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2011年3月22日 (火)

トップの発言はいかにあるべきか

 中小企業といえども経営者の責任は重たい。組織を最善の方向に導くために何を発言し、どう意思決定し、いかに行動するのか。日々刻々変化する事態のなかで、厳しく判断が問われている。

 大地震から一週間余り経過し、被災した工場の社員にも疲れが見えだし、不満も出てきている。残業したり休日に出勤したりして復旧に努めているのだから、本社からの指示はもう少し現場のことを考えて配慮してほしいというのである。もっともな意見であるが、ここには本社の社員は被災地のことを考えず暢気に仕事をしているという意味の反発の気持ちが含まれている。

 そのときトップは眼をつぶってしばらく考え込んでいた。この発言を聞き流して、このまま会議を閉じてしまってよいものだろうか。彼はしばらくして語り始めた。

 「家族を亡くし、家を失くし、避難所に逃げ込んだ人に比べれば、仙台で被災した社員はずっとましな状況にある。ライフラインが途絶えて苦しんでいる仙台の社員に比べたら茨城の工場の者はずっとましな状況にある。設備が傷んでしまい復旧に忙しい茨城の工場に比べたら滋賀の工場の者はずっとましである。茨城の工場の支援のために残業して増産にあたっている滋賀の工場の者に比べたら本社の社員はずっとましである。地震の対策にあたっている本社の管理職に比べたら一般職はずっとましである。このように、それぞれが置かれた状況は違うが、程度の差こそあれそれぞれが努力しているのである。そのことをお互いが理解し合って、協力してほしい。」

 勢い、自分だけがしんどい思いをしていると考えがちである。人間は自己中心でものを考えたり感じたりすることを免れない。しかし、そうではあっても、一歩下がって周囲に眼を配ることはできる。これを人間の度量というのである。人によって差があるのは仕方ないが、寛容さを持たなければお互いに反目しあい組織は瓦解してしまう。

 本当にこれでよいのか、ベストアンサーは何か、考え続けるのがトップのあるべき姿である。会社を私物化して、私腹を肥やすために経営しているトップがいないことはないが、そういう会社は早晩潰れるに違いない。しかし、そうなって一番気の毒なのはその社員である。

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