« 驟雨のごとく | トップページ | いつも走っている人 »

2011年5月23日 (月)

悲しい現実 清濁併せのむ勇気

 われわれがあまり知らないところで、結構「そんなことってありかよ」と言わざるをいえないようなことが行われている。こういうことは知らずに生きていられるのであれば、それに越したことはないのだが、いったん知ってしまえばそれを忘れて生きることは罪になるのではないかと思ってしまう。

 プロレスリングを生で見たことはないが、団体によっては前座で「小人(こびと)」のレスリングを見せる。レスラーと小人は興行の仲間である。観客がどんな気持ちで見ているのか知らないが、なかにはあまり楽しめない人もいるのではないだろうか。明らかに差別的な扱いであり、観た人に差別的な感覚を植え付けてしまう恐れがあるが、小人たちが生きていく術はこれしかないのである。特別に生活の保護が与えられることもなかろう。ただ体が小さいだけで体は十分動くのであるから。しかし、まともな職にありつけるわけではない。悲しい現実だと言わざるを得ないのだが、これは恵まれた人間のたわごとかもしれない。皆生きていくために必死なのだ。

 身障者を相手にしている娼婦たちがいると聞く。彼らにだって欲望があるのだ。ニーズがあるところに供給が生まれる。こういう現実を知って楽しいわけはない。しかし、普通にありえることなのだ。

 精神薄弱の女性のなかに、一部ではあろうが、売春で生きている人がいる。それしか稼ぐ方法がないこともあるし、男性に抱かれることによってのみ生きている実感を得られるということもあるらしい。かつて吉行淳之介が精薄の娼婦たちを描いた。非合法になっても事情は同じらしい。

 こういう問題は社会の根底に根深く生き続けている。こういうことばかり考えて生きていくのは耐え難いことであるが、たまには思いだしてみてよかろう。

« 驟雨のごとく | トップページ | いつも走っている人 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 驟雨のごとく | トップページ | いつも走っている人 »