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2011年1月 3日 (月)

故郷の海はありがたきかな

 海沿いの町で育った。海岸は広く、遊ぶ場所には困らなかった。海にはいろいろな表情がある。宮城道雄の「春の海」や蕪村の句が表しているような穏やかな世界もあれば、嵐に荒れ狂い大波を打ち続ける世界もある。いろいろな顔を見てきたのだが、思い起こせば悪い条件の時には近寄らなかったから、概して静かな海を見てきたのだと思う。

 子供のころは海岸にいくらか人がいた。今と違うのは、買い上げてもらうために堆積した小石のなかから那智黒石と呼ばれる石を拾い出す人がいたことだ。子供でもできる仕事だったから私も拾った経験がある。しかし、今は勝手に採取することが禁じられたのでそういう仕事はなくなった。もっとも、時間の割に実入りは少なかったので、仕事として成り立たないという面もあったに違いない。

 今でも釣り人は見かける。地元の人もいるし、遠方から来る人もいる。釣り場としてはあまり良くないように思えるが、シーズンによっては岸から投げ込むことでカツオなどを釣りあげることができる。回遊する群れを狙うのだが、岸からはっきり見えるだけに迫力があった。

 初日の出が見える確率の高い海岸でもある。わざわざ名古屋あたりから車を飛ばして見に来る人もいる。近所のおじさんが毎年流木を集めて暖をとれるようにしてくれていたが、最近はみかけなくなった。そういうところにも月日の流れを感じる。

 生活と隣り合わせの存在だった海。そこへ行くと、幼いころの記憶がよみがえる。誰かが故郷の山はありがたきかなと詠んだが、私の場合は故郷の海はありがたきかな、である。

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