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2011年4月 3日 (日)

どう生きるべきか問うているか

 自分が歳をとってしまったせいだろうか。若い人たちは悩むこともなく、眼先の小さな喜びを得ることに上手になってしまい、生き方を深く追いかけることをしないように見えてしまう。実際はそうではないのかもしれないが。

 若い時は確かに誰しも個人主義的であり、興味はあくまで自分自身であり、自分がどういう人間であるべきかを専ら問うていた。それがしばらくして、周囲の人々にどうやって影響力を行使し、どう変えていくかという関心が生まれる。幾ばくかの社会性を得ることになるのだった。そして次には、社会をどう変えるか、変えるために自分はどう生きるかという設問を持たされるのである。

 しかし、さらに歳を重ねると、ふたたび若い時の個人主義に逆戻りである。会社をほどほどに勤めあげ、残りの人生をいかにゆったりと過ごすかが最大の関心事になるのである。大半の人はこのようにして余生のために生きる。しかし、老年の目的は死を待つことだけか。死んでも世の中は残る。死んでも残る世の中のためにできることはないのだろうか。

 もう一度原点に戻って、今のような生き方でよいのだろうかと問うてみよう。それなしには、ただただ老けていくばかりだ。若い世代に渡すべきバトンを持たない、生気のない中高年では情けない。われわれは、まだ、若者にも負けないみずみずしい感性を持っていられるのである。

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