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2011年3月21日 (月)

人間の能力差と責任の重さ

 大学入試の結果を見ると、「灘高校」という学校に「よくできる」生徒がずば抜けて多いことが分かる。東京大学の理科Ⅲ類に17名、京都大学の医学部に25名合格している。難易度からいえば最も厳しいこの2学部にこれだけの人数が集中している学校は他にない。

 この判断は、「偏差値の高い生徒=よくできる生徒」という尺度によっている。今の高等学校の教育においては、基本的に試験問題を解く能力を基準にして生徒を評価している。制度的にはそうである。もっとも、現場、現実、生の人間の実態は制度とは別ものであって、教師から生徒への評価、生徒同士の評価にはそれ以外の基準も適用されている。そうでなければ師弟の関係も、友人関係も生まれえない。

 この偏差値を基準とする教育の体系においては、灘高校の生徒はその頂点に立つ神様のような存在である。しかし、ここで大事なことが二点あって、ひとつは「偏差値の高さ=地頭の良さ」ではないこと、もうひとつは「偏差値の高さ=努力の大きさ」ではないということだ。
 前者について言うと、偏差値はやり方によって大きく上げることができる。入試の世界において出題される問題は一定の限られた範囲からの出題であり、出題の形式にも限りがあるので、地頭がほどほどであっても、それなりの時間をかけて努力すれば誰でも正解率を上げることができる。
 後者について言うと、最終的な偏差値が努力だけの結果ではないということだ。ベースとしてやはり地頭も大きく影響している。いくら地頭がよくても勉強しなければ問題は解けないが、同じ勉強量であったら地頭のよいものはずっとできるようになる。これは事実である。

 灘高校(灘中学)には、おもに阪神地区の秀才が集中する。入試問題はハイレベルだから地頭が要求される。この集中度は首都圏以上である。首都圏ではいくつかの進学校に分散する。開成、麻布、筑波大附属駒場など多々あるが、極端な差がないので校風などによって選択の幅があるのだと思われる。一方阪神地区ではできる子は必ずと言ってよいほど灘へ行くのである。この地頭の集中度が灘の実績を生んでいる。
 私は灘の出身者をかなりの人数知っているが、そのなかには驚くほど頭のいい人がいる。こういう人は高校生の時に大学の数学科で解くような問題にチャレンジしている。こういう次元は努力や単なるテクニックで対応できる次元ではない。灘高生のすべてがこのレベルではないが、このすこぶる優秀な人材を頂点とする集団である。どんな集団にもばらつきはあるから、下位の生徒には他の高校と違いのない生徒も交じってはいるが、上位層の質は間違いなく飛びぬけている。

 さて灘高校を切り口にしたが、地頭の良し悪しは現実にあり、それが入試の結果に大きく影響している。地頭は基本的に遺伝的な要素で決まっており、これをもってすれば、他の生徒よりも少ない努力で偏差値を上げることが可能である。これに高校が持っている入試のノウハウを加えれば鬼に金棒である。
 少ない努力で目標に達するのだから恵まれている。普通の秀才が青春を犠牲にして東大に合格するのとは対照的に、趣味などを持ちながら余裕をもった学生生活を送ることができる。

 結論として言いたいのは、それぞれ苦労はあるに違いないが、才能を持って生まれた者は、それを自分の力とは思わず、たまたま授かった能力だと受け止めなければならないということである。これを天賦の才能と表現したい。
 折角の才能、有り余る才能は自分のためだけに使うのはもったいない。たいそうな言い方になるが、社会の発展のためにそれを使う責任があるのではないだろうか。そういう思想や信念はどうやったら芽生え、その人を根本から動かすようになるのだろう。

 昔の秀才は、官僚の道を選ぶものも多かった反面、自分の出世よりも社会変革を目指して活動した若者がいた。また、そういう若者には地方出身者が多かったように思うし、必ずしも富裕な階層の出身者でもなかった。そういう人間にも最高峰の大学を目指すモチベーションがあったし、その背景には学費や生活費が安いという事情もあったのだと思う。

 なにか、すべてが階層で分けられてしまった。階層が分化し、流動性がなくなると当然若者のモチベーションは低下する。富裕層の子弟が、自分が育った社会的ポジションを維持するために高い偏差値を目指すだけに終わってしまう。

 最後に補足、弁明しておくが、私の知っている灘高校出身者は自分のことだけ考えているような人物ではない。好人物と言ってよいだろう。ただし、やはりお坊ちゃまというか、貧しい人間やだめな人間に対するまなざしには欠けているかもしれない。もっとも、文字通りエリートの世界を歩んできた人間にはそれは難しいのかもしれない。

 

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