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2011年3月 6日 (日)

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

 「あばたもえくぼ」と逆の意味だとも言えるし、同じ意味だとも言える。嫌いになったら、その対象が持っているすべての要素が嫌いになる。好き嫌いの感情がその対象の評価を決してしまうという意味に理解したい。

 ある新聞を読んでいると、民主党のやることすべてに難癖をつけている印象を受ける。私は民主党の支持者ではないので擁護はしないが、論調があまりに極端ではないかと思う。総選挙で民主党が大勝したときには世論に気を使ってどの新聞も好意的であった。左翼系の新聞でさえもやや好意的であったように思う。
 マニュフェストの一部には積極的な部分があったし、国民の側には明らかに期待感があった。それが自らの落ち度で瓦解していったことは民主党自身の責任であるが、袈裟まで憎むことはなかろう。これが対抗勢力としての自民党が戦術としてそういう批判のやり方をするのなら分からないではないが、報道機関なのだから幾ばくかの公正な視点があってよいのではないか。個人の好き嫌いの問題ではないのである。

 個人の感情の問題になると、この「袈裟まで憎い」現象はよくある。男女の仲がそうだ。恋愛していたら相手の肉体や性格的な特徴が魅力的に感じられるし、すること為すことがすべて好意的に受け取れる。おならまで可愛く聞こえるというやつだ。ところが一転、感情のすれ違いが起こり始めると、なんでもかんでも不愉快に受け取られる。箸の上げ下ろしが気になり、脱いだパンツが不潔に感じられ、おならなどしたら逃げ出したくなる。さすがに、こうなったら元には戻れない。どうせ別れるなら、そこに至る前に手を打った方が幸せかもしれない。いくらか好い感情を残しておきたいものだ。

 こんなことを書いていると随分経験しているように思われるかもしれないが、そんなことはない。しかし、大なり小なり誰にも思い当たるところはあるに違いない。とはいえ、よくよく考えてみると、嫌いになるのは最初から大して好きではなかったからではないか。あるいは、相手の本質ではなく、見かけだけを好いていたからだろう。

 好きになることが上手な人は、人を嫌いにならないのかもしれない。

 

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