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2011年1月 2日 (日)

正月の風景

 生活習慣が変わってしまった。炬燵に入って紅白歌合戦を見る。母はおせち料理を作っている。除夜の鐘が鳴り出したら父がお寺へ向かう。子供たちは遅い眠りに就く。
 目覚めると父が和服を着て皆を待っている。あわてて顔を洗い食卓につく。今年も頑張ろうと声を上げ、おとそを少し飲んでから雑煮を食べる。元旦の儀式が終わると、しばらくして皆で墓参りする。それから親せき筋を回り、お年玉をもらって帰ってくる。帰ってきてからは凧あげをしに海岸へいく。

 私は故郷を出て今は大阪で生活している。父はなくなったが母親は健在である。だから盆と正月は実家に帰る。子供たちと家内はたまにしか一緒に帰らない。ここ数年は私一人だ。母と私とたまに兄が食卓を囲む。雑煮はむかしと変わらないが、おせち料理は出来合いのものだ。幼い子供の姿はない。外へいってもやはり子供は少ない。
 近くの町は寂れてしまって、賑やかさがなくなった。過疎化に加え、少子高齢化で人口減少が進み、活力がなくなっていることは疑えない。地方はどこも同じようなものではないか。テレビで都市部にある大きな神社の初詣風景を見るといまだに人出があり地方とのギャップを感じるが、それでも以前と比べたら参拝者は減っているに違いない。

 暮れには暮れのあわただしさの中に心弾むものがあったし、年始には新しい年が始まることの活気と希望感があった。それが薄らいでいくのは、生活のスタイルが欧米化によって変わってしまったことがあるし、節目節目でけじめをつけるという民族のよき伝統が失われているからだろう。家族は昔ほど一緒に行動しなくなった。「遊び」が巷にあふれているから、家にいることが退屈なのかもしれない。いや、そうでもない。カラオケ、ゲームセンターなどが数多くできたが、むかしも映画館がたくさんあったし、ボウリング場やパチンコもあった。今はテレビゲームがあり、かえって家にこもる傾向が出ているかもしれない。そういうものによって家族が分断されたのか。パソコン、携帯電話、テレビゲーム。これらのものが人間関係と生活の在り方を大きく変えてしまったのである。

 街を歩いていると、歩きながら携帯で話す人にしょっちゅう出会う。たまにではなく、本当に頻度が高い。昔は携帯電話がなかったのだ。それでも人間関係は十分な密度で成立していた。固定電話や手紙などの手段でコミュニケーションはとれた。便利な道具が発明されたことで、一人ひとりが孤立化し、存在感をなくした。一定の不便さは、自己表現のバリエーションを育む条件を与えていたのかもしれない。容易に伝えられないことによって、伝える意欲と工夫を生み出したのだ。

 風景が変わった。人間が変わった。

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