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2011年5月 1日 (日)

珠玉の言葉 稲盛和夫

 経営について考えることがある。勤務先で経営企画という仕事に就いているので、トップが何を考えているのか注視していなければならないし、それに共感できる自分でなければならないと思っている。先日、部下の課長から、「あなたの考えることは社長とほとんど変わりがない。会社の将来のためには違うことを考えてもらわないと。」と、意見された。しかし、私は課長の意に反して、それを褒め言葉と受け取っている。

 稲盛和夫氏の昔の本を読んでいたら、大事なのはこれだなと思った部分があった。そのまま掲載しておきたい。読めばわかるだろう。トップだけではなく、社員の一部でもこういう考え方に立てれば組織はうんと強いものになる。 

 何事においても、物事の本質までさかのぼろうとはせず、ただ常識とされていることにそのまま従えば、自分の責任で考えて判断する必要はなくなる。また、とりあえず人と同じことをする方が何かとさしさわりもないであろう。たいして大きな問題でもないので、ことさら突っ込んで考える必要もないと思うかもしれない。しかし、このような考え方が経営者に少しでもあれば、私の言う原理原則による経営にはならない。どんな些細なことでも、原理原則までさかのぼって徹底して考える、それは大変な労力と苦しみをともなうかもしれない。しかし、誰から見ても普遍的に正しいことを判断基準にし続けることによって、初めて真の意味で筋の通った経営が可能となる。(日経ビジネス人文庫版「実学」p27

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