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2011年2月の投稿

2011年2月28日 (月)

中東の反政府行動から考える市民の政治

 大衆、市民、労働者といった概念で表わされる人々が、日々生産と消費を繰り返して社会の基礎を維持している。これは、技術、産業構造、消費生活などがどれだけ近代化しているかにかかわらずどんな国においても同じである。

 どんな国でも国家による統治を受けている。政治の形はさまざまある。国によっても違うし、時代によっても違う。日本でも、江戸時代と明治時代と高度成長期を経た現代とでは違う。かつては共同体が統治の基本にあったが、今は共同体というものが実体としては消えつつある。特に都市においては、住民は互いに孤立し、職場や学校などと家を行き来するだけになっている。共同体は統治の基礎になっていたと書いたが、逆にそれは反統治の基礎にもなった。要するに共同体は経済の基礎であると同時に政治的な機能も持っている。

 先進国においては選挙制度があり、議会が構成されている。日本では市民の政治参加はほとんど選挙行動に限られていると言ってよい。民主主義の進んだ国では日本に比べて政治参加が進んでいると思われるが、それでもそれが日常茶飯事の行為になっているわけではなく、大半が「生活」に時間を費やしている。後進国、すなわち経済に遅れがあり、政治的にも民主主義が未成熟な国においては主体的な政治参加は全くない。独裁政権が長期にわたって統治し、支配者のための政治が横行し、市民の生活の改善は遅々として進まない。政権が発足した当時は何かしら国家の利益を守るという大義があったのだろうが、それはすぐに支配者のみが潤う体制へと転化していった。爾来、市民、大衆、労働者は抑圧され、政治的な行動の可能性を遮断されて耐え忍んできたのだが、チュニジアに始まった広範な反政府的行動が広がりを見せ始めたのである。

 この動きが始まったことの原因についてはさまざま説がある。ひとつは、徐々に拡大する貧富の差が耐えがたい水準にまで達していること。また世界的な食料品の高騰が市民の生活に危機的な状況をもたらしていること。加えて、インターネットの普及が他国の状況を伝えることによって自分たちの生活苦がきわめて理不尽なことであることを知った点も上げられているし、インターネットによる政治行動の呼び掛けの効果も力説されている。同時多発的に起こっていることの原因としては、このインターネットの役割が重要だと思われる。

 今後の展開だが、心配されるのはこれまで政治行動が抑圧されていたために現政権に代わる市民の利益を代表しうる勢力が育っていないことだ。その結果、新しい政権の運営が軍の影響下に入ることが予想される。民族自決の原則からいうと、しばらくの期間はそういう状態も甘受しなければならないかもしれない。外国が関与して無理やり形を作っても、中身のある体制は定着しないだろう。

 それに比較して日本はどうなのだろうか。選挙で議員を選ぶことができる。また世論調査の影響は絶大で、支持率の急落は政権交代を促すこともできる。しかしながら、選んだ議員、政党が期待通りに動いてくれない。多少の諦めは感じながらも、基本的にはマニフェストを基準にして選択したはずである。それが反故にされるのなら、何を信じてよいのだろうか。日本にもっと直接的な政治行動が根付いていたら、今頃はデモでも起こっていて不思議はない。ここ数年で、そういう行動を見かけたのは非正規労働者が雇用を求めて行ったデモ行進ぐらいである。革新政党や労働団体の影響力も落ちているのだろう。それ自体が日本の民主主義の衰退を表している。いや、それを言うなら国会の空転、機能低下が民主主義の危機を表しているのだ。

 中東における民主主義の成長を案じるなかで、日本の民主主義の危機を感じてしまった私だった。

2011年2月27日 (日)

大相撲の八百長問題再考

ブログネタ: 大相撲の八百長問題、どう思う?参加数

 私は、これまで大相撲の解体的出直しを主張してきた。その基本には、相撲を「スポーツ」として捉え、近代化しようという思いがあった。キーになる施策は部屋制度の解体である。部屋における師匠と弟子の関係、兄弟子と弟弟子との関係など旧来の封建的な関係を温存したまま「スポーツ」に値する競技は成り立ちえないと考えたからである。

 意見の分かれ目は、相撲を「スポーツ」でなければならないと考えるか、昔ながらの「興業」でよいと捉えるかのところにある。私は前者だが、後者であれば、極論すればプロレスの興業と同じように考えればよいことになる。普通に考えれば分かることだが、真剣勝負の格闘技で連日試合を持つことは厳しい。怪我の恐れが付いて回る。大相撲にしても、プロレスの選手たちもある意味運命共同体なのであって、競争関係はあったとしてもお互いに生活のために手を結ぶ必要があった。プロレスの場合はあまりに極端だが、大怪我をしない範囲で技を繰り出す必要があるし、観客を喜ばす筋書きも営業上求められる。大相撲も程度は違うにしても同じ要素が付いて回ってきたのである。

 千秋楽で8勝6敗の力士と7勝7敗の力士が対戦したときの勝敗のデータを調査した学者がいた。数字だけ見ると8勝している力士の勝つ確率は高いのだが、勝ち越しがかかっている力士の方が必死になるだろうことを考えると7勝の力士の勝率がやや高くなるかもしれない。ところがデータでは、7割程度の率で7勝7敗の力士が勝っている。
 両者にとってこの一勝の価値は全然違う。ボクシングのように同じカードが組まれる可能性の少ない競技とは違い、相撲の場合は何十回となく同じ対戦が組まれる。お互いに同じ組織で長く仕事をしてきた人間同士であったら金銭の授受はないにしても、、そこに星の貸し借りが発生しても不思議ではない。これを八百長と呼ぶなら、これを無くすのは難しそうだ。

 このようなことが起こる条件があるのであったら、社会から「スポーツ」として見られても困りますと明確に意思表示をして、これからも大相撲は興業として存続する立場に立てばよい。同時に公益法人の看板は返上する。ファンはプロレスよりも上等ではあるけれども、純粋なスポーツではないことを承知して観戦する。こういう枠組みがありうる。

 繰り返すが、スポーツ化するなら部屋を解体し、親方は辞職し、力士は個人プレーヤー化しなければならない。そうなると年に90番もとることは難しくなるだろう。

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私が選ぶボクシング名勝負

 ボクシングの名勝負を私なりに選んでみよう。日本人の絡んだ試合で、かつ日本人が勝利した試合に限る。名勝負というからには、早い回で決着した試合は対象にならない。

 1 沼田義明 対 ラウル・ロハス (1970年9月27日) 5回KO

 私が小学校の6年生の時代の試合であるが、テレビで見ており、はっきりと覚えている。沼田は一方的にロハスに攻められていた。万事休すかと思われたが、ガードを固めてロハスのパンチを防御し窮地をしのいだのだった。そのうちにロハスは打ちつかれたのかパンチが出なくなり、今度は沼田がロハスのパンチの間隙をぬって狙い撃ちに出た。そして起死回生のアッパーカットが見事に決まり、マットに沈めたのだった。たまに逆転劇はあるが、こんな絵にかいたような試合は滅多にないものである。

 2 大場政夫 対 チャチャイ・チオノイ (1973年1月2日) 12回KO

 自動車事故で現役チャンピオンのまま急逝した大場。その最期の試合である。1回にダウンを奪われ足首をねんざ。その逆境をはね返し、KO勝ちした。
 大場の試合はいつもスリリングだった。ストレートを中心にした真っ直ぐなボクシングで、とにかくよく打ち続けた。変則ではないけれども、フライ級としては今はないタイプのように思う。もし生きていたらとボクシングファンなら誰でも残念に思ったことだろう。もうしばらく大場時代が続いたに違いない。

 3 辰吉丈一郎 対 シリモンコン・ナコントンバークビュー (1997年11月22日) 7回TKO

 辰吉が不利と思われた試合に勝利し、三たび王座に返り咲いた。シリモンコンは20歳で無敗のチャンピオン。27歳の辰吉はスピードでは負けていないがスタミナではチャンピオンに歩があり早い回で終わらせたかった。序盤からジャブが決まり、コンビネーションにもかつてないリズムがあった。またボディー攻撃が有効でダウンを奪う。その後不利を自覚したチャンピオンが捨て身の反撃に出て、辰吉も不用意にパンチを食った。しかし、それでも攻め続け、ダメージの大きかったボディーへの攻撃で再度ダウンを奪う。シリモンコンは気力で立ち上がったがとどめのパンチをまとめられてレフェリーがストップした。

 以上がベストスリーだが、次点として具志堅用高対ファン・グスマンもしくはハイメ・リオス戦を上げたい。連続防衛回数13回はこれからも破られない記録だろう。あれほどバランス良く連打が出るボクサーは他にはいない。
 
   

2011年2月26日 (土)

戦争と文学 「転向」の問題

  戦争のときに文学者は何を考えたか。あるいは何をしたか。何をしたかといっても、あれやこれやの行為を指しているのではなく、もっぱら何を書いたかに焦点はある。

 戦争に積極的に反対の意を表す者は強権の前に姿を消していったが、ある者は公表を前提にしない形式で自分の見方をしたため、ある者は頑なに沈黙を守った。逆に、ある者は進んで戦争に協力する内容の文章を書いた。後者の中には戦争が始まる前には、反戦の主張を行っていた者もいた。

 大学で、思想や文学に取り組んだ者は「転向」の問題を扱ったことがあるだろう。とはいっても最近では聞き慣れない言葉だから、私より上の世代に限られるかもしれない。「転向」とは、辞書で引くと、「政治的、思想的立場を変えること。特に、共産主義者・社会主義者が、弾圧によってその思想を放棄すること。」とある。「特に」以下の説明がこの言葉の本質的な意味である。そのように限定的な意味を持っているから、特に当事者にとって重たいテーマになることは当然である。もちろん、当事者ではなくても、文化・思想・文学に広く関心を持ち、共産主義・社会主義に歴史的意義を認め、また今日的意義も切り捨てない立場にあっては過去の問題として無視することはできないだろう。もっとも、これは単に知的関心から俎上にのせるというよりも、危機における思想と行動の問題として自身に対して問われるべき問題である。

 文学者が弾圧の前に「転向」していった原因は様々な角度から考えうる。そのなかで一番意味のない追及は、個人の意志の弱さに持っていく見方だ。文学者 → インテリの小市民性 → 弾圧に対する抵抗力不足、動揺性という流れはよいとしても、あくまでインテリという層の問題としての捉えていかないと個人の特殊な資質の問題に狭隘化される恐れがある。転向しなかった人間が転向した人間を非難するのは政治的な追及で、これはこれで当事者同士の問題だから口を挟むことはできないのであるが、ここで必要なのは学問的追求である。
 なぜに志半ばで自分の思想や信念を打ち捨ててしまうのか。その原因について、とりあえず思いついたことを書いてみようと思う。

 文学者はもともと小市民的である。労働者ではないし、「活動家」でもない。これは外国でも同じだろう。欧米との比較でみると、インテリというものが政治的社会的な意味で鍛え上げられ自立する機会に乏しかったという見方ができるかもしれない。期間の長短もあるし、官制のインテリであるという事情もあるし、大逆事件で革新的な運動が一気に潰されたという背景もある。インテリのあるべき姿、すなわち、その世界観および自己認識のあり方。また、行動の仕方。それらが、インテリ層内部で共通理解に至るまで戦わされていなかったのではないだろうか。

 一方で、封建制が根強く生き残っていたという要因もある。「家」の観念が個を押し潰す圧力になる。家の恥、一族の恥という攻撃がなされる。現在の日本ではかなり弱まったように思われるが、つい最近までそのような圧力のかけ方が残っていたように思う。

 戦争が近づいてくると、政府や軍に従わぬ者は与太者扱いされる。この期に及んで、まだそんなことを言っているのか、やっているのか。そろそろ大人になったらどうかという具合だろう。だんだんそういう扱いが大勢となってくる。同時に、インテリというものは立派なことを言うが、責められると信念を投げ捨ててしまう脆弱な人々であるという固定観念も意図して流布されたのではないかと考える。

 他の要因として、インテリ自身の世界観の持ち方も取り上げなければならない。彼らの立場からすると、世界および日本の状況を唯物史観の立場から正しく捉えている必要があった。それは単純な公式的解釈にとどまらず日本の特殊性も視野に取り込んだ理解でなければならない。しかし、実際は単純な図式的な認識にとどまり、家のことや一族のことや故郷のことなどはそれとは関係なく内輪で起こっているような理解になっていたのではないか。全体が有機的に結びついた世界観になっていないから、部分を容易に切り捨てられるのである。自己を含めた社会認識、自己の意識や行動の社会的歴史的な理解が必要だったのである。

 とりとめもなく書いてしまったが、これから日本が向かう将来において政治的な岐路を何度か迎えるに違いなく、その場におけるインテリ、知識人のあるべき姿を明らかにするうえであらかじめ検討すべきテーマの一つであると思う。また機会を見つけて関連する文献などから学んでみたい。

2011年2月24日 (木)

デカワンコ(Hさんに送ったメールより)

 「デカワンコ」という番組があるんですね。この場合のデカは「刑事」の意味らしいですが、大きいという意味のデカだと思っていました。加えて、ワンコがウンコに見える時があります。

「デカウンコ」・・・あったらすごい番組ですね。

それで思い出しましたが、学生のときキャンパス近くの喫茶店で洋式トイレに入りました。

そうすると、フランスパンぐらいのウンコが突き刺さっており、流しても微動だにしません。

諦めて出てきましたが、あれは間違いなく日本人のウンコではありません。

あんな大きなウンコをする民族とは戦をしても勝てないなと思いました。

その後、お店の人はそれをどうやって撤去したのでしょうか。

何かはさみのようなもので、細かく切断したのでしょうか?

2011年2月22日 (火)

野村と落合の対談より

 ほんの少しの時間であるが野村克也と落合博満との対談をテレビ番組で観ることができた。最初から観ておればもっと面白い話が聴けたのだが、私が聴けたのはごく一部である。

 野村といえば、南海、ヤクルト、阪神、楽天と長年監督を務めた超ベテラン監督である。落合はそれに比べると経験は浅いが監督としては8年目であり、それだけ取り上げたらもうベテランの域に入ってくる。両者ともに日本の球界を代表する長距離ヒッターであり、ただやみくもに振り回すのではなく、配給を読むなど頭を使ったプレーで独自の道を切り開いた選手である。

 それだけに監督としての采配の経験においても独自のやり方があり、その考え方が一部であっても聞けると大変ためになる。
 落合いわく、「プロ野球の練習時間を短くしたのは野村さんでしょう。考える野球をやるようになって練習も合理的なやり方になった。」野村から中日の練習は12球団で一番長いと言われたことへの返答である。落合は昔のやり方をするのだと言い切る。考える前に体を動かして覚えるのだという。それでも覚えるのに最近の子は時間がかかる。8年やってきて、やっと監督が何を考えているか分かってきたようだと話している。特に最近の子は、まずコーチや監督が悪いと考えてしまう。自分が悪いと考えられるように教育するのに時間がかかるとも言っていた。

 これらのことは会社という組織の運営においてもほぼ同じように考えてよい。時間がかかるのである。だからこそ長い時間をかけて量を追求しないとだめなのだという落合の言には説得力がある。

2011年2月21日 (月)

NHK大阪放送局で番組の収録に立ち会う

  HNK大阪放送局が制作する番組で私の勤務する会社が取り上げられて、その番組収録に昨日行ってきた。関西地区に限定して放映されるある番組の特番としてクイズ形式で企画された。番組本番への出演は社長だけであるが、企業紹介のビデオには私も出演している。そのビデオは有馬温泉のホテルで撮影したもので、浴衣を着て鍋をつっつくシーンで私が映っている。

 さて収録の様子だが、司会はNHKの土田アナウンサー他が務める。詳しい内容は事前に公表してはいけないことになっているので書けないが、主にはお笑いタレントと若い女性タレントが回答者で出ている。収録は思ったより短時間で、撮り直しはほとんどない。民放のバラエティー番組では夜中まで収録することが普通だと聞いていたので、それとは違う展開だった。社長の登場場面も順調で撮り直しはなかった。後で音声が上手く録れていない場面があるとのことで、呼び戻されてそこだけやりなおした。事前にもらっていた予定表どおりの時刻に終わって帰ってきた。

 本番で流れるビデオの時間は約5分で、一日かけて撮影した割には短いように思う。しかし、そんなものらしい。折角撮影に協力してもカットされて全く映っていない場面もありそうなのだ。映らなかった方には申し訳がない。

 

2011年2月20日 (日)

音楽鑑賞 ピアノ演奏を中心に

 最近の休日は家で音楽を聴いている時間が長い。媒体は、CDかYouTubeである。ここ半年ぐらいはクラシックのピアノ演奏が多い。

 CDはそれほどたくさんもっているわけではない。ホロヴィッツ、アシュケナージ、アルゲリッチは複数枚あり、他はギレリスやランラン(郎朗)などだ。ランランのCDは昨日買ってきたものである。実は、ユンディ・リを買うはずだったのだが、タワーレコードのクラシック売り場にはランランの品ぞろえが豊富だったので、そちらに手が伸びてしまった。

 ユンディ・リとランランはともに1982年生まれの中国人だ。ユンディが重慶出身で、ランランは瀋陽出身だ。ランランのCDが多いのはその実力に加え、アメリカで活動しているという事情によるものだろう。どちらがうまいかは、今の時点では分からない。いや永久に分からないだろう。私はピアノの専門家ではないのだから。ピアノなんて弾いたことがないし、そもそも楽譜が読めない。たよりは自分の耳とハートだけだ。素人が鑑賞する際の基準は客観的なものにはならないから、否応なく「好き嫌い」の次元になる。

 前にも書いたが、同じ作品でも演奏によって随分違って聞こえる。それは素人にも分かる。一線級のプロが、同じ楽譜をもとに弾いているのに違うのはどういうわけだろうか。古い時代のものなら明らかに録音技術が影響しているだろう。ピアノの機種や調律の具合で音は違う。弾いているホールの造りにも影響される。
 そういう外的な要因もあるが、本質的には演奏者の技術や解釈の問題がある。世界的に評価を受けているピアニストであれば技術的な水準は高いに違いない。とはいえ、一口に技術とは言っても、そこには型がある。スポーツなら分かりやすいのでプロ野球を例にするが、打ち方投げ方には個性がある。また打球の距離の違いや投球のスピードの違いがある。それと同じことが芸術の世界にもあると類推しても間違いあるまい。そういういろいろな型があるなかで、誰が一番優秀かと問うのはかなりの難問かもしれない。速球派が好きな人もおれば変化球投手にピッチングの妙味を見出す人もいる。

 技術のほかに、解釈の違いもあるようだ。私は全くと言っていいほど楽譜が分からないので、音符がどれほど厳格なものか分からない。音の高さは叩く鍵盤が決まっているのだから変えようはないが、音の長さは解釈次第で変わるのだろう。そしてその組み合わせである旋律は演奏者によって違ったものになってしまう。同じショパンを聞いても、ホロヴィッツとルービンシュタインとアルゲリッチでは違う。専門家から見れば、そんなこと当り前だというのだろうが。私の好みでは、全般的にホロヴィッツの弾き方が好きだし、曲によってはアルゲリッチがいいと思うものもある。これは私の勘違いなのかもしれないが、他のピアニストが速く弾く(楽譜がそうなっているからだろう)部分を、ホロヴィッツは速度を落として我流のリズムを作って聴かせているように思える。文字どおりの素人なので、思いこみかもしれないが。

 個人的な現時点の評価は、1位がホロヴィッツ、2位がリヒテルである。続く世代のアシュケナージやアルゲリッチがそれに続く。ユンディ・リ、ランラン、上原彩子などの世代はほとんど聴いていないので評価できない。正直言って、ピアノも少し飽きてきているので、また他の分野に興味が行ってしまうかもしれない。続いていたら、また新たに発見したことを書いてみたい。

2011年2月19日 (土)

混迷する国会 受け皿としての国民会議?

 国会が混迷を極め、機能不全に陥っている。基本には民主党の揺らぎがある。沖縄問題、小沢問題、法人減税や消費税、子ども手当などに対する態度が分裂し組織の体を失っている。また、そのことが党および党首である菅直人への信頼・支持を失う結果を招いた。

 この揺らぎは、大きく言えば日本が国としての岐路に立たされていることの反映である。ただ単に、政治家の無能だけが原因なのではない。バブル崩壊を機に経済の構造が変化し、国民の階層構造も変わってきた。政治はそれを正確に反映することをしない。確かに数的躍進を遂げた民主党はマニフェストに中間層から下降していく低位層を救う政策を盛り込んでいたが、他勢力との鬩ぎ合い、力関係からそれを実現させるパワーを失った。大企業や富裕層、あるいはアメリカなど外の権力からの介入を防げるほどの力にはなっていないことの表われである。

 この混乱はしばらく続くだろう。歴史は一本調子で進まない。ジグザグを繰り返す。政治の安定への期待は一般論としては理解できるが、民意を反映しない政権と政策の持続は支持できない。民主党の変貌によって一瞬の期待は夢と消え去ったが、今後も生き残りたいのであれば政策での一致点を頑なに守り続けることである。それには確固とした政治理念が必要だが、そんなものがあるのだろうか。政治とは、リアルに見れば反対勢力との闘争である。簡単に崩れ去るような組織では戦えないのである。

 このような混乱を見ていると、現行の議会制民主主義への信頼さえ無くしそうである。形式としては民主主義的な制度を通じて代表が選ばれ国会を形成しているのだから正統性があるのだが、多くの国民が「誰がやっても同じだ」と感じている現状ではその正統性に対してさえ疑問を覚えてしまう。いっそのこと、国会の外に、別個の国民会議を立ち上げ、そこで政策論議を煮詰めたいという欲求に駆られる。そして基本的な政策をいくつかの相対立する草案にまとめ、直接ネット投票で国民に選択させるのだ。多数が参加すれば、決して無視できない世論になるだろう。ここに行政諸機関、警察組織、自衛隊組織などが糾合すれば革命的な状況が生まれるのだが、それはあまりに空想的である。現行の議会制度のなかで進まざるをえないが、そんな空想をしたくなるほど混迷していることは否定できないのである。

2011年2月16日 (水)

出張記(札幌~東京~名古屋)

 13日関空から出発。千歳空港周辺は当然雪景色。夕方4時だが氷点下5度前後で寒い。JRで札幌市内に向かう。一本遅らせて座席を確保。結構混雑する電車だ。札幌に近づくにつれて雪が舞うようになる。千歳周辺よりも札幌近辺の方が雪は多いらしい。

 宿は札幌駅近くのロイヤルセンチュリーホテル。シーズンオフということもあって朝食付きで8千5百円ほど。部屋は広くて快適なのにこのお値段はお得だ。これが夏に向かうと高くなっていく。需要と供給の関係なのですね。夕食は札幌営業所の連中とお得意先でもある居酒屋で。魚介類を中心に北海道ならではのメニューを楽しむ。ししゃもを頼んだが、鵡川産のししゃもが本物だという。われわれが普段食べているのは外国産のししゃももどきであるそうな。鵡川のししゃもは確かに旨い。
 この日は雪まつりの最終日。雪がかなり強く舞っていることもあり、大通り公園方面へは行かず。

 次の日、仕事の途中での昼食は「すみれ」で味噌ラーメンを食べる。独特の味で、旨いが少々辛い。スープを全部飲んだらさぞかしのどが渇くだろう。寒い時は温まってよい。仕事が終わり、千歳に向かう。旭川方面から到着した列車は車体が凍てついている。千歳では、予約してあるにも関わらず席がなく調整で待たされる。同行者の話だと、多めに席を売っているからだという。40分ほど待って席が確保できる。東京行きのポケモンジェットは満員で窮屈だった。
 東京に着くと、羽田にも雪が舞っている。この雪でこの夜から翌朝にかけて首都圏の交通が麻痺する。高速がストップし、電車にも遅れが。営業所の車は上越や信州方面への出張に備えて半数がスタッドレスタイヤを履いているが、通行止めにされたらどうにもならない。新潟への出張者はした道を走ったらしい。
 宿泊は竹芝の旧名弥生会館である。インターネット予約だと7千円。普通に予約するのと2千円も違うのはちょっと解せない。

 東京での仕事が終わり、名古屋へ。食事を済ませてから、名駅近くのスーパーホテルへ。全国展開しているホテルで、どこへ行っても部屋の造りは同じ。ベッドは広いが、浴室がかなり狭い。加湿器等備品類はまずまず。毛布が置いてあるのはありがたい。隣の部屋の物音がほとんど聞こえないのは落ち着けるのでGOODだ。朝食もサービスなので助かる。料金は5590円と割安だ。出張の多いSさんは、このスーパーホテルを基本にしているらしい。今までいろいろなホテルに泊まっているが、最悪は仙台のチサンホテルだった。あまりに部屋が狭い。

 今日名古屋で仕事を済まして帰宅。相当くたびれました。

2011年2月13日 (日)

科学と倫理性(生命の操作について)

 科学の発達は目覚ましいが、研究が踏み込む領域について倫理の面から様々な議論が戦わされてきた。不勉強なため詳細は分からないが、人間の優劣の評価にかかわり、ひいては人間の選別生命のコントロールにつながる問題が生まれてきたように思う。

 話が跳ぶが、競争馬の世界では速い馬を作るための交配が繰り返される。速いといっても、短・中・長の距離特性があるから一様ではないが、それぞれに対応する能力で秀でたものがあれば種牡馬・種牝馬として生き残ることができる。その選から漏れたものは子孫を残すことができない。

 それと同じこと、あるいはそれに近いことが人間の世界にも起こるのではないかという心配がある。身体的な特徴は遺伝に因るところが大きいし、精神的な特徴にも遺伝子の影響は大きい。そうすると、精子と卵子の組み合わせが操作される可能性がある。現に、そういうことが行われているという報道を安っぽい週刊誌で読んだ記憶がある。具体的には凍結した精子の売買の記事であったように思う。
 出産前の検査で胎児に障害の兆候が見られた場合に産む産まないの判断を迫られることがある。法定の期限内であれば、産む者の意思に任されるのだろうが、折角授かった命だから産みたいという気持ちと、障害を持って生まれることは残念ながら現在の社会では大きなハンデを背負うという現実との間で葛藤を生む。法定の期限を過ぎて堕胎すれば犯罪になるのだろうが、いつの時点から「人間」なのかという問題も科学を超えた判断の世界に属する。それは置いておくにしても、医学の発達は早期に障害の兆候を発見することを可能にするだろう。そうなれば、決して歓迎できることではないが、早々と命を絶たれる胎児が増えるのではないだろうか。

 昨日の新聞に、「脳の領域 発達順序に違い」という見出しの記事が載っていた。個人によって脳が発達していくパターンが異なることが分かったというのである。この研究をした教授は、効果的な教育のためには内容を個人に応じて変えていくことが必要と指摘している。
 この研究結果が定説となり、パターン分けが技術的に容易になったら、教育の在り方に影響を与えかねない。たとえば、幼児はA群、B群、C群に選別され、それぞれ別々の教室に所属し、別々のカリキュラムを与えられる。社会的な適応性からいえばA群がもっとも優秀であるとか、芸術的な能力ではB群が高いとかというような評価が一般化したりする。しかし、そんなことになったら、人間に対する選別がさらに強化されることになる。選別の結果は社会的な地位の差や待遇の差として現れるに違いない。

 科学の発達は、今まで未知だった領域に次々に光をあて解明していく。分からなかったことが分かるようになることは基本的に素晴らしいことであるが、分からない方が人間にとって幸せであるという領域が存在していいように思う。どうなるか分からないという不確定な条件の中で人は可能性を見出し、夢を追い続けるものだから。

2011年2月12日 (土)

映画「あしたのジョー」を観る

 劇画を映画にするのは難しいね。原作の印象が強すぎる。ましてスポーツものはなおのこと難しいよ。

 劇画は動かないけれど、映像は流れてしまうからね。たとえば、力石が減量中に水分を求めて水道の蛇口に向かうが、針金で縛られていて愕然とする場面がある。ここはすごく印象的な場面で、漫画では強烈に記憶に残るが、映画だと通り過ぎてしまうんだ。
 スポーツものは本物とのレベル差が見え透いてしまいやすいので大変。しかし、かなり練習したと見えて、違和感を感じさせないレベルに仕上げていた。そこは立派と認めたい。

 一番目立ったのは、丹下段平役の香川照之だ。風貌といい、せりふといい劇画のイメージに近い雰囲気を出している。達者な役者である。それから、いいのが力石徹役の伊勢谷友介だ。絞り切った肉体と眼がいい。
 矢吹丈役の山下智久も悪くはないが、ジョーのイメージとは少し違うかなという感じ。まじめすぎるというか、ジョーにはふざけたイメージがある。

 土曜日の夜6時からの部だったが、、半分以上空席だった。思ったほど成功していないかも。

愛妻物語

 新藤兼人の第一回監督作品である。以前購入したDVDを今日始めて観た。地味な作品で、物語は淡々と進んでいくが、しんみりと心に残る作品である。宇野重吉のせりふは素朴さのただよう自然なものでよいし、乙羽信子には初々しさがあってよい。新藤にとっては自らの体験を描いたものだが、高ぶらず抑制のきいた撮り方になっていると思う。

 敗戦から間もない時期の作品なので、戦時中の風俗もリアルに描かれていると思われる。酒の配給、学徒出陣を見送る人々、映画会社の人員整理、空襲警報などなど。主人公夫婦の生活はとても質素で、小さなお膳にはふた組の茶碗と箸が置かれているだけである。そんな暮らしでも二人には幸福があった。貧しさは決して肯定的にとらえてはならないが、幸福の形には様々あるのだということは言いうる。夢に向かって生きることの意味は、人間存在にとって切り離せないテーマである。

 この映画を観ると、新藤がなぜ老いてもシナリオを書き続けたのかが分かるし、乙羽信子が新藤について行った理由も分かる。昨日のブログで、たいていの人は過去を振り返ったときに「もっとできたはずだ」と後悔すると書いたが、新藤には後悔はないだろう。

2011年2月11日 (金)

老いるだけでは・・・

 知人のMさんからいただいた年賀状にこう書いてある。「歳をとって、歳をとれば賢くなるということが間違いだと分かりました。」

 Mさんは私より一回り以上年上であり、今はリタイアして悠々自適とまではいかないまでも一人でのんびり暮らしているようだ。三十代で離婚し、故郷に帰って私の勤め先と取引のある会社に勤務していた。ある業界紙の記者をしていた経験があり、博識であった。出張すると家に泊めてもらい、いろいろは話をした。映画の話をしても話が通じるので面白かった。今から考えると少しニヒルな面があったかもしれない。

 そういうMさんだから、歳をとるだけで賢くなるなどどは思っていなかったはずだ。それにもかかわらずあのような言葉が出るのは、「もう少しできたはずだ」という小さな悔恨があるからに違いない。

 「もう少しできた」という思いは、多くの人に共通したものではなかろうか。私は完全燃焼しましたと言える人間は、正真正銘の天才か、志の低い人ではないか。誰しも夢を抱くものだが、夢に向かって具体的に前進を始める者は少なく、そこにおいて力を出し切れる者はさらに少なく、夢を現実のものとする者はなお一層少ない。
 まっすぐ前を向くことは容易ではない。大半の人間はよそ見しながらおおよそ前に進んでいるのである。それが悪いと言いたいのではない。時に失敗したり、時に手を抜いたりしながら生きている時間のすべてが自分の人生である。最期に満足して死ぬか、後悔の気持ちを残して死ぬか、それは本人の選択の問題である。失敗や苦労の連続であったとしても、生きるに値する人生だったと思って幕を引くことは一つの自己救済であろう。
 いくら家族に看取られながら逝くにしてもこの世を離れるのは一人である。そのときに自分の人生に意味を付与するのは自分自身であり、それを絶対化してくれるのは神や仏の存在である。信仰を持たない人にとっても、最期の最期には絶対的なものが必要とされる。死へ向かうことは、科学では説明できない次元の問題であるからだ。

 さて、「もう少しできた」はずである。「やろうと思えば」という条件が付くが。しかしやらなかった。それはやることで生まれる犠牲を恐れたからだ。それも一つの判断である。すべてを手に入れることはできないのだ。政治家が「自己責任」ということばを使うのは嫌いだが、個々人がどういう生き方を選択するかは、あくまで「自己責任」の領域の問題なのだ。

 やりたいことはだれにもあるはずだ。実際にやるためには、何を捨てるか決断しなければならない。

2011年2月 7日 (月)

話すことの難しさ(いとしこいしの話芸に学ぶ)

 書くことにも話すことにも難しさはある。一般的に言うと、話すことは誰にでもできるが、書くことは一部の人にはとても難しい芸当である。

 自分自身について考えてみると、文章を書くことよりも人前で話すこと、しゃべることに難しさを感じる。書くことを生業にしている人と同じく、しゃべることで飯を食っている人達がいる。そのしゃべりが一定の水準を超えるようになると「話芸」と呼ばれるようになる。この「話芸」には奥深さがあって、極めれば名人の域に達し、多くの人を魅了する。

 落語があるし、漫才があるし、司会の仕事があるし、他にもいろいろなしゃべる仕事がある。落語は主に東京の芸人のものを好んで聴く。落語は小屋、あるいはホールで聴くものである。テレビでは時間の制約があって、長い話は流すことができない。
 少し前は円生をよく聴いたが、最近は小三冶を聴く。円生の話は名人芸だが、小三冶も名人の域に入ってきたのではないかと思う。もちろん円生には及ばないが。東京の落語は噺家によって違うが、ゆったりした間がある。溜めと言ったらよいのだろうか。何秒か沈黙があっても違和感を感じさせない。そういえば、徳川夢声の宮本武蔵なども独特の間があって魅力的だった。(生では聴いていない。CDである。)しゃべり急がないところに味が生まれるのであるが、ただゆっくりしゃべるだけでは何の面白味もないのであって、そこが「間」というものの説明の難しい魅力なのである。早い遅い、強い弱い、高い低い、そういう変化とメリハリがある型になって出来上がってくるとそれが芸になるのだろう。司会を仕事にしている人でも自分の話口調を持っている。

 漫才になると、一人ひとりの話しっぷりを材料にしながらも、芸の形はふたりの話と話の関係の問題になる。ひとつの模範的な例として、いとしこいしの漫才を上げたい。以前は、やすしきよしや巨人阪神などの刺激の強い漫才が好きだったが、10年ぐらい前からはいとしこいしがよいと思うようになった。晩年も味があってよかったが、昭和50年代のビデオをみるとテンポといい、間といい、最高の水準にある。ネタは生活に密着した、ある意味平凡な中身だが、この域に達すると何度聴いても面白い。話芸、話術が確立しているから飽きられることがないのだ。対照的にネタ偏重の漫才はマスメディアに露出するとすぐに飽きられる。最近の若手芸人は、利用されてかわいそうな面はあるが、そういう例が非常に多い。以前でも、ツービートはネタ偏重で、たけしの発想力とテンポで持っていたし、三球照代は国鉄や地下鉄のネタが受けることでそれが固定化してしまい、三球がほとんどしゃべるパターンになっていた。テレビが芸をだめにしてしまったと言えるだろう。

 ベテランの芸人には研ぎ澄まされた技があるが、これも何十年という長い間に場数を踏んで試行錯誤してきた結果である。なぜ受けなかったのかを真剣に考えて修正を繰り返してきたからであって、これが俺のしゃべりだと居直っていては進歩がない。なにごとも自己中心では未来は拓けないのである。

2011年2月 6日 (日)

団結ほど怖いものはない

 エジプトが大変な事態になっている。ムバラク追放という一点で意志を共にする諸集団、諸勢力が集合して政権に圧力をかけている。一枚岩ではないにしてもこれだけの人数が集まると相当な政治的力を持つので、むやみに砲撃を加えるわけにはいかない。そうするには大義名分が必要だが、丸腰の相手をむこうにして掲げる大義はない。こうなると政権側としては反政府勢力の疲れを待つ持久戦しかないように思うのだが、勢いが増せば陥落は時間の問題だろう。それぐらいベクトルをもった集団の力は巨大である。

 一般的に経営にとって団結した労働者ほど怖いものはない。気に入らないからと言っても、労働者を一気に総入れ替えすることはできない。相応の理由がなければ解雇はできないし、一部であっても入れ替えることは機能低下を招く。人間は機械ではなく、経験やノウハウや独特の感性を保持した高度な資本である。そのかけがえのない人達が固まって要求を突き付ければ受けざるをえない。だから、そこに対しては様々な事前の工作が施されるのである。御用組合を結成して団結を緩める、労働者のなかにいくつかの階層を作って分断する、家族を招いての催しを企画して家族的雰囲気を醸成するなどなど。

 一方で、企業にとって競合する他社に団結してぶつかってこられると脅威である。サラリーマン的な感覚で、適当に仕事をしておけばよいという社員がそろっている企業は怖くない。飲みに行って経営者や上司の悪愚痴ばかりを酒の肴のしているような会社は怖くない。戦略を共有して、力を集中して攻め込んで来る競合は怖い。同時多発的にそういう動きをされたら実際防ぎようがないだろう。気が着いた時には一定の陣地を奪われていたという結果になる。逆に言えば、自分たちがそうなれば勝てるのである。

 私は民主的な経営の可能性を信じている。上場会社であれば利益の一定の割合を配当として株主に差しださなければならないが、残りの分配の仕方についてはより公平感を持たせる策があってもよいだろう。成果をストレートに社員で分かち合いたいのなら上場廃止という道もある。もっとも昨今の上場廃止は、株主に気を使わず好きなように経営したいという欲求に出発している。
 民主的という意味は社員に甘い経営をするという意味ではない。方針を理解し、方針に向かって力を発揮してもらうことがその中心にある。「参加」という言葉の方が分かりやすいかもしれない。そして成果はより公平に分かち合うのである。民主的な力を引き出すこと、社員を経営に参加させることは非常に時間とエネルギーを使うプロセスである。しかし、これこそが企業経営の神髄ではなかろうか。それがあってこそ企業は公器となりうるし、そのことでどんな時代、そんな社会にも通用する普遍性を獲得することができると信じている。

2011年2月 5日 (土)

ひと工夫必要な「すなおや」東三国店

 食べるものがおいしい、特に魚類が。淀川区に5店舗を持つ居酒屋チェーンの「すなおや」へときどき家族で出かける。今晩は東三国店へ。

 店内はほぼ満席。ここはいつでも客が多い。今日はいつもと違って不満を感じた。注文したものがなかなか来ないのである。特に終わりに頼んだ寿司類は30分以上、おそらく40分近くかかっている。途中で待たせているのが気になってかお茶を持ってきた。

 結論を簡単に言うと、客の数が料理提供のキャパシティーを超えているのだ。料理人が少ないのか、厨房が狭いのか。そこが解決しないのであれば、席数を減らすべきだ。お客に不便をかけていてはサービス業の名がすたる。

 最後は、頼んだ手羽先が出ないうちに勘定してもらい出てきた。どうも手羽先は通ってさえいなかったようだ。お待たせして申し訳ありませんでしたと謝ってくれた。こういう点は店名にあるように素直なのだが、店舗の運営は素直だからできるものではなく、計算が必要である。段取り上手、やりくり上手が求められる。時間との勝負である。

大相撲改革論(2008年9月6日の記事を再掲載)

 若ノ鵬の大麻所持事件を受けて、相撲協会は抜き打ちの尿検査を行った。これは協会自身の管理体制の甘さへの批判から逃げるための、言い訳的措置であったが、なんと二人の力士に陽性反応が出てしまったのだ。これには協会関係者が一番驚いたに違いない。露鵬ら二人のロシア出身力士には、続けて精度の高い検査が実施されたが、やはり陽性の結果が出てしまった。本人たちは否定しているが、物質が出ているのだから言い訳は苦しい。

 これまで何度か相撲協会の不祥事について書いてきたが、今だに根本的な改革に着手されないままである。協会は、国技という名のもとに安住し、保守的で閉鎖的な組織を維持することで自らの地位を確保しているのだから自浄作用は望むべきもないというのが真実かもしれない。

 八百長疑惑はずいぶん昔からあった。週刊誌で告発される形をとるが、曖昧にされ、忘れ去られる。これが何度となく繰り返される。大半の国民は八百長の存在を否定しないであろう。金銭の授受はともかく、星の貸し借りというレベルでいえば、間違いなく行われている。勝ち越しを懸けた一番で、勝ち越し負け越しが確定した力士が、相手方に星を貸すということが起こる。部屋別総当たり制で、部屋の力士同士は当たらないが、同門同士では対戦があり、助け合うことは人情として分かる部分がある。真剣勝負を旨とする格闘技の世界ではあってはならないことだが、部屋制度の問題を考えると無理からぬ要素は認める。

 これ以外にも、双羽黒問題、朝青龍問題、時津風部屋での暴行致死事件など数多くの問題を発生させ、そのたびにはっきりしない対応をとってきた。根本的な対策になっていなかったことは、不祥事の繰り返しで証明されている。ここに至れば、すでに論議が起こっているように、協会の解体にまで踏み込まなければ再生はありえないであろう。早く、解決しなければプロとしての相撲という競技そのものが消滅する可能性もある。

 部屋制度は解体すべきである。力士は全員、フリーにすべきである。新人は、テストを受けて力士学校に入る。当然ながら全寮制で、食事など生活の面倒は、新しく結成された新協会の新人育成部門が担当する。そこではライセンスを取得した先輩力士が実技や社会人としてのマナーや見識を教え込む。力士だからという特別な規範は必要ない。普通の常識が備わればいいのだ。一定の水準に達した力士は卒業だ。今までのように、相撲界に入ればすぐに土俵に上げるというやりかたは続けてもいいかもしれない。しかし、一定の期間に決められた番付まで上がれない場合は、退学しなければならない。

 さて、卒業すれば、協会の設立したトレーニングセンターに所属する。生活は基本的に併設の寄宿舎で寝起きする。部屋や食事は番付によって差をつける必要がある。けいこは、やはりライセンスを取得した先輩が行うが、部屋がなくなっているので、便宜上ランダムに振り分けられたグループに属するようにする。地方場所の宿泊やけいこも、今までお世話になったお寺などでグループごとで行う。

 これぐらいの改革を行わなければ、生き残ることはできない。力士も今の体制に甘えることなく、一アスリートとして自活していかなければならない。

2011年2月 2日 (水)

自ら考え、自ら行動する

 最近よく聞くフレーズである。私の勤務先でもことあるごとに言われるし、雑誌などにもよく書かれている。意味は文字通り理解すればよいので難しいことはない。大事なのは、なぜ今こんなことが言われるのか、その社会的背景である。

 要は先例に倣って仕事をすることができなくなっているのである。これまでは、先進国がたどってきた道を同じように歩んでいればよかった。力のない企業は先進企業が取り入れているシステムを真似すればよかった。学問や文化の世界も同様だった。

 ここには、日本の社会も長足の進歩を遂げ真似るものが残り少なくなってしまったという事情がある。方や、ゆっくり教えている余裕もなくなったという事情も合わせて考えなければならない。
 改善活動でも、その手法などにまだ学ぶべき点はあろうが、考える手順にさほど違いがあるわけではなく、目の前で発生している問題に真摯に対峙するしかない。それが自ら考え、自ら行動するということの含意である。本を読むより、実例で考える方が大事である。形式にとらわれるよりも、なんとか解決しようという意欲が人を育てるのである。

 とはいえ、その意欲を引き出すのが難しい。どんな企業、どんな組織にも共通する悩みの種なのだ。

2011年2月 1日 (火)

伴走者

 視力のない人がマラソン競技にチャレンジする場合には伴走の役割を果たす人が必要になる。短いロープを握り合って呼吸を合わしながら進んでいく。ロスを少なくするためには、走者の癖やその日の調子をつかんでいなければならない。また、そもそも競技者と同等以上の走力が前提となる。

 これはマラソン競技の話だが、人生も同じではなかろうか。よい家庭を築くには、よき伴侶が必要だ。お互いに良い要素を引き出すための伴走者でありたい。至らぬ点をあげつらって足の引っ張り合いをするのは悲劇である。
 人の成長には、前向きに応援してくれる人の存在が欠かせない。よい点を発見し、それを高く評価し、励まし続ける人。イチローにはチチローがいたし、彼の才能を評価できるコーチがいたし、監督がいた。成功者には大抵の場合そういう役割を担う存在が見られる。ただ、まれに落合にように孤独の中で自分の力を信じて戦わざるをえない選手がいる。もっとも落合には夫人という強力な支援者が現れるのだが。

 アスリートだけではない。あなたにも私にも、よいところを認め、さらに力を引き出してくれる人物が必要だ。いますか?いると明確に言える人は少ないでしょう。確かに家族は温かい。でも、本当に意識的に、かつ表現としては行きすぎかもしれないが戦略的に導いてくれる相手は少ない。現実には、自分からそういうことを要求はできないから、自分の現状をできるだけ情報公開して、相手がアドバイスしやすい状況をつくることである。

 黙っていては分かってくれないし、助けてもくれないのである。

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