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2011年3月14日 (月)

知っている人を選ぶ傾向

 最近では、芸人だけではなく、アナウンサーも首長選挙に立つようになってきた。そしてかなり高い率で当選している。選挙には、一票を投じるために候補者の政策を吟味することが必要であるが、昨今は知名度が最優先であり、さしずめ人気投票の感がある。

 昔は知らない候補者でも、支持母体や推薦団体に対する信頼感で投票していた。ここが推すなら間違いないというわけだ。しかし、労働組合の影響力が低下し、政党自体も弱体化した現在では、候補者そのもので選ばざるをえなくなった。そうすると、一番のキーは「知っているか」どうかである。もしくは顔を「見たことがあるか」どうかである。その候補者の政策や信条を斟酌する時間的な余裕がなく、また機会も十分に与えられていない有権者には、そういう単純な基準しか残らないのだ。

 一番知っている人を選ぶ。そうすると、売れっ子タレントや眼に触れる機会の多いアナウンサーが断然優位になる。弁護士や企業経営者や大学の教授なども候補者としての資質を持っていると思われるが、知名度は人気番組のコメンテイターでもやっていないかぎり低いのが普通である。そういう人が多くの票を集めることは不可能に近い。

 有権者が組織化されず、個々人がばらばらの状況では、悲しいかな人気投票的な選挙が横行してしまう。昔は演説会という催しがあって、公民館などに地域住民が集まった。結構政治好きのおじさんなどがいて、日本をどうすべきか議論していた。その論議が的を射ていたかは別にして政治が今よりは身近なものとしてあったということだ。もっとも、その基盤には地域社会の人間関係があった。その関係がベースにあってコミュニケーションも活発にあったし、そのなかに政治的な内容があっても不思議ではなかったのである。

 今、演説会があったとしても、特に都市部では、行ってみたら知らない人ばかりの状態である。身近な人は知らないが、テレビに出ている人のことはよく知っているのである。しかし、テレビに出ている人は自分の生活に直接関係がない。そういう人に地域や国家の未来を託すのは「選択権」の放棄ではないだろうか。そういうと、いい人がいないとか誰がやっても同じだからという声が聞こえそうだ。確かに、候補者側に主たる問題はあるのだろうが、日本の政治家を選んでいるのは日本国民であり、日本の議会を作っているのは日本国民であるという面も見逃したくない。政治家のレベルは日本の文化のレベルを反映しているのである。

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