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2011年3月の投稿

2011年3月27日 (日)

見えないところ

 家事などほとんどやらない私だが、バスやトイレなど自分が使う部分で汚れが眼についた時には、少しばかり掃除することがある。

 今朝トイレを済ませた後で少し低い姿勢から便器を見ると、裏側と言えばよいのだろうか、いつもは視界に入らない部分がたいそう汚れていた。上からの視線では捉えられない部分である。掃除は眼に留まる範囲でやっているわけだ。 

 人間には、見えていない範囲の方が大きい。身近な生活においてさえ、物理的に見えない部分もあるし、家族という濃密な人間関係においてさえ行動のみならず感情においても見えぬ、あるいは感じぬ範囲が大きい。ましてや、その外の世界においてはほんのごく一部しか見えていないのである。

 いや、自分自身でさえ見えていない部分が大きい。人間には無意識の領域が広範に存在していて、そこに動かされているのだという。その闇の領域に眼を凝らして、自分とは何かを問い詰めることが人間の知的活動の大きなテーマであろう。また、人間が社会的動物である以上、それは同時に社会というものの探究でもあるのだ。

 情報が様々なメディアを通じて大量に流れている。見えない部分を見るための手段として有用ではあるが、いずれにしても事実を断片でしか伝えられない。映像の脇にあるもの、あるいは奥にあるものを知るためには、「想像力」を持たねばならない。

 日頃から、ちょっとした情報に対しても、その周辺に眼を凝らす訓練が必要だ。

2011年3月26日 (土)

たまには変化球を

 真っすぐばかりの投球は見ていて面白くない。球速150kmを超えるようなプロでもトップクラスの直球なら魅せることができるが、並の投球なら飽きてしまうし、その前に打ち込まれてしまうだろう。

 私が書いているブログの組み立ては真っすぐが基本だが、たまには変化球を混ぜている。政治、経済、経営に関する記事が直球だとすると、文学や音楽の記事はカーブやシンカーか。ごくごくたまにではあるが、フォークボールも投げようとしている。ただし、どれだけ落ちているか分からない。

 人間の性格や資質にはいろいろな面がある。自分のことを考えてみると、周りには真っすぐばかり見せて生きている。私が変化球を投げることを知らない人がたくさんいるのである。ブログを読んでくれたら別の側面も分かってもらえるだろうが、ブログのことをほとんど宣伝していない現状では知る人が少ない。おそらく家族でも、私は真面目腐った人間だと思っているに違いない。実はそうでもないのである。

 真っすぐばかりでは投げる方も疲れるのだ。たまに変化球を投げることは、自分への見かたを変えるだけではなく、自分自身もリラックスさせて、投球に活力を与えるのである。

 ブログは書きたいことを書くのがよい。特定の個人を批判するとお叱りのコメントをいただくことがあるが、無力な人間の日記だと思って許していただきたい。たくさん投げていると、たまにはデッドボールもあるのである。

ますます重要になる省エネ

 大地震にともなう東電の原発事故で、原子力発電への信頼性が一気にダウンした。それは、電力会社への不信でもあり、原発施設を製造するメーカーへの不信でもあり、ひいては安全管理・危機管理の責任を負う政府への不信でもある。

 今回の事故は海外からも重く受け止められている。日本のように地震や津波が起こる確率の低い国であっても原発政策への見直しが進んでいる。この流れによって予想されるのは、開発中止であり、日立と東芝は原発を売ることができなくなるだろう。そして、当然ながら国内の原発は事故にあっていない施設も含めて瀕死の状態である。

 福島だけではなく、他の地域の原発も停止させるだろう。そうすると電力の30%が供給不能になる。この犠牲を国民や企業が等しく負担することになると、使用電力を30%カットしなければならなくなるのだ。そのためには省エネ機器の使用と電気機器の使用時間短縮を励行しなければならない。

 地球温暖化阻止を目的に省エネ目標が設定されているが、今回の原発事故をきっかけにして省エネに対する取り組みが緊急性を帯びるに違いない。関西に住んでいるから大丈夫だと言える性格の問題ではないのである。

水平と垂直

 地震の話題ばかりになってしまうが、津波の映像の話である。地震のあとNHKテレビで、田畑や民家を飲み込みながら内陸に向かって進んでいく津波を上空から映していた。今までに見たことのない映像で、まわりにいた社員たちも固唾をのんで見つめていた。津波の威力は想像を絶する凄まじいものだった。

 翌日やっとのことで家に帰ったあとテレビで様々な映像に触れることになるのだが、テレビ局の映像もあれば素人の映像もあったのだが、それらのほとんどは当然ながら海抜数十メートル上の位置からではあるが、ほぼ水平に津波を捉えている。実は、上空からの映像よりもこちらの方がはるかに怖いものである。

 まさに巨大な海水の塊が襲って来るのである。なかには泥を含んだ真っ黒な塊もある。それが防波堤を軽がると越えてくる。津波と言うと文字通り波だと思ってしまうが、そうではない。波とは桁違いの海水の量は桁違いのエネルギーを持っており、防波堤を軽々越えていってしまうのだ。

 同じものでも垂直方向から見るのと水平方向から見るのとでは全然違って見える。ものによっては垂直方向から見る方がリアルな場合もあるだろう。

 いろいろな角度から見ることが大事である。

Sumi Jo(スミ・ジョー) Ave Maria

  暗黒の世界を突き刺す閃光。そんな表現ができそうなスミ・ジョーの歌声である。

 東北関東大震災から2週間。被災された人々の疲れは蓄積し、厳しい領域に近づき始めているに違いない。またそのような人々や津波で全壊した集落などの映像を毎日見せつけられている日本人全体が疲労感に襲われている。笑ってはいけない、騒いではいけない。もちろん、笑えるような状況ではないし、騒ぐことなどなおのことできはしない。しかし、陰鬱な心境の連続はあまりに辛い。じわりじわりとボディーブローのように精神にダメージをもたらす。

 そんな時にスミ・ジョーの歌声が聞こえてきた。鳥肌が立つ。Ave Maria、信仰は持たぬが、救いの手が差し伸べられているような心持になる。音楽は私の心を癒してくれる。それぞれの立場に苦しみはある。甘っちょろい苦しみだと誹りを受けるかもしれないが、そのうちのごく微細な部分ではあっても他の人々の苦を引き受けているのだと思う。

 被災地の人々にまず必要なものは音楽ではないだろう。食べるものであり、温かな空気である。衣食足りることが人間にとってどれだけ大事なことか。

 衣食足りていることに感謝しつつ・・・・・今日は、震災をしばし忘れてくつろぎたい。

2011年3月24日 (木)

向陽高校 藤田 進学先

 この検索キーワードで、このブログの記事にアクセスする方が結構いらっしゃる。残念ながら、知りたい内容に至ることができず、藤田君が選抜で活躍した時の記事に行きついてしまう。

 「向陽高校 ピッチャー 進学先」という検索もあった。藤田君のピッチングが素晴らしかったために記憶に残り、大学でのプレーを期待しているからだろう。

 藤田君は筑波大学に進学しました。野球を続けるそうです。詳しくは、「KGセミナー塾長の日記」を検索してください。藤田君が通った塾の先生が書いているブログです。そこには、藤田君の合格体験記があります。

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震災で問われる行政の力(雑感)まとまりませんが・・・

 テレビの報道を見ていると、避難所に必要な物資が行きわたらない状況がある。こういう時こそ行政がその機能を発揮すべきであるが、残念ながら十分な役割を果たしていない。

 通常の生活は市場のメカニズムの上に成り立っているが、それだけでは生活者の要求を満たすことができないので行政というものが存在し、サービスの提供を中心にして活動している。
 災害で市場がその機能を停止した時には、物資の供給面でも行政が動く必要がある。店舗や道路が破壊され、売買(交換)を通じた商品の供給が断たれた時には市場以外のシステムが補完しなければならない。ところが、それが上手くいっていないという実態がある。

 行政が市場に見劣りしない柔軟で効率的なシステムを開発・構築することが必要である。それは交換とは違う原理で動くシステムでなければならない。私は行政について深く勉強していないので知らないが、研究者はこういう問題もテーマの一つにしているのだろう。また、現実の行政の場でもこれまでいろいろなことが試されてきたに違いない。しかし、今回のことでそれがまだ不十分であることが明らかになった。

  行政の弱点は住民のニーズを汲み上げられないことにある。上から下への流れはあるが、その逆はない。私の実家では、役場から有線放送を通じて情報が流れるが、それは一方通行であり、役場に情報が集約される仕組みがない。政治(意思決定のシステム)における住民参加という仕組みに加えて、ニーズをとらえて行政による財やサービスが上手く循環する仕組みが欲しい。

 今回の被災は広域に渡ったために、さらに対応を難しくしている。企業としては救援物資を送り込みたいのだが、それを県庁が受付けたあと、物資の受け入れ先を探し始める。受け入れ先が確定するまで企業は待っていなければならない。何日ものロスが発生する。日常的に縦横の連絡が取れていたならもっとスムーズにいくと思うのだが。もっとも通信手段がやられると連絡さえとれないという事情もあったに違いない。

 自治体とはいえ、文字通りの自治組織になっていない。自治には、まずは住民の意思が大事であるが、それだけでは不十分で、やはりシステムが欲しい。

 話は逸れるが、企業における人間関係というのは行政に似ている。経営組織を支配しているのは市場原理ではない。特に日本では。一つひとつの仕事の成果に値段が付くようになり、それを後工程が評価するようになったら仕事の質が向上するように思うが、それでは視野が狭くなって全体最適の判断ができなくなる。また評価する側が圧倒的に力を持つようになるから人間関係もいびつになる。かつて成果主義の失敗は、このような原理を性急に持ち込んだことで生まれた。

 後工程を考えた仕事をすべきであるが、それに対する報酬は金銭ではなく、「感謝」であろう。感謝を媒介として、お互いが仕事の成果を受け渡しできるようになれば、創意が生まれ、連帯が生まれ、組織は活性化するだろう。今やっている風土改革の重要な切り口である。とはいえ、精神論では自律的なメカニズムは生まれないので、やはり仕組み、仕掛けが必要なのである。

 以上、雑感。いずれ整理したい。

2011年3月22日 (火)

トップの発言はいかにあるべきか

 中小企業といえども経営者の責任は重たい。組織を最善の方向に導くために何を発言し、どう意思決定し、いかに行動するのか。日々刻々変化する事態のなかで、厳しく判断が問われている。

 大地震から一週間余り経過し、被災した工場の社員にも疲れが見えだし、不満も出てきている。残業したり休日に出勤したりして復旧に努めているのだから、本社からの指示はもう少し現場のことを考えて配慮してほしいというのである。もっともな意見であるが、ここには本社の社員は被災地のことを考えず暢気に仕事をしているという意味の反発の気持ちが含まれている。

 そのときトップは眼をつぶってしばらく考え込んでいた。この発言を聞き流して、このまま会議を閉じてしまってよいものだろうか。彼はしばらくして語り始めた。

 「家族を亡くし、家を失くし、避難所に逃げ込んだ人に比べれば、仙台で被災した社員はずっとましな状況にある。ライフラインが途絶えて苦しんでいる仙台の社員に比べたら茨城の工場の者はずっとましな状況にある。設備が傷んでしまい復旧に忙しい茨城の工場に比べたら滋賀の工場の者はずっとましである。茨城の工場の支援のために残業して増産にあたっている滋賀の工場の者に比べたら本社の社員はずっとましである。地震の対策にあたっている本社の管理職に比べたら一般職はずっとましである。このように、それぞれが置かれた状況は違うが、程度の差こそあれそれぞれが努力しているのである。そのことをお互いが理解し合って、協力してほしい。」

 勢い、自分だけがしんどい思いをしていると考えがちである。人間は自己中心でものを考えたり感じたりすることを免れない。しかし、そうではあっても、一歩下がって周囲に眼を配ることはできる。これを人間の度量というのである。人によって差があるのは仕方ないが、寛容さを持たなければお互いに反目しあい組織は瓦解してしまう。

 本当にこれでよいのか、ベストアンサーは何か、考え続けるのがトップのあるべき姿である。会社を私物化して、私腹を肥やすために経営しているトップがいないことはないが、そういう会社は早晩潰れるに違いない。しかし、そうなって一番気の毒なのはその社員である。

2011年3月21日 (月)

人間の能力差と責任の重さ

 大学入試の結果を見ると、「灘高校」という学校に「よくできる」生徒がずば抜けて多いことが分かる。東京大学の理科Ⅲ類に17名、京都大学の医学部に25名合格している。難易度からいえば最も厳しいこの2学部にこれだけの人数が集中している学校は他にない。

 この判断は、「偏差値の高い生徒=よくできる生徒」という尺度によっている。今の高等学校の教育においては、基本的に試験問題を解く能力を基準にして生徒を評価している。制度的にはそうである。もっとも、現場、現実、生の人間の実態は制度とは別ものであって、教師から生徒への評価、生徒同士の評価にはそれ以外の基準も適用されている。そうでなければ師弟の関係も、友人関係も生まれえない。

 この偏差値を基準とする教育の体系においては、灘高校の生徒はその頂点に立つ神様のような存在である。しかし、ここで大事なことが二点あって、ひとつは「偏差値の高さ=地頭の良さ」ではないこと、もうひとつは「偏差値の高さ=努力の大きさ」ではないということだ。
 前者について言うと、偏差値はやり方によって大きく上げることができる。入試の世界において出題される問題は一定の限られた範囲からの出題であり、出題の形式にも限りがあるので、地頭がほどほどであっても、それなりの時間をかけて努力すれば誰でも正解率を上げることができる。
 後者について言うと、最終的な偏差値が努力だけの結果ではないということだ。ベースとしてやはり地頭も大きく影響している。いくら地頭がよくても勉強しなければ問題は解けないが、同じ勉強量であったら地頭のよいものはずっとできるようになる。これは事実である。

 灘高校(灘中学)には、おもに阪神地区の秀才が集中する。入試問題はハイレベルだから地頭が要求される。この集中度は首都圏以上である。首都圏ではいくつかの進学校に分散する。開成、麻布、筑波大附属駒場など多々あるが、極端な差がないので校風などによって選択の幅があるのだと思われる。一方阪神地区ではできる子は必ずと言ってよいほど灘へ行くのである。この地頭の集中度が灘の実績を生んでいる。
 私は灘の出身者をかなりの人数知っているが、そのなかには驚くほど頭のいい人がいる。こういう人は高校生の時に大学の数学科で解くような問題にチャレンジしている。こういう次元は努力や単なるテクニックで対応できる次元ではない。灘高生のすべてがこのレベルではないが、このすこぶる優秀な人材を頂点とする集団である。どんな集団にもばらつきはあるから、下位の生徒には他の高校と違いのない生徒も交じってはいるが、上位層の質は間違いなく飛びぬけている。

 さて灘高校を切り口にしたが、地頭の良し悪しは現実にあり、それが入試の結果に大きく影響している。地頭は基本的に遺伝的な要素で決まっており、これをもってすれば、他の生徒よりも少ない努力で偏差値を上げることが可能である。これに高校が持っている入試のノウハウを加えれば鬼に金棒である。
 少ない努力で目標に達するのだから恵まれている。普通の秀才が青春を犠牲にして東大に合格するのとは対照的に、趣味などを持ちながら余裕をもった学生生活を送ることができる。

 結論として言いたいのは、それぞれ苦労はあるに違いないが、才能を持って生まれた者は、それを自分の力とは思わず、たまたま授かった能力だと受け止めなければならないということである。これを天賦の才能と表現したい。
 折角の才能、有り余る才能は自分のためだけに使うのはもったいない。たいそうな言い方になるが、社会の発展のためにそれを使う責任があるのではないだろうか。そういう思想や信念はどうやったら芽生え、その人を根本から動かすようになるのだろう。

 昔の秀才は、官僚の道を選ぶものも多かった反面、自分の出世よりも社会変革を目指して活動した若者がいた。また、そういう若者には地方出身者が多かったように思うし、必ずしも富裕な階層の出身者でもなかった。そういう人間にも最高峰の大学を目指すモチベーションがあったし、その背景には学費や生活費が安いという事情もあったのだと思う。

 なにか、すべてが階層で分けられてしまった。階層が分化し、流動性がなくなると当然若者のモチベーションは低下する。富裕層の子弟が、自分が育った社会的ポジションを維持するために高い偏差値を目指すだけに終わってしまう。

 最後に補足、弁明しておくが、私の知っている灘高校出身者は自分のことだけ考えているような人物ではない。好人物と言ってよいだろう。ただし、やはりお坊ちゃまというか、貧しい人間やだめな人間に対するまなざしには欠けているかもしれない。もっとも、文字通りエリートの世界を歩んできた人間にはそれは難しいのかもしれない。

 

2011年3月20日 (日)

西村賢太 「苦役列車」

 小説は、あとで感想文を書くことを想定しないで読み進む。途中であれやこれや(文章の流れが悪いだの、言葉遣いが粗雑だの、見方が狭いだの)考えてしまうと、素朴な読後感が得られないからだ。

 芥川賞受賞の「苦役列車」は読んで面白い作品ではある。実体験に基づいているからリアリティーがあるとは限らないわけだが、この作品にははっきりとした輪郭を持って伝わってくるものがある。それは存在にフィットしたごつごつした文体のせいだろう。これが、清水が流れるような美しい文体だったら違和感を覚えるに違いない。

 西村氏を写真で見ると、中上健次を思い起こす。実際のところはよく知らないのだが、骨太で、肉体労働をしており、喧嘩が強いというイメージである。しかし、作品やインタビューなどから判断すると中上のようなスケールは得られないのかと思う。もっとも、あの大作家と比較するのは初めから無理がある。中上は「路地」の問題を抱えており、それは歴史的社会的な視点を持ち込まなければ表現しようのない難問であったからこそ生まれたスケールだったのだ。

 私小説もひとつのジャンルとして悪くはないが、それは日本に独特の限られた分野であり、時間的にも空間的にも発展性は乏しい。小説というよりは、変種のルポルタージュと捉えた方がすっきりするのではないかと思う。それもまた文学には違いない。西村氏がインタビューのなかで、「細々とやっていきます。」と答えていることは、やや謙遜が含まれているのかもしれないが、自らの限界性を自覚した発言ととらえれば評価できるものである。小粒だが光るものになる可能性はある。

 選者の評価を見ると、いつも受賞作を腐している石原慎太郎氏がこの作品を高く評価している。高評価の理由は正直よく分からないのだが、「豊穣な甘えた時代」に対する「反逆的な一種のピカレスク」だと言っている点がポイントである。彼にとっては、あくまで「豊穣な甘えた時代」が問題なのである。それは大震災に対する都知事としての発言からも読み取れる。その良し悪しについてはここでは触れないでおくが、あまりに大きな出来上がった概念でものを見ていくと、生の現実がすくいあげられないのではないかと思う。
 一方、高樹のぶ子氏はこの作品に批判的である。体験を描くのはよいが、そこから生まれる人物の内的変化こそが重要であり、そこを期待したかったと言うのである。文学の立場で言えば、非常にオーソドックスなまともな見方であると思う。もちろん、これはこの作品に限ってのことであって、高樹氏の期待に応えられるかどうかは西村氏自身の成長にかかっている。

 最後に、インタビューで触れられていたが、「フリーターの希望の星」との取り上げ方をされるらしい。しかし、西村氏の日雇い経験はバブル期前後であり今とは様子が違っている。また、家庭の特殊な事情でもって中卒後の労働を強いられている点は、今のフリーター問題と同列視できない。今の問題は、大学を出ても職がなく、希望を失って生きざるをえないという状況にある。その点では、伊藤たかみ氏の「八月の路上に捨てる」などの作品の方が現実を写している。
 もし西村氏が「フリーターの希望の星」でなければならないのなら、フリーターをしながらその悲哀を描き続けるしかないだろう。

火事場泥棒

 

  1. かじば‐どろぼう【火事場泥棒】

    火事場のどさくさに紛れて盗みを働く者。火事どろ。 ごたごたにつけこんで不正な利益を得ること。また、その人。火事どろ。

 大震災は大きな経済的損失をあたえたし、今もあたえ続けている。こういう時に人の不幸に付け込んで利益を得ようとする人間を火事場泥棒と言う。

 自治体の職員や電力会社の社員の装って詐欺を働くような輩は論外だが、商品の販売にあたって常識を超えた利益を乗せるのも火事場泥棒の一種であろう。

 競合メーカーの生産拠点が被災して商品の供給ができなくなったときに、他社が、必要としている業者や消費者に代替供給することは一つの社会的責任であり、正当な行為である。しかし、そういう情報を露骨に嗅ぎまわって歩くのは、あまりに品がない。

 競合メーカーが復旧したらまたそちらで買ってやってください、ぐらいのことを言う余裕がほしい。そのことは決して自分の不利益にはならない。

2011年3月19日 (土)

買占め・買いだめ

 水曜日に急用で東京に出張した。地震の影響か、やや乗客の数が少ないように思った。それ以上に印象的だったのは、トイレットペーパーとティッシュペーパーがスーパーの袋に入れられて網棚に置かれていることだった。自宅用なのか知人へのお土産なのか分からないが、生活用品の不足が首都圏で発生しているので大阪から届けようとしているのである。

 値上げ前の特需というものはよく発生するが、商品の供給不足を見込んでの買いだめ行為が広範囲に起こるのは十年に一度ぐらいだろうか。私の記憶では、前回は低温と日照不足による米の凶作があった年だ。店頭に米が積まれたらすぐに売り切れていたように思う。もっとも、米の場合は急に増産はきかないので、生活防衛として買おうとする心理はよくわかる。その後はタイ米が入ってきて、ひもじい思いは免れたのだった。
 今回も米が手に入りにくい状況が一部地域にあるが、これは物流への不安から来ているので、回復はそう遠くなく、心配はいらない。逆に、買いすぎで米の味が落ちることを心配する。今年の作付も気になるが、秋田や山形などの産地には被害が少なかったし、岩手や宮城も内陸は大丈夫だろう。ただし、福島は原発の影響が相当ありそうだ。農業だけではなくあらゆる経済活動が停止する危険が大である。

 私が小学生のころに石油パニックがあった。洗剤やトイレットペーパーが小売店からなくなった。大変な貴重品となり、お土産に衣料用粉末洗剤を持っていった記憶がある。おそるべき混乱が起こったが、あとで「売り惜しみ」が原因の一つであったことが分かり断罪された。商品自体はさほど不足してはいなかったのである。流通段階で流れを止めてしまうと店頭で欠品が起こり、次の入荷は未定などと書かれると一気に不安を掻き立てられる。商品の供給責任という商売上の原則は外してはならないと思う。

 東京に家族を残して単身赴任をしている同僚は、この休みに帰るに際し、米を買って持っていった。店に米が無いのだそうだ。しかし、しばらくの間であろう。
 わが家では、トイレットパーパーやカップラーメンの在庫は豊富だ。地震で買いだめしたのではない。安い時にまとめ買いをするので普段から物が多いのである。

避難所で感染症の危険増す アルコール消毒液有効

 感染症の予防として、アルコール(エタノール)による手指の消毒が有効である。またインフルエンザの場合はマスクの着用も合わせて対策とするのがよい。

 地震のあと設けられた避難所では水の供給が極端に不足していて、トイレの後に流せない、あるいは手を洗えないという状況がある。このため、感染症がはやり出すと、集団で寝起きしていることもあって、急速に伝染していくことが予想される。現場では自治体の保健衛生関係者などの間に危機感が強まっている。

 私の勤める会社ではアルコール製剤を製造している。地震のあと、インターネットで被災した県のホームページを検索し、救援物資の受け付けについて調べた。そして提供できる品目と数量を文書にしていくつかの県に申請した。ただし、県の担当者によると物資の受け入れ先が決まらないと出荷の要請ができないという。おそらく、担当者にはそれが本当に必要なものなのか判断できないし、むやみに送られても物資を集積するセンターが確立されていないという事情もあるのだろう。とはいえ、実際には現場が必要としている物なのである。

 そうこうしているうちに、仙台市からアルコールが欲しいという電話がかかってきた。もちろん即協力させてもらうと返事すると同時に、宮城県にも連絡をとった。宮城県の担当者は、それだったら話が早いと言い、仙台市に連絡をして調整をしてくれた。次の日には仙台市からの要請文書が届き、警察署に緊急車両の証明書を出してもらい配送の段取りをとったのだった。

 その後も福島県の住民からアルコール提供の要請がメールで届いた。これについても現在対応中である。新聞によると、あるメーカーがアルコール製剤を何千本と寄付したらしいが、このような声を聞くと、その物資はどこへ行ってしまったのかと不審に思う。どこかの倉庫に眠っているのなら全く惜しい話だ。

 物は使われてこそ値打ちがある。必要としている人々がどこにいるのか、その情報をキャッチするシステムが重要だ。本来行政は住民のニーズをつかむのが仕事なのだが、その機能が不十分である。柔軟で迅速なシステムを開発しないと、いつまでも市場こそ最高のシステムだという考え方一辺倒の人間ばかりになってしまう。

唐橋ユミさん 

 私は自称「深キョン」ファンである。自分で言っているのだから間違いない。随分前から気になる女優さんである。彼女は1982年11月2日生まれなのでもう28歳である。28歳になっても幼い感じが抜けないが、それが彼女の良さである。

 さて今日は深田恭子の話ではない。唐橋ユミさん。TBS系列のサンデーモーニングで、スポーツコーナーを担当している。この番組に出てくる女性キャスターはそれぞれ知的で上品であるが、なかでも唐橋ユミはピカイチである。

 彼女は若く見えるが、1974年10月22日生まれで、すでに36歳である。インターネットで調べれば経歴が分かる。福島の酒造メーカーの娘らしい。

 あれこれ書くことはない。ただ、サンデーモーニングでの登場を楽しみにしており、毎週うっとりしながら見ているだけである。

 ブログで堅苦しい話題を書いている割には、私はミーハーなのである。

 唐橋ユミ・オフィシャルブログ → http://ameblo.jp/konokonoka/

2011年3月14日 (月)

知っている人を選ぶ傾向

 最近では、芸人だけではなく、アナウンサーも首長選挙に立つようになってきた。そしてかなり高い率で当選している。選挙には、一票を投じるために候補者の政策を吟味することが必要であるが、昨今は知名度が最優先であり、さしずめ人気投票の感がある。

 昔は知らない候補者でも、支持母体や推薦団体に対する信頼感で投票していた。ここが推すなら間違いないというわけだ。しかし、労働組合の影響力が低下し、政党自体も弱体化した現在では、候補者そのもので選ばざるをえなくなった。そうすると、一番のキーは「知っているか」どうかである。もしくは顔を「見たことがあるか」どうかである。その候補者の政策や信条を斟酌する時間的な余裕がなく、また機会も十分に与えられていない有権者には、そういう単純な基準しか残らないのだ。

 一番知っている人を選ぶ。そうすると、売れっ子タレントや眼に触れる機会の多いアナウンサーが断然優位になる。弁護士や企業経営者や大学の教授なども候補者としての資質を持っていると思われるが、知名度は人気番組のコメンテイターでもやっていないかぎり低いのが普通である。そういう人が多くの票を集めることは不可能に近い。

 有権者が組織化されず、個々人がばらばらの状況では、悲しいかな人気投票的な選挙が横行してしまう。昔は演説会という催しがあって、公民館などに地域住民が集まった。結構政治好きのおじさんなどがいて、日本をどうすべきか議論していた。その論議が的を射ていたかは別にして政治が今よりは身近なものとしてあったということだ。もっとも、その基盤には地域社会の人間関係があった。その関係がベースにあってコミュニケーションも活発にあったし、そのなかに政治的な内容があっても不思議ではなかったのである。

 今、演説会があったとしても、特に都市部では、行ってみたら知らない人ばかりの状態である。身近な人は知らないが、テレビに出ている人のことはよく知っているのである。しかし、テレビに出ている人は自分の生活に直接関係がない。そういう人に地域や国家の未来を託すのは「選択権」の放棄ではないだろうか。そういうと、いい人がいないとか誰がやっても同じだからという声が聞こえそうだ。確かに、候補者側に主たる問題はあるのだろうが、日本の政治家を選んでいるのは日本国民であり、日本の議会を作っているのは日本国民であるという面も見逃したくない。政治家のレベルは日本の文化のレベルを反映しているのである。

2011年3月13日 (日)

東日本大地震対策会議

 今日の午後、会社の幹部が集まって地震の被災状況について情報を集約し、今後の対策を話し合った。主に社員とその家族の生活の支援と被害を受けた工場における生産と出荷の体制について話し合った。

 仙台ではライフラインの切断によって著しい困難に見舞われている。電気、ガスが止まり、燃料も手に入りにくくなっている。したがって寒いなかで暖をとることができず凍えている。また調理ができない状態にあるし、そもそも食料品自体がほとんど手に入らなくなっている。
 テレビでも報道されているが、ガソリンが不足し車での移動を控えている。明日からは営業所に出勤してくるが、仕事ができる条件にはない。

 彼らにはトラックを一台仕立てて新潟~山形回りで物資を送ることを決めた。水、乾麺、トイレットペーパー、ウエットティッシュ、生理用品、ラジオ、電池、携帯電話の充電器(乾電池から充電するもの)、懐中電灯、ポリ容器などをリストアップし購入し、トラックに積んで送り出した。車とドライバー2名はいつもお世話になっている運送会社が協力してくれた。

 仙台についてはそういう事情だが、茨城の工場に勤務する社員も食品の不足には頭を悩ませているし、ガソリンや灯油も手に入らなくなっている。どうも買占めが行われているらしい。これがエスカレートすると石油パニックのときのような混乱が起こる。東京でもガソリンは一度に20Lまでしか入れてもらえないらしい。さすがに関西までは飛び火しないと思うのだが・・・。

 工場の被害は意外に少ないと思われるが、明日から稼働してみないと分からない。加えて、輪番制の停電が始まる。他の工場と協力して生産を行い、製品の供給に努めたい。それが社会的責任でもある。

 自分の会社のことばかり書いたが、今回の災害は国難である。復興のために企業としても、一人の国民としても力を尽くさなければならない。

2011年難関国立大入試結果寸評

(この記事はサンデー毎日3月20日特大号のデータによる)

 大きな地殻変動は起こっていない。いくつかの高校で大幅な増減があるが、それは例年見られる現象だ。ただしもう少し長いスパーンで捉えると順調に伸びている高校と低迷しつつある高校がみえてくる。

 東京大学の合格者数を見ると上位に来る高校はほぼ安定している。ただし、今年の麻布は結果がよくない。特に現役生の成績が低迷した。内情が分からないので詳しい評価はできないが、こういう学年はあるものだ。麻布の場合は長期的な傾向ではないと思われる。とはいえ、麻布も特別な学校ではなくなってきたということだろう。次に首都圏では、埼玉の開智が大きく躍進した。現役生の合格者数では、ラ・サール、東海、愛光という歴史のある私学に並んでいる。今後も増減はあるだろうが、上昇していくのではないか。
 
 関西に住んでいるので西日本の高校が気になる。一番気になるのはラ・サールの大幅な減少だ。昨年予測したように、西日本のミッション系進学校の実績が低迷する傾向にある。大阪星光学院も10人を上回るのがやっとだった。
 それとは別に智弁和歌山も減少させている。そろそろ息切れしてきた感がある。和歌山は智弁一辺倒だったが、経済情勢も影響して公立校が巻き返しつつある。これは和歌山だけではなく、関西全体に広がっている傾向だと思われる。それは京都大学の合格者を見ていると特によく分かる。

 その他では例年言及しているが、灘のレベルの高さに脱帽する。理科Ⅲ類に今年も17名が合格した。開成と巣鴨(この実績は立派だ)の5名を大きく引き離している。京大医学部の25名を合わせると42名にもなる。難易度では最高峰の二つの学部にこれだけ入れられるのは灘しかない。灘の実情に詳しい友人の話では、地方の国立大医学部に進む生徒はかなり成績が下位の者らしい。その下の授業についていけない生徒になると早慶へ進む場合もあるようだ。

 続いて京都大学の合格者数だが、上位は安泰なものの、先ほど書いたように公立校のポジションが上がっている。天王寺高校、膳所高校、大手前高校、神戸高校などが増やしており、今後の伸びをも予感させる。この傾向は地方でも見られるものである。たとえば、三重県では私立の高田が合格者を減らしている半面、公立の四日市高校が実績を伸ばし、差を広げつつある。

 以上寸評である。
 

映像で見る巨大地震の爪痕から

 マスコミの映像に加えて、住民の撮った動画がテレビに流れだした。特に大津波によって地域社会が一気に破壊されていく光景が映し出された時には、文字通り絶句するしかなかった。自衛隊のヘリから津波の動きがリアルタイムで放映された時にもこれまでに感じたことのない興奮を覚えたが、水平方向からの映像はそれ以上の恐怖を感じさせずにはおかない。

 津波が目前に迫っているのに気がつかないのか立ち止っている住民がいる。また、同じ状況の中でウインカーを付けて左折している自動車があった。
 高台で、飲み込まれる家々を眺める住民がいた。顔を覆う者、手を合わせる者、泣き声を上げるもの。さまざまだが、全体としては静かである。敢えて言えばあまりに静かである。言葉も出ないという状況かもしれないが、別の国では叫び声や大泣きする声が聞こえそうな気がする。

 なにか、絶望的な状況をも受け入れてしまうような諦念が文化としてあるのだろうか。それはともかく、日本人はいつまでも悲嘆にくれず、すぐに再生に乗りだす。過去を引きずることなく、きわめて現実的に生き始める。ここに教訓を活かせない弱みもある。歴史的に考えることは苦手で、自分の生活スケールでしか考えることができない傾向がある。しかし、ここには力強い面もある。悲嘆にくれず、消滅した集落を再生しなければならない。集団で移住するという考えもあろうが、それもまたできないのが日本人である。

 流木を一本ずつ拾い片づける高齢住民の姿が目に浮かぶが、この際重機などを使って一気に整地して計画的な再生を目指したらどうだろうか。土地の権利関係どうのこうのと言う事態では最早なかろう。千年に一度の災害ならば、一千年を経て日本人も変わらなければならないのではないか。

 今回の津波は想像を超えていた。住民には大丈夫だという思いが根強くあった。経験的に狭い入り江は危ないが、そうでなければ来ないという見方が代々受け継がれている。私の実家も海の近くにあるが、直線的な海岸であり、台風への対策として築かれた防波堤があるので少々高い波でも防げると信じている。ところが、今回の映像を見ても分かるように津波とは言え、実体は波ではない。巨大な水の塊である。押し寄せる海水の量とそれが持っているエネルギーは凄まじい。それはやすやすと障害物を乗り越える。

 最早、後悔しても始まらない。こういうことがありうるのだということを知った。国家の持てる力をスピードを上げて注入し、復興をはかろう。危機管理の意識は住民レベルでも高まるに違いない。それはいいことだ。地球という天体の活動を制御することは不可能なのであり、動きを観察することで予測を立て、必要な対策を講ずることしかないのだ。前向きで、合理的な精神をベースに持って、しっかりと生きていくしかないのだ。

 (別の話だが、これで菅政権が救われた面がある。政権が抱える問題がなくなるわけでは全くないが、しばらく国民の関心は地震と津波の被害とそこからの復興に集中する。そこでの政府の活動も注視する。会見での首相と官房長官の話の内容と態度は比較的まともであった。危機が人を気丈にさせる部分があるのだろう、原稿を見ずしっかりとした口調で語っていた。これで野党の存在が見えにくくなる。政府を攻撃しづらくなるのだ。一時的に内閣支持率は上昇するに違いない。)

2011年3月12日 (土)

東日本巨大地震を体感し、茨城から帰る 

 午後3時半に新大阪駅に到着した。それからいったん会社に立ち寄って自宅に帰りついた。

 昨晩は常磐線佐貫駅近くのビジネスホテルに宿泊した。金曜日に龍ヶ崎市にある工場で会議を行い、その日のうちに大阪に帰る予定であったが、地震の影響で足を失ったために二泊目を余儀なくされた。大きな揺れから1時間足らずで帰宅を諦めホテルの予約を行ったのだが、判断が遅くなれば空室はなかった。

 工場の社員にホテルまで送ってもらったが、先発隊から食べるものがないと電話が入ったので途中でコンビニを探す。しかし、停電しているエリアでは店を閉めており、開いていても調理済みの食品は売り切れていた。また、持ち帰り弁当の店は列を作って待っているし、ファミレスも順番待ちの客であふれている。停電しているエリアでは信号もつかないので警官が出て主導で交通整理を行っていた。

 そのうちに先発隊から電話が入った。一人がホテル近くの焼肉屋で順番を待ってくれているらしい。ホテルにチェックインした直後に電話が入り、今から食事ができるという。
 生ビールを飲みながら焼肉を食う。締めはビビンバである。腹いっぱい食べられた。

 帰って風呂に入るのも面倒になり、そのまま眠ろうとしたが、かなりきつい余震が続くためすぐに目覚めてしまう。なぜかテレビが映らないので、携帯電話で情報を得ると、福島沖や茨城沖、あるい新潟や長野を震源とする地震まで起こっていた。これだけ連鎖的に地震が発生するのも元の地震が巨大であったからだろう。それでも午前4時を過ぎると余震の頻度と規模が小さくなっていった。

 朝、宿泊した社員が集まって朝食をとる。買い出しに行った社員がコンビニであるだけ買ってきた、カップラーメン、アンマン、ケーキ、ヨーグルトなどである。私はラーメンをいただいた。それなりにおいしい。

 テレビで取手駅から電車が出るとの情報があり、タクシーで行くことになった。駅まで行ってタクシーをつかまえ、ホテルで他の社員を拾う。さほど渋滞せずに到着する。しかしそこからが大変だった。ホームに入ると大勢の人が列を作って並んでいる。手前ほど混んでいそうなので先の方へ行く。人間は近い方から並ぶ習性があるのだろうか。それは楽をしたいからなのか、リスクをとりたくないからなのか。

 十数分待ってやっと発車。アナウンスでは次の列車が出る時刻は未定だという。ホームの人々は皆乗ることができた。そこから先は超満員の状態で、窮屈極まりない。途中ではもう乗車できなくなる。とはいえ、都内が近づいてくると降りる乗客が増え始め、車内に余裕が生まれてきた。私鉄がほぼ復旧しているからである。そして大手町駅で下車する。ここまで1時間40~50分かかっている。大手町から東京駅までは遠い。

 東京駅で昨日使えなかった指定券を切り換えようとすると、1時間以上空席がないという。それではと、自由席に並んで乗ることにする。しかし、それも結局1時間並んでやっと座れる列車にありつけることになった。昨日私と同じように乗れなかった人が集中したからだろう。12時50分ののぞみで大阪に帰ってきたのだった。

 地震発生からほぼ1日で帰ってきたことになる。今回の出来事も忘れられない経験となろう。それにしても、余震を感じながら工場の食堂で観た津波による惨劇には驚愕した。生放送であれだけの災害を目の当たりにすることはたびたびあるものではない。

 会社では、仙台に住む社員のために食料や日用品を乗せたトラックを仕立てることにした。あす早朝に大阪を発ち、東京によって東北道を北上する。

茨城県に出張中、大地震にあう

  工場で会議中に数分にわたり大きく揺れた。怪我人はなかったが設備に被害がでた。

 かなり強い余震が続く。常磐線が動かず帰阪不能。早めにホテルを押さえて正解。コンビニに食料なし。食堂大混雑。

 深夜も余震続く。東北の被害甚大。体感する。会社の業績への影響も出るだろう。

2011年3月 8日 (火)

基準位置のずれ

 腕時計はシチズンの電波時計を使っている。5年余り使ってきて、中国に行ったときに現地時間に自動調整しないので不便なぐらいで、特に問題なく動いていた。

 ところが今年に入ってから3分進んだ。そしてその状態で、正確に動いていた。説明書も失くしたのでしばらくはそのまま使った。現在の生活のなかで3分の狂いはさほど障害にならない。かえって3分早く行動しようとするので都合がいい場合もある。

 ところが、最近のある日、狂いがさらに大きくなった。いつもの時間に起床し、出勤までの支度を始める。家内がまだ寝ていたので起こす。用意を済ませて、弁当を受け取り家を出ようとすると、今日は早いねという。いつも通りだがと言いながら置時計を見ると、いつもより20分早い。電波時計がさらに狂いを拡大していたのだった。

 さすがにこれだけ狂うと使えない。とりあえず、別の安物の腕時計を付けて凌ぐ。安物とはいえ時間は昔の時計に比べてきわめて正確である。1週間はそれで過ごし、先の土曜日に電波時計を買った電気店に修理を依頼すべく訪れた。
 電波時計なのに狂い出したのですが修理可能でしょうかと尋ねる。そうすると、かなり年配の技術者らしい女性が、基準位置のずれかもしれませんのでシチズンの売り場で係りの人に声をかけてくださいという。「基準位置」という言葉は聞いたことがないが、なんとなく電波を受けて時間に置き換えるために時計側にも基準を持っていなければならないのかと思う。尋ねると、少し時間をいただければずれを補正しますとのこと。結果、30分ぐらい店をうろうろしているうちに直っていた。

 電波時計だから狂わないものだと思っていた。だから狂ったら故障だと思ってしまう。知識がないとそういう判断をしてしまう。インターネットで調べていれば、メーカーのホームページなどにいくらでも説明があったのだ。

 ちなみに、保証期間は過ぎていても無料であった。単なる調整作業だったからからだろう。

(何十万円という額のブランド品がたくさん並んでいる。さすがに高いのは見た目が良い。欲しくなるが、そんな身分ではない。)

2011年3月 7日 (月)

男はつらいよ シリーズ第1作

 私が知っている範囲でも、「男はつらいよ」を語らせるとうるさい人が何人かいる。全作観ていて、何作目がいいとか、作を重ねるにつれて内容がどう変わっていったとか論評する。私はそれほどのマニアではないが、この映画が好きで、自分のなかでは他の映画とはカテゴリーを異にするものとして認識している。
 全48作のうち劇場で観たのはおそらく10本程度だ。他はテレビやDVDで観ているが、40作を越えたあたりからは見逃している作品もあると思う。葛飾区内の映画館で観たことがあり、観客とスクリーンとの距離(心理的)が非常に短く、寅さんの親戚が観に来ているという感じだった。

 さて、DVDで久々に第一作を観た。初めての作品ということで、山田洋次の気合を感じる。挑戦的で、ある意味各所に棘があって、観ていてひやひやしてしまう。一般庶民の感覚からすれば、寅さんにそこまで言わせるかと思ってしまう。おいちゃん、おばちゃんに対する言動やさくらの見合いの席での振る舞いは乱暴で、失礼極まりないものである。それを言わせているのはやくざな世界と堅気の世界の対照が必要であり、その二つの世界のぶつかり合いに喜劇が生まれると同時に悲劇も生まれるのではないかと思う。その後の連作を予定していたのかどうかは知らないが、あとの展開もその関係を基礎にしている。付け加えると、堅気の世界が必ずしも正しいわけではない。正しくはないのだけれども、それは政治や教育の影響を受け規格化されてしまい、本来人間的であるはずの感情や振る舞いを矯正しにかかるのである。
 しかし、そういう作品の特徴は、作を重ねるごとに薄れていくように思える。堅気の世界、世間とのぶつかり合いのなかで寅次郎の棘が取れていくのか。あるいはまた、作る側も、観る側も、そして車寅次郎も次第に歳をとり、分別ができて丸くなっていくのだろうか。

 ところで、マドンナの光本幸子がいい。天真爛漫でかわいいお嬢さんを演じている。これがマドンナの原型である。育ちがいいから寅次郎を端から敬遠することはない。寅次郎に好意はもっても恋愛感情にはならない。別の世界に住んでいるからこそマドンナである。太地喜和子演ずるぼたんや、浅丘ルリ子演ずるリリーは寅次郎と同じ世界の人間であり、マドンナとは言えない。観る側から言えば、ぜひ寅次郎とリリーとは一緒にしてやりたいのだがそれは叶わなかった。リリーはいつでも受け入れる気持ちがあったのだが、寅次郎の方に分別ができてしまい、逆に距離ができてしまったように思える。

 志村喬がいい。この人に上手いなどと言ったら失礼だ。登場時間は短いが、ひろしの親としてのスピーチは最後の山を作っている。この場面なしに第一作は語れない。志村喬と三国連太郎は本当にいい。

 他の役者も適材適所でいい。というか、長く観てきているのでイメージが出来上がり、はまり込んで見えてしまうのだろう。倍賞千恵子、前田吟、森川信、三崎千恵子、太宰久雄、笠智衆。森川信は八作目までだが、あの飄々とした感じが好きである。太宰久雄は中小企業の経営者の苦労を代弁してくれている。映画を観ている経営者は、彼に自分の姿を投影して観ているに違いない。

 
 

2011年3月 6日 (日)

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

 「あばたもえくぼ」と逆の意味だとも言えるし、同じ意味だとも言える。嫌いになったら、その対象が持っているすべての要素が嫌いになる。好き嫌いの感情がその対象の評価を決してしまうという意味に理解したい。

 ある新聞を読んでいると、民主党のやることすべてに難癖をつけている印象を受ける。私は民主党の支持者ではないので擁護はしないが、論調があまりに極端ではないかと思う。総選挙で民主党が大勝したときには世論に気を使ってどの新聞も好意的であった。左翼系の新聞でさえもやや好意的であったように思う。
 マニュフェストの一部には積極的な部分があったし、国民の側には明らかに期待感があった。それが自らの落ち度で瓦解していったことは民主党自身の責任であるが、袈裟まで憎むことはなかろう。これが対抗勢力としての自民党が戦術としてそういう批判のやり方をするのなら分からないではないが、報道機関なのだから幾ばくかの公正な視点があってよいのではないか。個人の好き嫌いの問題ではないのである。

 個人の感情の問題になると、この「袈裟まで憎い」現象はよくある。男女の仲がそうだ。恋愛していたら相手の肉体や性格的な特徴が魅力的に感じられるし、すること為すことがすべて好意的に受け取れる。おならまで可愛く聞こえるというやつだ。ところが一転、感情のすれ違いが起こり始めると、なんでもかんでも不愉快に受け取られる。箸の上げ下ろしが気になり、脱いだパンツが不潔に感じられ、おならなどしたら逃げ出したくなる。さすがに、こうなったら元には戻れない。どうせ別れるなら、そこに至る前に手を打った方が幸せかもしれない。いくらか好い感情を残しておきたいものだ。

 こんなことを書いていると随分経験しているように思われるかもしれないが、そんなことはない。しかし、大なり小なり誰にも思い当たるところはあるに違いない。とはいえ、よくよく考えてみると、嫌いになるのは最初から大して好きではなかったからではないか。あるいは、相手の本質ではなく、見かけだけを好いていたからだろう。

 好きになることが上手な人は、人を嫌いにならないのかもしれない。

 

2011年3月 5日 (土)

ネットカンニング考

 インターネットを使ったカンニング行為で仙台市の予備校生が逮捕された。この事件はマスコミの格好の報道材料にされて、世間を騒がせている。もちろん、やったことは不正であり弁護することはできないが、罪の程度そのものは、これだけの騒動になり、そのために生じた社会的制裁の大きさに比べれば小さいし、そのやり口も単純稚拙なものだけに大きな憤りを誘わない。

 この事件がこれだけ話題にされるのはネット社会の広さと深みを象徴しているからである。予備校生が行った行為は、入試を課している大学側から見れば、その被害の大きさはカンニングペーパーを使ったカンニングと同じである。不正を行って合格した受験生がいたのか、いなかったのかという問題である。実損はそれだけである。逆に、これだけの騒ぎになると大学側の監督体制を問われることになり、マイナスが大きい。関係する大学が続けて被害届を出したのは、被害者としての立場を世間にアピールしたいからだろう。

 投稿型のネットカンニング(検索型のカンニングもありうる。ひょっとしたら、見つかっていないだけで、これはすでにやられている可能性がある。)の特徴は、不特定多数の協力を得ようとするところにある。不特定多数との接続がネットの魅力である。私が問題だと思うのは、そこから得られる情報をあまりに信用しすぎることである。この情報への過度の信頼性をこの事件から感じた人は多いだろうと思う。藁にもすがる思いだったに違いないが、回答が正しいという保証は誰も与えてはくれない。そういったリスクをネット利用者、特に若者は知るべきだろう。

 いろりろな対策が考えられている。なかには携帯電話の持ち込みを禁止するという案もあるらしい。すでに携帯電話は生活の必需品である。特に入試のような大事な日には家族や友人との連絡、交通情報の検索などに大きなメリットがある。一件の事件をもって全体に縛りをかけるのはいかがなものか。パンツのなかにカンペを隠し持っていたからといって、全員にパンツを履いてくるなとは言わないだろう。
 受験生には不正の愚を説こう。教育のよい機会ではないか。そして監督者には役目に応じた適正な監視を求めよう。これが普通の対応ではないか。

 老人から大金を騙し取ったり、ひったくったりする若者に比べたら、この予備校生の罪は小さい。前者には大きな怒りを覚えるが、後者に対してはそれほどでもない。しかし、報道は圧倒的に後者が大きい。いや、前者はあまりに頻繁に発生するのでニュースにもならない。予備校生は不起訴になるとの見方もあるが、今後世間を騒がせた悪い意味での有名人として生きていかねばならない。制裁は大きい。

2011年3月 4日 (金)

暴走するゴミ収集車

 私は徒歩で通勤している。家を出るのは6時半ごろであり、かなり早い。冬場はまだ日の出前であり、真っ暗である。

 通勤路は大通りから一筋入った静かな道路に沿っている。商業ビルや大型の小売店などが建ち並んでいるが、早朝はまだ人通りが少ない。逆方向に向かう人が多いのは、私が乗降客の多い駅近くに住んでいながら駅を利用せず、駅から遠ざかる方向に歩いていくからである。

 通勤途中で特に目に留まるものは、大型のゴミ収集車である。それは自治体のものではなく、企業相手に民間が行っているサービスである。それらに共通するのは、ひどく急いで走り回っていることだ。会社が始まる前の限られた時間に集めて回らなければならないし、ドライバーが一人ですべてをこなさなければならないという事情にもよるのだろう。

 それは見ていて暴走と呼ぶのが適切だと思うほど強引である。大体が、トラックの後ろからゴミ集積所に突っ込んでいくので、たまたま歩行者がいたら危険である。競争で回収料金が下がり、徹底して合理化をおこなった結果の実態であり、作業者に罪はないように思うが、見ていて恐ろしい。

 

2011年3月 1日 (火)

日本の大学と教育(自らの経験から考える)

 1979年4月に私は早稲田大学に入学した。第一志望だった学部に合格したことで結果に満足感があったし、希望も抱いていた。

 先日書類を整理していたら、大学1年生の時のクラス名簿が残っていた。1年生だからこそできた名簿である。以降クラスというものは実体として存在しなかった。
 そこには出身高校やこれからの抱負が書かれている。ラ・サールあり、開成あり、麻布あり、学芸大附属あり、その他多くの進学校が目につく。私のように全く無名の高校から来ている者は少ない。そんななかでも入学者はいくつかのグループに層別される。まず東大が第一志望だったが落ちて不本意ながら早稲田に来た組。これは東大崩れというらしい。次に早稲田を狙い通りに突破して入ってきた組。最後はあちこち受験して上手く早稲田に引っかかった組。私は第2の組で、一番満足度の高いグループと言えるだろう。友人のK君は、自分は第3の組だと語っていたのを覚えている。全国的に著名な進学校から来ている者の多くは第1の組に入るのだろう。
 抱負は大半が前向きで、勉強したいと書いている。なかに数名、徹底的に遊ぶと宣言しているものがいるが。入りたての自己紹介だから、建前が入る。厳しい入試を通過して、はっきり遊びたいとは言わないものの、しばらくはゆっくりしたいというのが皆の本音であったと推測する。そして、テニスのサークルや旅行のサークル、スポーツの同好会などに入り、講義にはあまり出ず、小遣い稼ぎでいくらかアルバイトをこなし、試験前にノートのコピーを集めてそこそこの成績をとって卒業していったのである。

 入学して私を捉えたのは建前上社会科学を勉強するサークルだった。私のアイデンティティーは早稲田の学生であることよりもこのサークルの一員であることにあった。ここで学んだものが大きかったと今でも思う。しかし、逆に言えば、正規の講義から学んだことは皆無であった。講義に出なかったのだから当然のことである。学ぶ機会を放棄してしまったことへの反省は必要であり弁明はしないが、大学の側にも問題があった。
 「マスプロ化」という言葉があった。学部で一学年の人数が千数百人もいた。四学年合わせると6千人程度いたと思われる。これだけの学生が密度の濃い教育を受け、自ら研究に打ち込めるだけの条件はなかった。まず物理的に施設が貧弱だった。試験の期間中は皆登校するものだからキャンパスが大変混雑した。友人に言わせると、カリキュラムは何割かの学生が登校しないことを前提に作ってあったのだ。また、教授陣が質も量も貧弱だった。このことはかなり多くの学生の共通認識であったので、私も参加した有志での改善要求には強い支持が集まった。その運動がどれだけ影響を与えたか確証はないが、そんなことを考えなければならない状況にあったことは間違いない。早稲田と言えば、慶応と並んで私学の雄というイメージがあるが、実態はこんなものだった。

 ある印象的な出来事がある。私の所属するサークルは校舎の地下にあった。べニア板で囲った粗末で汚い部室だった。あるとき、そこにアメリカからの(たぶん)留学生が数人やってきた。英語でまくし立てるので意味が分からいないが、どうやら核兵器についての意見を聞きたいと言っているようだ。一所懸命聞き、答えたいと思うのだが、こちらに能力がない。そのうち、こりゃだめだという表情とポーズをとって引き上げていった。早稲田の、世間では一番優秀だと思われている学部の学生がこんなにも無能だと分かって呆れたのだろう。

 実は、これが日本の大学の正味の姿である。早稲田でこれである。当時から早稲田では凋落傾向にあると自虐的なギャグが口にされており、実際慶応に大きく水を開けられてしまったが、他の大学はもっとひどいのかもしれない。もっとも、偏差値は早稲田より低くても、まじめに教育活動に力を入れている大学もあるに違いない。とはいえ、大学経営の厳しさはどの大学でも同じだろうから、やりたくてもできない客観的条件があろう。

 大学は大衆化してしまった。だれもかれもが学問において世界的な水準に達することはない。大学は研究の場である前に、教育の場である。社会人あるいはビジネスマンとして生きていくうえで必要になる考える力と知識を身につけて卒業すればよい。そのなかの一部のとりわけレベルの高い連中が研究段階に進めばよいのである。

 問題は、最低限の能力と知識が身につく環境があるかということだ。まず学内の環境。教室や図書館やラウンジなどの基本的な施設の確保。また教員の充実。加えて、勉学に打ち込めることを保障する社会的な条件はどうか。最近では、高い授業料と生活費を稼ぐためにアルバイトに追われたり、奨学金を借りたりで大変だという。もちろん、一人ひとりの学生にしてみれば泣き言を言っている場合ではないが、社会的な視点で見ると問題は大きい。

 これまで政府の失政で税金が無駄に使われて財政が悪化し、教育予算の増額を要求しても通りにくい状況にある。日本の世界における存在感を高めるためにも人材の育成は急務であり、教育投資は欠かせないのだが厳しい。しかし、この問題は避けて通れない。活路はここにしかないのである。

 学生から知的好奇心が失われていくように見える。それは単なる誤解であればよいのだが。大人に交じってもそん色ない、あるいは大人を負かしてしまうほどの主張を期待したい。

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