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2011年5月15日 (日)

文化とは何か

 文化とはなにか。文化とは運動である。文化の継承とは、行動の継承であり、そのあり方を決める価値観の継承であって、ものの継承ではない。

 法隆寺は文化遺産ではあるが、文化ではない。法隆寺にお参りにではなく、建築物や仏像の見物に行くことが現在の文化である。建築物や仏像はすぐれた芸術作品と言えるだろうが、それを観光のコースに入れて、骨董品を見るような眼で眺め、国宝か重文か、オークションにかけたらいくらで売れるかなどと考えるのはとても「文化的」な活動ではない。しかし、それが日本人の行動様式を表わしているとすれば、それは一つの文化であろう。もしも、よりよい文化を想定してよいのならば、飛鳥時代の仏像の表情に現在にはない人間性を発見し、それを自己の精神生活に積極的に生かそうとする動きがあればと思う。

 人間が生活するところには文化がある。今の日本においても文化はある。願わくば、人間を豊かにする文化であってほしい。過去の遺産を見に行くのも悪くはないが、休日の過ごし方の中心が物見遊山では、不足を感じる。
 未来に向かう、新しい美の表現は育ちつつあるのだろうか。おそらく、私が知らないだけであるに違いない。よくよく考えてみれば、会社の後輩には、写真の個展を開いている者がいるし、和太鼓のサークルでリーダーを務めている者がいた。しかし、個展には人が集まらないし、太鼓の発表会のチケットを買ってもらうにも苦労しなければならない。私は個展は見に行ったが、太鼓は行かなかった。いずれもしばらく前の出来事だが、そこに趣味以上の意義を認めなかったからだろう。

 新しいものを創り出すことが期待すべき文化の要諦である。一般の人々がその主体になることは難しいとしても、創作活動に対する理解を持つことはできるだろう。国がそういうものに予算をとることを支持したいものだ。あるいは、新進の作家の発表会に足を運ぶことも必要だ。現実にはできていないが、文化を育てるとはそういうことだろう。古美術ばかりが美術ではない。

 お花や、お茶を習いに行くのもよいが、生活の場に花があることやお茶を楽しむ余裕のあることの方がもっと大事である。生活の仕方や価値観を問い直すことが、文化を考える上で重要な問題だと考える。

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