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2011年2月20日 (日)

音楽鑑賞 ピアノ演奏を中心に

 最近の休日は家で音楽を聴いている時間が長い。媒体は、CDかYouTubeである。ここ半年ぐらいはクラシックのピアノ演奏が多い。

 CDはそれほどたくさんもっているわけではない。ホロヴィッツ、アシュケナージ、アルゲリッチは複数枚あり、他はギレリスやランラン(郎朗)などだ。ランランのCDは昨日買ってきたものである。実は、ユンディ・リを買うはずだったのだが、タワーレコードのクラシック売り場にはランランの品ぞろえが豊富だったので、そちらに手が伸びてしまった。

 ユンディ・リとランランはともに1982年生まれの中国人だ。ユンディが重慶出身で、ランランは瀋陽出身だ。ランランのCDが多いのはその実力に加え、アメリカで活動しているという事情によるものだろう。どちらがうまいかは、今の時点では分からない。いや永久に分からないだろう。私はピアノの専門家ではないのだから。ピアノなんて弾いたことがないし、そもそも楽譜が読めない。たよりは自分の耳とハートだけだ。素人が鑑賞する際の基準は客観的なものにはならないから、否応なく「好き嫌い」の次元になる。

 前にも書いたが、同じ作品でも演奏によって随分違って聞こえる。それは素人にも分かる。一線級のプロが、同じ楽譜をもとに弾いているのに違うのはどういうわけだろうか。古い時代のものなら明らかに録音技術が影響しているだろう。ピアノの機種や調律の具合で音は違う。弾いているホールの造りにも影響される。
 そういう外的な要因もあるが、本質的には演奏者の技術や解釈の問題がある。世界的に評価を受けているピアニストであれば技術的な水準は高いに違いない。とはいえ、一口に技術とは言っても、そこには型がある。スポーツなら分かりやすいのでプロ野球を例にするが、打ち方投げ方には個性がある。また打球の距離の違いや投球のスピードの違いがある。それと同じことが芸術の世界にもあると類推しても間違いあるまい。そういういろいろな型があるなかで、誰が一番優秀かと問うのはかなりの難問かもしれない。速球派が好きな人もおれば変化球投手にピッチングの妙味を見出す人もいる。

 技術のほかに、解釈の違いもあるようだ。私は全くと言っていいほど楽譜が分からないので、音符がどれほど厳格なものか分からない。音の高さは叩く鍵盤が決まっているのだから変えようはないが、音の長さは解釈次第で変わるのだろう。そしてその組み合わせである旋律は演奏者によって違ったものになってしまう。同じショパンを聞いても、ホロヴィッツとルービンシュタインとアルゲリッチでは違う。専門家から見れば、そんなこと当り前だというのだろうが。私の好みでは、全般的にホロヴィッツの弾き方が好きだし、曲によってはアルゲリッチがいいと思うものもある。これは私の勘違いなのかもしれないが、他のピアニストが速く弾く(楽譜がそうなっているからだろう)部分を、ホロヴィッツは速度を落として我流のリズムを作って聴かせているように思える。文字どおりの素人なので、思いこみかもしれないが。

 個人的な現時点の評価は、1位がホロヴィッツ、2位がリヒテルである。続く世代のアシュケナージやアルゲリッチがそれに続く。ユンディ・リ、ランラン、上原彩子などの世代はほとんど聴いていないので評価できない。正直言って、ピアノも少し飽きてきているので、また他の分野に興味が行ってしまうかもしれない。続いていたら、また新たに発見したことを書いてみたい。

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