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2011年5月10日 (火)

感情の表わし方 日本人の傾向について

 東北を中心とする被災地の人々が、大震災のあともパニックに陥らず、おとなしく行動している様子(落ち着いてという表現は当たらないだろう。そう見えるが、動揺はあるに違いない。)が報道で確認できる。そのことが海外のメディアで好意的に報じられていることも知っている。

 被災者は感情を噛み殺し、言葉を飲み込んで活きているのだろう。しかし、特に誰からもそうせよと指示されたわけでもないのに多数の人がそうしているということは、歴史的に形成された一定の傾向を表わしているように思う。

 江戸時代のある学者は、日本人の民族的特性として「隠す」傾向をあげた。自分が得たもの、得たことを広く開示せず、内輪だけにとどめておくのである。門外不出のなになにとか、秘伝のなんとか聞くが、隠しておくことに値打ちを見出す。同じように、感情もまたオープンにすることを嫌うのであろう。この点では、日本人とは異なる傾向を他の民族に見出すことがある。

 同じ東洋の民族でも違いがある。たとえば中国へ行くと、そのことを思い知らされる。私が行ったのは上海と福州に限られるので全土に共通しているものかあやしい部分はあるが。
 向こうの町はとにかくやかましい。人の話す声がやたら大きく、おしゃべりである。これに車のクラクションが加わると喧騒状態が生まれる。好意的に見れば、それだけ元気があるとも言える。自分の言いたいことは遠慮せずまず口にする。当然他の人と不一致の部分があるのだからどこかで妥協は生まれるわけだが、初めから譲歩をしないのが流儀である。このことを知らないと、ずいぶん身勝手な連中だと誤解してしまう。
 韓国の人とはほとんど交流がないので、テレビや雑誌などの情報に拠るしかない。その範囲で言えば、日常の様子は中国人より静かに見える。ところが、何か事故や戦闘などによって家族が亡くなった場合には、時と場合を気にすることもなく、感情をむき出しにして泣きわめく。これは何度も目にし、耳にしている光景である。明らかに日本人の行動とは違っている。

 日本人が全般的におとなしい民族であることの是非を論じたいとは思わない。現にある事実として確認したうえで、なぜそうなったかの要因については知りたいと思う。一つだけ言っておくとすれば、日本人は為政者にとってみればずいぶん統治しやすい国民だということだ。戦後には、労働運動や安保闘争、反公害運動などが起こり、決して黙っていたのではないが、それも最近は弱まり、とみにおとなしくなったように思う。
 ただし、決して国や企業のしていることに対して無条件に服従しているのでもなかろう。面従腹背という言葉があるが、面従にも限度がある。腹に収まらなくなったものが、いつかは行き場を求めるに違いない。

 

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