« 悲しい現実 清濁併せのむ勇気 | トップページ | 「人間ちょぼちょぼ論」の功罪 »

2011年5月24日 (火)

いつも走っている人

 といっても、佐川急便のドライバーではない。通勤途中で出会う一人の女性のことである。御嬢さんと呼ぶには無理があるし、おばさんと呼ぶには多少の遠慮が伴うような年齢の方である。
 私は歩いて会社まで通勤している。家を出る時間はほぼ一定している。休日は別として、人の生活はかなりパターン化している。個人差があるとはいえ、そうすることでロスをなくし、リスクも小さくしているという意味では合理性がある。しかし、いったんパターンが定着すると、その良しあしを改めて見直すことがなくなってしまうのである。

 いつも小走りしている女性を見ると、3分5分早く家を出れば走らなくて済むのにと思ってしまう。これから暑くなれば汗もかくだろう。少し太り気味な方なので、なおのことそう思ってしまう。
 人間は習慣の虜である。日本人にはとりわけその傾向が強いのではないか。だからこそ、行動が読みやすい。統治しやすいし、経済も組織化されているから外国からは「社会主義」的だといわれる。安定感はあるが、環境が変化しだしたときに柔軟な対応ができない。

 現実的、現世的であることにも利点はあるが、もっと未来志向になって、変えること自体に価値を置くことを重んじたい。かつて、イチローがCMで「イチローも変わらなきゃ」と言った。イチローは常に変わっていたからそんなことを言う必要はなかったのだが、経営がどうにもならなくなった企業の生き残りへのメッセージが必要だった。

 

« 悲しい現実 清濁併せのむ勇気 | トップページ | 「人間ちょぼちょぼ論」の功罪 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 悲しい現実 清濁併せのむ勇気 | トップページ | 「人間ちょぼちょぼ論」の功罪 »