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2011年4月 2日 (土)

生き方を規定する要素とは?(囚われる人々)

  人間は何に従って生きているのだろうか。ただただ欲望に突き動かされて生きている人もいるだろう。自分と家族の生活を至上の価値として生きている人もいるだろう。生活の糧を確保しながらも思想や信条にために生きている人もいるだろう。人生いろいろである。

 いろいろな人生があり、他人の人生の妨げにならない範囲でどんな生き方をしようと勝手ではあるが、はたで見ていてこの人を動かしているものは何なのだろうかと不思議に思ってしまう時がある。普通はいい生活がしたいとか、自分を成長させたいとか、他人のためになる仕事がしたいとかいう目的があって、それを満たすために努力したり、苦しみに耐えたりしながら生きるのだが、どうもそういう要素が見えないのである。

 「仕事はたくさん引き受けたくない。責任はとりたくない。他人より苦労はしたくない。自分だけ損をするのはいやだ。」そういうネガティブな思いに囚われ、ただひたすら邪念に追われるようにして生きている人がいる。一方で、「自分は努力しているのだ。自分は正しいのだ。それに比べて他人は怠け者で、無責任である。それなのに自分は評価されない。」とも思っている。この上ない自己愛、そして自己防衛本能と他者への猜疑心。

 何が面白くて生きているのだろうか。自分への誇りは失ってはならないが、自己を客観的に見る意思と意欲もまた失くしてはならない。同時に周囲をも客観的に眺め、寛容な態度で接する大らかさも持ちたい。なかなか難しことではあるが、少しでもそこに向かう態度が見られたならば、いくらかでもその人を認めようとする気持ちが芽生えよう。しかし、否、否である。

 繰り返そう。何が面白くて生きているのだと。

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