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2011年1月16日 (日)

伊達直人現象

 伊達直人の連鎖。結構気軽にできる行為だから、自分もやってみようという気になりやすい。寄付をするという行為にわれわれは慣れていない。せいぜい街頭募金に応じて、募金箱に小銭を入れる程度だ。金額はほんの賽銭程度。賽銭感覚か。

 ランドセル、文房具、おもちゃ・・・。ランドセルは金額がはるな。複数買うと何に使うのかと疑問を持たれる。伊達直人するんじゃないかと。数万円のお金なら誰にでもできないことではない。かといって、名前を名乗るほど信念を持ってやっているのでもない。匿名で、かつ特定の施設に贈る。団体には贈りたくないのだ。そこからどこに配布されるか分からないから。顔が見える相手に贈りたいのだ。それでこそ、自分の行為が喜んでもらえたというリアリティーが生じる。

 テレビ局が、ある伊達直人にインタビューしていた。(よく探してくるものだ。さすがにやらせではなかろうが。)なぜ名乗らないのですかと聞かれて、いいことをするのって恥ずかしいですからと答えていた。自分の若いころを思い出すと、偽善という言葉をよく使った。若者は偽善がきらいなのだ。しかし、偽善というのは、正しいと思っていないのに善を装うことであり、正しいと思ってする行為は偽善じゃないのだ。正しいと思ったら堂々とやればいい。
 それができないのは、自信がないからだろう。だから伊達直人の名前を使う。どこのだれか分からない平凡な名よりも伊達直人の方がかっこいいのだ。

 今の人間は、すごく悪い人はいなくて、まあまあの善人が多い。いいことをするのもスケールが小さい。そういう人間にとっての、ささやかな自己表現だろうな。まあ、それも悪くはない。

 贈り物をもらった施設の人達は口をそろえて、大変助かります、ありがたいと言っている。そう言わざるをえない面もあるだろうが、実際困っているんだろうな。その事実の方が大事なのじゃないか。その問題を取り上げてほしいな。

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