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2011年5月29日 (日)

五木寛之について

 学生のころよく読んだ。「青春の門」「デラシネの旗」「さらばモスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」「風に吹かれて」など。小説だけではなくエッセイも多かった。本は面白かったが、何冊かを残して古本屋に売ってしまった。二束三文だったが、惜しいとは思わなかったので、それだけ思い入れはなかったのだろう。

 五木はその後も大衆小説作家として活躍し、確固たる地位を築いてきた。年を経て、親鸞について書くようになり、私はあまり読んだことがないが、最近は高齢者向けのエッセイを多く書いている。たまたま読んだ本のなかには、この世の中ただ生きているだけでも大変なことなので、自分を責めずに生きようということが書かれていたように記憶している。それと親鸞とどういう関係があるのか分からないが、だれでも救われるという教えに近いようにも思える。

 その考え方は、一般的な教えとしてはいいと思う。日常的な生活感覚としては、ある程度自己肯定的な立場に立たないと厳しい。しかし、こと自分自身のことになると、ただ生きているだけでは納得できない。よりよく生きたいと思うし、何かを得るためには何かを犠牲にせざるをえないし、もっと頑張れと自分を叱咤しなければならない。

 そんな私だから、最近の「大河の一滴」や「人生の目的」にはあまり関心がない。これらをシルバー世代向けの本とするのは先入観かもしれないが、ちらっと立ち読みした範囲では、攻撃的な人生を志向する者には不向きであり、リタイアしてから手に取ればよいと思った。

 私も五十は疾うに過ぎたが、まだひとあがきも、ふたあがきもしなければならない。

 

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