさっぱり分からない。今度ここへ行くことになりまして・・・と聞いたと思ったら、また別れることになりまして・・・ということもあった。 

2011年6月15日 (水)

実家近くの観光スポット(熊野)

 私の故郷は都会から遠く離れた場所にあり、工業が育つ条件が乏しかった。高度成長した時代にあっても大きな工場と言えば製紙工場が点在する程度であって、あとは小規模な農業で細々と地域経済を支えてきたと言えるだろう。それでも地域が荒廃しなかったのは、交付金があったことと公共事業によってお金が落とされていたからだろう。農村から都市に若者が労働者として流出していったが、彼らが懸命に働いて納めた税金の一部が出身地に還流していたと考えると分かりやすい。とはいえ、そういう構図も近年はなくなってしまった。地方への分配はめっきり減ってしまい、地域経済は疲弊する一方だ。

 そんなわけで、工業化しなかったために自然に対して大規模に手が入らなかった。昔の風景が残っているし、海がきれいである。これも以前に比べれば減ってしまったが、都会から観光客が訪れ、名所旧跡や自然の造形を楽しんでいる。

 周辺の主な観光スポットを列挙すると、①鬼ヶ城 ②花の窟 ③熊野三山(那智山、速玉大社、本宮大社) ④太地くじら博物館

 ① 鬼ヶ城は昔から有名な観光地です。地元の人間は滅多に行きませんが、観光客が減ってさびしくなっているようです。
 ② 花の窟はイザナミの墓所と言われるところです。北野たけしの番組で紹介されて立ち寄る人が増えたそうです。
 ③ 熊野三山では、那智の滝のある那智大社に観光客が集まります。世界遺産の熊野古道も人気ですが、地元の人間からするとただの山です。
 ④ 太地は気候温暖でリゾート地として魅力です。現中日ドラゴンズ監督の落合さんの別荘があることでも有名です。くじらの博物館はくじら漁にかかわる資料が集められています。興味はそれよりも、くじらやシャチやイルカのショーの方に向きます。

 シャチの大ジャンプです。迫力ありますよ。

Photo

2011年6月14日 (火)

元気のない世代(定年前)

 定年を数年後に控えた世代に元気がない。社員2百人足らずの小さな会社だが、そういう人が思い浮かぶだけでも5人ほどいる。決して老けこむ年ではないのだが、総じて迫力がなく、リーダーシップに欠ける。

 周囲からは、あと何年か勤めれば定年だから、無難に勤めればよいという考えになるのも仕方がないという声が聞かれる。これは弁護の言葉ではなく、非難の意味がこもっている。それなりの地位に就いているのであり、給料も高額であるのだから、力の出し惜しみをしてもらっては困るという内容だ。

 その声はもっともである。経営が安定しており、給料が減ることもないという安心感があるに違いない。しかし、今はそうであっても、悪くなり始めれば早い。会社は続くのである。自分が退職しても、後の世代はこの会社を頼りに生きていかねばならない。

 同時に自分自身の生き方の問題である。考えてみれば、その元気のない世代が、過去において目立って積極的であったかどうかは明確でない。確かに今に比べれば動いてはいたが、今につながる要素もあったように思われる。

 全力投球がスタイルの人間は、老いても力を抜いたりはしないだろう。締めくくりはベストピッチを心がけるはずである。

2011年6月13日 (月)

保守的女性観(理髪店で耳にした会話より)

 日曜日の朝、理髪店に行った。そこで順番待ちをしている初老の男性の話を隣で聞いていた。話をしている男性は60歳をいくつか超したぐらいで、もっぱら聞き手にまわっている男性は50歳前後だろう。

 話の中身は、初老の男性の息子の話題から始まっていた。要旨はこういうことだ。「男は学歴が大事だ。学歴が一生付いてまわる。最近は就職が厳しく、二流三流では採用されるのが難しい。不況で企業に余裕がなく、三年はかかるという新人の育成に費用がかけられないので、中途で即戦力を採る傾向がある。女性の場合は、学歴は一生付いて回るものではない。結婚すれば、学歴は意味がなくなる。かわいくして、有能な男性を捕まえさえすればベンツにだって乗れる。」

 こういう見かたは特殊なものではないだろう。保守的ではあるが、広い範囲に定着している。学歴重視は今なお変わっていない。大手企業の採用条件は大概大卒以上である。学歴不問をうたっている企業はまれで、かなり大胆だ。しかし、ここには学校で何を学ぶかという観点は全くない。たとえば、大学は卒業証書を貰うことだけが目的ではない。学んだ内容がその人の人生を左右する要素になる場合もある。そういうことは抜きにして一面的な話になっている。

 ここでは、そのことよりも女性観の方がより問題だ。すなわち、女性には学歴は特別必要ではないという断定である。男女を問わず学歴にこだわる必要がないという主張であれば、それは一つの主張として受け入れたいが、女性だけ要らないという考え方は、女性の社会進出が男女平等の観点だけではなく企業社会からの要請としても論じられる今日にあっては、時代遅れと言わざるをえない。また、結婚したら学歴が意味を持たないという主張には、女は結婚したら仕事をやめ家庭に入るということが大前提にある。これもまた現実とは大きくギャップを持つ考えであろう。

 そうはいうものの、これがこの年代に代表的な女性観である。このことが女性の自立を妨げてきた一つの大きな原因である。女だてらに四大へ行って難しい勉強なんかしたら男に相手にされなくなると、昔の親父は考えていた。たしかに相手にしない男もいただろう。それは男の意識が遅れていたからだ。狭隘なる女性観であり、劣等感の裏返しでもあっただろう。

 意外にも、革新的な考え方を持っている経営者でさえ、客へのお茶出しは女性がすべきであり、躾として大事だと思っている人が多い。また、女性に大事な仕事を任せないことで能力の向上と昇進を妨げている面も否定できない。

2011年6月12日 (日)

おめでとう 絹川愛さん

 陸上競技日本選手権の女子5000メートルでミズノ所属の絹川愛さんが優勝した。時間は15分10秒を切り、A標準記録の14秒を突破した。

 絹川さんは解説者も言っていたように、高校生時代に注目を浴びたアスリートで、愛スマイルで人気があった。疲労骨折などの怪我や体調不良で長く走る姿を見ることができなかった。事前に復調しているという情報を持っていなかったので、エントリーしていることだけでも驚きであったが、スタートすると先頭の新谷さんに次ぐ位置で頑張っていた。走るフォームは本当にきれいであり、ストライドがよく伸びている。日本人には珍しいほど大きな走りだ。

 新谷さんがつぶれたら絹川さんにもチャンスがあると思っていたら、急に差が詰まりだした。一瞬だった。一気に抜き去り、差を広げる。最後は、A標準を切ることが目標になった。会場のファンは絹川さんのことは当然知っており、その復活劇に記録も加えようと必死に応援をする。そして絹川さんもそれに応えた。ラストのストレートも伸びやかな走り。そして、愛スマイルの復活だった。

 陸上競技ファンは、彼女はどうしているのかと気にかかっていたはずだ。見事な復活で、女子長距離界にまた希望の星が加わった。

危機感がないと馬鹿になる

  野生動物が家畜化すると脳の大きさが次第に小さくなっていく。厳しい自然環境や天敵から遠ざかり、変化に対して身を守るために感覚を研ぎ澄ませる必要がなくなると、複雑な脳も必要でなくなる。

 人間にとって、快適な空間で生きることは望ましいことであり、社会の発展にともなって徐々に実現してきた。しかし、お金さえ払えば何もかも手に入るようになると、生活の知恵というものがなくなる。ストーブもエアコンもない時代であれば、暖をとったり涼をとったりするために様々な工夫があった。炭をおこしたり、打ち水をしたり、簾をかけたりした。

 わざわざ文明の利器を投げ捨てる必要はないが、一定その使用を控え、設定した水準の範囲内でストイックに暮らしてみる試みもあってよかろう。そうなると行動の仕方が今までとは変わり、そこに新たな思考も生まれる。これからの季節であれば、朝顔の花を楽しみ、そうめんを食し、読書のあとには昼寝をし、浴衣を着て散歩する。これは私の願望の表れであろうが、テレビやパソコンに時間をかけているよりはずっと心豊かな暮らしではなかろうか。

 組織が硬直化すると、馬鹿な人間ほど偉くなる。慣例や規則に従い、決まったことを決まった範囲でやっていると評価される。しかし環境の変化が著しくなると、馬鹿ばかりでは組織がもたない。組織自体に変化を起こし、その変化に対応できる人間が偉くなるルールと風土を持ち込むことが不可欠だ。

 政治家に馬鹿が多いのはなぜだろうか。政治の世界が、いまだ古典的な党利党略の世界だからである。変えられるのは、有権者だけである。ある観光ホテルのマネジャーが、観光バスを見ると札束に見えると冗談を言ったが、政治家は大人を見ると票に見えるに違いない。

2011年6月11日 (土)

補給(創造を持続するための)

 人間が創造的な活動を続けるためには、材料が必要であり、常にその補給が行われるように仕組みを作っておかねばならない。

 日本の軍事組織の弱点としていくつかの要素が挙げられているが、そのなかの一つが兵站の弱さである。戦を長く続けるには、戦地に人的資源と物的資源を送り込む活動が不可欠であり、予め準備されていなければならない。日本軍はそれが疎かであり、出たとこ勝負の無謀な楽観主義があった。

 この反省はなにも次の戦に備えるために行われたのではなく、経営学の立場から、軍の弱点は企業の弱点としても共通して生じるであろうという仮説に基づいている。ちなみに、兵站の弱さ以外の要素としては、情報の軽視があるし、意思決定の曖昧さがあった。情報については特に説明を要しないであろう。情報を収集し、分析し、戦略戦術を策定することが重要だが、それを疎かにし、過去の成功体験が重んじられた。意思決定については、会議の場で本音の意見が交わされることがなく、「場の雰囲気」が方向性を決定づけた。そして、その場の雰囲気を支配する要素としては、それまでに形成された人間関係であったり、組織内の序列であったりする。また責任をとることを回避する心理的傾向も考えられる。あの時誰かが一言やめようと言ってくれたら全員賛成していただろうというような、欧米人が聞いたら著しく奇異に感じるようなことが起こっていたのである。

 さて、兵站、分かりやすく言えば補給のことであった。このことを思いついたのは、文学における創作活動について考えていたからである。いかに言葉に対するセンスがあり、それを構成するスキルがあっても、題材がなくてはならないし、それにまつわる多くの情報を持っていなければ作品を組み立てることができない。驚くほどたくさんの作品を残した松本清張や司馬遼太郎は、図書館ができるぐらいの数の蔵書があり、作品を書く前にはスタッフに資料集めや情報収集をさせていた。それだけの背景がある。それまでの経験や知識だけで次から次へと書けるものではないのである。

 仕事をするにしても、こうやってブログを書くにしても、新たに学習を積むことによって知識や考え方を補給しなければならない。自分が抱えている問題や存在の矛盾を言葉で表現したいという欲求は絶えることがないが、雨が降らなければいずれダムの水が枯れることが確かなように、私の心も早晩干上がるに違いない。

2011年6月 9日 (木)

美人○○

 世間では、美人であることは、どんな職業にも通じる普遍的な付加価値であるらしい。美人なになにという言い方が非常によく目につく。

 美人プロゴルファー、美人コンサルタント・・・。美人女優とは言わない。女優は大半が美人だから、同義反復のようなものだから、そういう言い方はしない。もっとも響くのは、美人がいそうにもない職業である。

 あまり具体的に書くと偏見と言われそうだが、運動系、なかでも格闘技系では希少価値かもしれない。バレーボールの選手たちはテレビ放映されて露出度は高く、美人とうたわれる選手が何人かいた。たとえば菅山かおるである。確かに美人の範疇に入れてもよさそうだ。しかし、タレントの集団に放り込めば、ただの人である。バレーボールの選手だから得をしている。「バレーボールの選手」+「ちょっとした美人」の複合による付加価値の増大である。

 アイドル系女子プロレス選手がいる。これもプロレスだから可愛く見えるというカラクリがある。しかし、そういう選手を集めることで集客力が高まるのは事実だろう。ずいぶん古い話だが、ミミ萩原というレスラーがいた。タレント出身で、とてもまともに戦える力はなかった。攻撃される一方で、それがサディスティックな感覚を生んで人気が出た。女子プロというのはある種、倒錯した世界である。

 どうでもいい話だが、男には美人なら何でもいいうという、女性から見れば恐ろしくゆがんだ女性観があるのも事実である。

 しかし思い出そう。牧伸二が歌った。「美人は三日で飽きるけど、ブスは三日ですぐ慣れる。」アーアーア、やんなっちゃった。ご容赦。

2011年6月 6日 (月)

K先生からのハガキ

 高校の時に担任を受け持ってもらって、文字通り大変お世話になったK先生からハガキを頂戴した。先生は長くN中学N高校の教諭を務められ、教頭も十数年務められた。このたび退職されて、R大学に教授職として勤務されるとのことだ。N高校での仕事も少し残しているそうだ。

 K先生は、長野県出身で、東京大学を出ておられる。担任をしていただいた時はまだ卒業して数年目であり、独身だった。家が大変貧乏だったらしく、親戚から疎んじられていたらしいが、東大に入ったとたんに態度が大きく変わったと話してくれた。学生時代は自治会活動に熱心だったようで、先生から聞いた話は私の思想にも大きな影響を与えたように思う。

 残念ながら故あってN高校を卒業できなかった私だが、その後もK先生には何度かお会いする機会があった。先生は学校や生徒のことを話されるときにはいつも楽しそうであり、愛してやまない気持ちが溢れかえっていた。いろいろ苦労もあったに違いないが、充実した教員人生であったろうし、これで仕事が終わったわけではないので、もうひと頑張りしていただきたいと思う。

 幼稚園から始まって、多くの先生方にお世話になってきたが、K先生には一番迷惑もお掛けしたし、お世話になった。このブログを直接見られることはないだろうが、感謝の気持ちをここに書き記しておきたかった。

2011年6月 5日 (日)

カラス

 マンションの前に高木の集まった林があり、そこはカラスのねぐらになっている。朝早くから鳴き声が聞こえ、日中にはしばしばその姿を見ることがある。

 カラスの泣き方は、文字で表わすと「カアーカアー」だが、個体によって違いがある。淡白なものもあれば、こぶしを利かしたのもある。今日は、かなりこもった声で鳴きながらベランダの前を数回旋回したカラスがいた。私は興味を持ってそのカラスを見ていたが、ちょうどその時洗濯物を取り込みに近づいていた家内は、気持ち悪いねと言った。

 カラスは古来幸運をもたらす鳥として扱われており、ヤタガラスはサッカー協会のシンボルマークになっている。しかし、真黒な鳥がたくさん群れていると薄気味悪いイメージがあるし、ゴミをあさるなどして人の生活に害をもたらすこともあるから、概して嫌われているのである。

 そんなカラスだが、よく知られているように知能は高い。食べ物を隠したり、石ころなどを道具として使ったりするし、人から見ると「いたずら」と思える行動をとったりもする。そういうことを知っているから、好奇心を持って見てしまうのである。

 会社の同僚から聞いた話だが、自転車をとめて食堂で昼食をとっているうちにかごに入れていたポテトチップスをカラスにさらわれたらしい。それが食べ物だと分かるし、人は食べ物を持って歩いていることを経験的に知っているのだろう。われわれは普段の生活のなかで、まったくその存在を意識せずにいるが、相当数のカラスが生息しており、隙あらばと食べ物を狙っているのである。

 向かいのマンションの屋上でくつろぐカラス

Karasu

2011年6月 4日 (土)

バーナード・マラマッド 『喋る馬』

 バーナード・マラマッド
1914年ユダヤ系ロシア移民の子としてニューヨークのブルックリンに生まれる。教鞭を執りながら小説を書き、52年、長篇『ナチュラル』で作家デビュー。代表作に、『アシスタント』、『魔法の樽』、『レンブラントの帽子』など。86年没。

 『喋る馬』には11編の短編が収められている。分かりやすい話もあれば、かなり難しい話もある。ユダヤ系作家だけに、ユダヤ系特有の境遇を題材にしたものも多い。特にその部分は、直截的に表現されていればよいが、抽象化されていると分かりづらい。

 『最初の七年』

 靴屋には若い娘がいる。靴屋は会計士を目指して苦学している青年を知っていて、娘を嫁にやりたいと考え、二人を付き合わせようとうする。一方、靴屋にはポーランドから逃れてきた(ユダヤ)難民の男が雇われていた。三十代にも関わらず頭が禿げあがり若さがないが、読書家で、読み終わった本は解説書を付けて靴屋の娘にも読ませていた。
 靴屋の娘は父親に紹介された苦学生と何度かデートをする。しかし、お互いに興味がないようだ。靴屋ががっがりしていると、使用人の男が突如と店をやめてしまう。戻るように説得するが言うことを聞かない。この男は安い給料でも文句を言わず休まず働いていたきただけに理由が分からなかったが、何度か通ううちに、娘が好きなのだということが分かる。娘をやることはできないと突っぱねるが、最後には2年後に結婚の話を考えることを認めるのだった。
 次の日靴屋が店に出ると、すでに使用人が靴型に向かい革を叩いていた。使用人にとっては娘への想いだけが生きる力であった。

 貧乏から逃れたいという靴屋の希望と、ナチスの追手から命からがら逃げてきた男の唯一の生きる希望との相克が面白い。もちろん、後者の「希望」に巨大な重みがある。

 『夏の読書』

 高校を中退して、たまにありつくアルバイトの仕事以外はアパートにいて、父親と姉が留守中の部屋を掃除したり、音楽を聴いたり、雑誌を見たりして過ごしている青年がいた。彼もいい職について、恋人も作りたいという希望を持っていたが、高校中退では就職はかなわず、だからといってふたたび学びなおす気力も湧かなかった。
 ある夜、幼いころから小遣いをくれるなど優しくしてくれている近所の男に出会う。そして、家で毎日何をしているのかと聞かれる。青年は、出まかせに「読書をしている」と答えてしまう。しばらくして街を歩いていると、周囲の自分を見る視線が変わっているように感じた。これまでにはなかった尊敬のまなざしである。どうやら、あの知り合いの男が、勉強熱心な青年だと言い広めているらしい。青年は、決して悪い心持ではなかった。
 ふたたび男に会うと、また本を読んでいるかと聞かれる。このときは、図書館でもらったリストにある本を夏休みに読もうと思っていると言ってしまった。しかし、図書館に足を運ぶことはなかった。次に、みたび男に会うと、リストの中から読んだ本を一冊でも教えてほしいとせがまれる。言い淀んで、目を閉じていると男は立ち去っていた。青年には、男が立ち去るときに言い残した言葉が耳に響いていた。「私とおなじことをするなよ。」
 しばらくして青年は図書館に通い、猛然と読書を始めた。

 これはシンプルな話だが、ベトナム戦争が始まる前の「よきアメリカ社会」の街の雰囲気が表れているように思える。

2011年6月 1日 (水)

会社にとっての新しい年

 私の勤める会社は5月末で会計年度を終え、6月1日が新しい年度の始まりになる。世間では3月末決算の会社が多く、ある時期に決算発表や株主総会が集中するが、5月末決算の企業は少なく、世間の様子をうかがいながら準備ができるメリットがある。

 ここしばらくは、予算を作ったり、事業計画・業務計画を作ったりで忙しかった。これは毎年のことで、過去の失敗を活かして、作成の手順についても、計画の中身についても、年々レベルを上げていきたいが、思った通りにはいかない。もちろん、良くはなっているが、飛躍的前進はない。なにぶん小さな会社なので、作り手に変化が少なく、その人間の癖が色濃く出るし、会社の風土の悪い面も共通して反映する。
 たとえば、どんな課題でも一年間かけてやろうとする。できる課題は短期で仕上げてしまえばよいのだが、表が6月から5月まであるので、5月まで線を引いてしまう。こういうものは形式からくる錯誤である。しかし、人間のやっていることにはこういうことが多いのである。

 なにか、愚痴のようになってしまったが、新しい期のスローガンは、「意識と行動の変革」である。何年も言い続けているが、変われない人が多い。勤めた経験の長い人ほど変われないし、学歴のある人ほど変われない。「変な」プライドが邪魔になっている。その点、高卒の比較的若い層は変わりやすい。伸び代があるのである。

 プライドを捨てて、初心に帰ろう。プライドに見合うほど、大した能力はないのである。大手の企業に比べたらそのスキルも知識も見劣りする。他流試合をすれば分かることだ。馬鹿になって、改めて学ぼうとする姿勢で臨めば、ベテランにもまだ伸び代はいくらでもある。

 世間の相場から見たら、なんとも大きな計画を作ったが、なんとしてもやりきらねばならない。

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »