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2011年1月31日 (月)

歴史を知り、歴史を取り戻す

  生まれてきたものには生きようとするエネルギーがあります。これは動物であろうが植物であろうが、高等であろうが下等であろうが、基本的に同じです。
 歴史とは、よりよく生きようとする人間の営みの総体です。安心して生活ができるように、まずは衣食住の確保に奔走してきました。そしてその基盤のうえに、家族や仲間とともに生きる喜びを共有し合う文化を築いてきました。人間が生産する力、すなわち自然を加工して生活に役立てる力を増大させると社会の在りようは大きく変貌し、国家の仕組みや性格も変わっていきます。同じ人間とは言いながらも、その変化を主導するものは自然を加工する手段を握った者であります。そして一方では、国家統治に必要な権力と正当性を掌握した者があり、双方は互いに照応しながら今ある社会を維持しようとします。それは自分たちにとって一番好ましいシステムが存在しているからです。現実にこれに代わるシステムがあり得るにも拘わらず、これしかないのだという主張がなされます。実際に眼前に存在しているという事実がそこに一定の根拠を与え、今のシステムに恩恵を得ていない人々に支持ないし諦めの態度を取らせることに成功します。

 社会とは生きる人々のすべてで構成されていますが、進む方向性を決める権力を握っているものはごく一部です。この事実はよほど能天気な人でなければ知っている事実です。数年前に世界的な金融危機が発生して大騒ぎになりましたが、こういう自体は一般大衆には直接関係ないところで起こっていることです。いくらか財産のあるひとは、リスクの高い金融商品に投資している場合があるので実損を被っているかもしれませんが。しかし、このような商品市場を設計し運営している人々の活動が世界経済に大きな影響を与えたわけで、彼らが巨大な権力を有していることはあきらかでしょう。

 資本という権力、情報システムという権力、そして国家の権力。こういったものが一部の勢力に握られ、それぞれの思惑によって動かされいる状態は、「自由」からも程遠いであろうし、「民主主義」からもかけ離れています。
 中国ではバブルも含んだ著しい経済成長が続いていますが、持てるものの資産は膨張していく反面、庶民の生活はインフレの進行で次第に厳しくなっています。食料品が上がったり、家賃が上がったりで大変です。このままでは統治ができなくなるので、共産党政府も対応策を打ち出していますが、それは変化の程度を弱める内容であり、方向性の転換ではありません。
 日本では失われた二十年を過ごしてきました。一概に政治だけが悪いとは言えませんが、政治のまずさは明らかでしょう。一部勢力の利益を過度に優先したために、日本の経済全体は大きく体力を失ってしまいました。社会は変わらなければならないし、変わってもいきますが、変えなくてよいものまで変える必要はなかったのです。たとえば、非正規雇用者の増加であり、これは規制を緩め過ぎたことで企業の自助努力が放棄されました。雇用への責任が甘くなったと言えるでしょう。このような変化は法治国家であれば、立法の府に決定のプロセスを見出せるはずですが、その影響を見通せずに制度変更を許してしまった政党の責任は重大です。国民には十分説明がなかったのではないでしょうか。

 さて、今見てきたのはわれわれを取り巻く社会とはどんなもので、その方向はどうやって決められるのかということです。なにか自然にことが運んでいるのではなく、すべて意図されているという事実があります。意図は公平公正でありえません。そこに論戦や対立が生じます。主張したいのは、権力を持たぬ人々の不利益を解消できる政治勢力が形成されなければならないということです。経済の民主化が必要ですが、その前に政治の民主化が優先するでしょう。それがなければ始まりませんから。

 大雑把な議論になってしまいましたが、ここに書いたようなこと、私にすれば極めて現実的で当たり前のことなのですが、みんなは分かっているのでしょうか。世の中がある程度見えるようにならないと、これからどっちを向いて進めばよいのか分からないのではないでしょうか。分かった上で、市民として、労働者として、消費者として、遠慮せずに要求すべきことをしようじゃありませんか。権力を持った人たちは、まったく遠慮せず好きなようにしますからね。黙っていてはいけないのです。

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