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2011年1月の投稿

2011年1月31日 (月)

歴史を知り、歴史を取り戻す

  生まれてきたものには生きようとするエネルギーがあります。これは動物であろうが植物であろうが、高等であろうが下等であろうが、基本的に同じです。
 歴史とは、よりよく生きようとする人間の営みの総体です。安心して生活ができるように、まずは衣食住の確保に奔走してきました。そしてその基盤のうえに、家族や仲間とともに生きる喜びを共有し合う文化を築いてきました。人間が生産する力、すなわち自然を加工して生活に役立てる力を増大させると社会の在りようは大きく変貌し、国家の仕組みや性格も変わっていきます。同じ人間とは言いながらも、その変化を主導するものは自然を加工する手段を握った者であります。そして一方では、国家統治に必要な権力と正当性を掌握した者があり、双方は互いに照応しながら今ある社会を維持しようとします。それは自分たちにとって一番好ましいシステムが存在しているからです。現実にこれに代わるシステムがあり得るにも拘わらず、これしかないのだという主張がなされます。実際に眼前に存在しているという事実がそこに一定の根拠を与え、今のシステムに恩恵を得ていない人々に支持ないし諦めの態度を取らせることに成功します。

 社会とは生きる人々のすべてで構成されていますが、進む方向性を決める権力を握っているものはごく一部です。この事実はよほど能天気な人でなければ知っている事実です。数年前に世界的な金融危機が発生して大騒ぎになりましたが、こういう自体は一般大衆には直接関係ないところで起こっていることです。いくらか財産のあるひとは、リスクの高い金融商品に投資している場合があるので実損を被っているかもしれませんが。しかし、このような商品市場を設計し運営している人々の活動が世界経済に大きな影響を与えたわけで、彼らが巨大な権力を有していることはあきらかでしょう。

 資本という権力、情報システムという権力、そして国家の権力。こういったものが一部の勢力に握られ、それぞれの思惑によって動かされいる状態は、「自由」からも程遠いであろうし、「民主主義」からもかけ離れています。
 中国ではバブルも含んだ著しい経済成長が続いていますが、持てるものの資産は膨張していく反面、庶民の生活はインフレの進行で次第に厳しくなっています。食料品が上がったり、家賃が上がったりで大変です。このままでは統治ができなくなるので、共産党政府も対応策を打ち出していますが、それは変化の程度を弱める内容であり、方向性の転換ではありません。
 日本では失われた二十年を過ごしてきました。一概に政治だけが悪いとは言えませんが、政治のまずさは明らかでしょう。一部勢力の利益を過度に優先したために、日本の経済全体は大きく体力を失ってしまいました。社会は変わらなければならないし、変わってもいきますが、変えなくてよいものまで変える必要はなかったのです。たとえば、非正規雇用者の増加であり、これは規制を緩め過ぎたことで企業の自助努力が放棄されました。雇用への責任が甘くなったと言えるでしょう。このような変化は法治国家であれば、立法の府に決定のプロセスを見出せるはずですが、その影響を見通せずに制度変更を許してしまった政党の責任は重大です。国民には十分説明がなかったのではないでしょうか。

 さて、今見てきたのはわれわれを取り巻く社会とはどんなもので、その方向はどうやって決められるのかということです。なにか自然にことが運んでいるのではなく、すべて意図されているという事実があります。意図は公平公正でありえません。そこに論戦や対立が生じます。主張したいのは、権力を持たぬ人々の不利益を解消できる政治勢力が形成されなければならないということです。経済の民主化が必要ですが、その前に政治の民主化が優先するでしょう。それがなければ始まりませんから。

 大雑把な議論になってしまいましたが、ここに書いたようなこと、私にすれば極めて現実的で当たり前のことなのですが、みんなは分かっているのでしょうか。世の中がある程度見えるようにならないと、これからどっちを向いて進めばよいのか分からないのではないでしょうか。分かった上で、市民として、労働者として、消費者として、遠慮せずに要求すべきことをしようじゃありませんか。権力を持った人たちは、まったく遠慮せず好きなようにしますからね。黙っていてはいけないのです。

2011年1月30日 (日)

三笠の山に出でし月かも

 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

 中国の子会社に出向している社員が春節を前にして、もうすぐ帰国する。交通手段が発達して3時間もあったら帰れるようになったとはいえ、現地での任務を放置するわけにはいかないから年に2回ほどしか帰国できない。一から立ち上げた事業を進めるのは容易ではなく、現地の社員とのコミュニケーションは難しく、生活への適応も簡単ではない。また場所が上海などの都会ではなく、福建省なので日本人が少なく、ローカルなルールや風習が残っている。

 そんな状況で毎日暮らすのは不安だろう。先日は現地に出張するものに雑誌を持って行ってもらったが、日本の文化に飢えているそうだ。なかには適応力が抜群で馴染んでしまっている社員もいるが、自分だったらはやり寂しい気持ちがひしひしと押し寄せてくるに違いない。過去には、心に病を負ってしまった人も出たぐらいだから。

 帰ってきたら、まずはご苦労さんと言ってあげよう。これもできていない、あれもできていないと言いたいところだが、久々に帰ってきたときにそんなことを言われたら立つ瀬がないというものだろう。

 冬の月はきれいに見える。残念ながらこれから新月に向かってしまうので日本の地で月を眺めることはできないが、同じものでも見る場所で心情は違ってくる。
 生まれた国が一番いいと思えるのは日本が平和だからだろうか。生き抜くことが困難な国ではそんな悠長なことは言っておられず、難民として国外へ逃亡しなければならないこともある。

 しかし、企業人としては日本にばかりこだわっていることはできない。市場を求めて海外に出なければならない。いまさらコスモポリタンになれと言われても無理だが、国境を超える勇気は持たねばならない。

住井すゑの叱咤 自殺について

  自殺(自死ともいう)について書いてきた。年間3万人以上の人が自ら命を絶っていることを憂慮している。自殺の原因には様々あるが、増加の要因を社会の在り方に求め、その是正を訴えてきた。基本的に自殺する人を擁護する立場に立ってきたと言えるだろう。これは自分も死にかけた経験があるからこそ、苦悩に対する共感が根拠になっているのである。

 今日、久々にジュンク堂に行き、文庫本を2冊買った。(島尾敏雄の「死の棘」と山本周五郎の「季節のない街」)ついでに日本文学のコーナーへ行き何冊か立ち読みしてきた。そのなかに、住井すゑさんの随筆があった。
 そこで自殺に触れていたのだが、住井さんは自殺は無責任だと断じる。自分の周りの家族や友人たちがどれだけ悲しむか考えたら簡単に死ねるものではないと言う。また、生きるということについて突き詰めて考えないからだともいう。

 きびしい意見である。これは住井さんの叱咤であろう。決して弱いものに冷たい人ではないから、逃げていては救われないぞという激励の言葉として解することができる。住井さん自身は非常に強い人である。小学生のころから人に貴賎なしという考えを持ち天皇制に反対していたらしいから並の人ではない。戦中にはいろいろあったようだが、戦後長くその考えを貫いてきたのは信念のなせる業である。

 私は読んでいないが、住井さんに「橋のない川」という名作がある。川に橋を渡すのは人間である。川に身を投げるよりも、橋を渡す人間になりたいものだ。

2011年1月29日 (土)

空をながめる

 空を眺めることが多い。好きでそういう行動をとっている自覚はないが、たびたびそうしているということは好きなのだろう。

 ながめると言っても、ベランダから目を向けるのだからほんの一角である。原っぱに寝そべってみる広々とした空ではない。見ていて変化が著しいのは雲である。これは、大阪のなかでも兵庫と京都の県境に近い山間の土地に住んだ時に特に感じたことである。冬場は北から次から次へと冷たい雲が飛んでくる。それに対し大阪市内で見る雲は、西から東へと動く。ゆっくり動いているようだが、目を離すと一気に広がっている。自然の勢いは相当なものだ。

 つぎに注目するのは太陽の動きだ。これはゆっくりしている。季節によって位置が違う。特に高さだ。冬は低く、日差しが部屋の奥まで届く。天気の良い日は窓を開けていても温かい。今は冬至からひと月あまり経つが、かなり高くなっている。斜め前の商業ビルに姿をかくしてしまう時刻が次第に遅くなっている。冬場は太陽が隠れてしまうのが惜しい。これが夏の場合は、逆に暑さを鎮めるのに少し役立っているのである。

 ありふれた話だが、何事も定点観測をしていると変化に気がつきやすいものだ。そういう御利益を考えると、場合によってはじっとしていることも悪いことではない。

物の整理整頓は過去の整理整頓

 ここ数週間、休みの日に部屋のなかにある物を整理整頓していた。主に本棚にある物と引き出しの中の物である。

 雑誌の類には捨てるものがたくさんあった。興味深い特集記事のあるものだけを残し、あとは廃品回収に出した。本は捨てるものがない。なかには買って損をしたと思うものもあるが、それでも捨てるには忍びない。
 それから新聞記事の切り抜き。これも現実には利用価値のないものが多いが、遺産として保管しておきたい。その時の関心事が何であったかよくわかる。政治では拉致問題に関するもの、社会問題では格差の問題が多く残されている。

 引き出しのなかには捨てるものが多い。保険会社やカード会社から来た郵便物は中身を見ずにひとまず突っ込んでいるが、あとから見ればなおさら不要なものになってしまう。こういうものはさっと目を通して即廃棄するのがよろしいようだ。また、使用期限を過ぎた大衆薬だとか、古い預金通帳とか、税金を振り込んだ控えなどがいっぱい出てきて、まとめてゴミ袋に放り込んだ。

 なかには大事なものが出てくる。息子の幼いころの写真、通知表、塾の成績表などなど。これらはクリアファイルを買ってきて人別にまとめた。3人分のファイルができあがった。
 手紙、はがきにも大事なものがある。結婚前に家内からもらった手紙、学生時代によく利用したスナックのママさんからの手紙は貴重品である。それから、大学時代に無理やりお願いして単位を与えてもらったドイツ語の先生にお礼にとみかんを送ったが、それへの奥さんからの礼状が残っていた。また、学生時代に住んでいたアパートの家主さんからの年賀状があった。
 古い年賀状は思い切って捨てたが、今考えると残念ながら亡くなった先生方から頂いたものは一通ずつ残しておけばよかった。見返すこともなかろうが、惜しい気がする。

 片づけたおかげで、何がどこにあるのか分かるようになった。それから土産で買ってきた置物がすっきり置けるようになった。大事にしている向陽高校の藤田君のサインボールが、川上憲伸のボールから離して独立して置けるようになった。

 

2011年1月23日 (日)

性犯罪前歴者にGPS

 性犯罪前歴者に対するGPSの常時携帯義務化を宮城県が検討しているらしい。法務省もすでに研究に入っている。この動きはこれまでも新聞等でときどき報じられてきた。

 この施策には問題がある。執行猶予中や仮釈放中なら分からないことはないが、刑期を終えた人間の行動を監視することは誤りである。これが実施され既成事実化すれば、監視期間の延長や他の犯罪への適用も順次行われることが想像に難くない。
 性犯罪は確かに重たい犯罪であろう。被害者が受けた心の傷はおそらく死ぬまで癒せぬものに違いない。だから、こういう犯罪は撲滅したい。未然防止の方策は様々な角度から検討されてしかるべきだが、GPS携帯のような施策は除外すべきだろう。

 刑期を終えた者がその後どのような状況に置かれるのか、調べたことがないので詳しく分からない。しかし、推測するに、家族からも友人からも疎んぜられて結果的には孤独に暮らしているのではないだろうか。それが次の犯罪に走らせる一つの原因になっているのではないか。これは他の犯罪にも共通して言えることだ。
 周囲に注意深く見守る(「監視」ではない)目があれば、それは抑止する力になる。誰しも心に弱い部分があったり、歪んだ要素を抱えていたりする。一見普通に見える人にも、本人にしか分からない妄想癖があったりもする。そういう人でも大半は犯罪に手を染めることはない。それは、周囲にいる人達との人間関係が一定の調和を維持しているから、行動に対してブレーキがかかるのである。

 GPSの携帯義務を行ったら、それにまた罰則が生じるのだろう。性犯罪は起こさなくても、別の犯罪が生じる。そしたらまた刑務所に舞い戻るのだろうか。そんなことをしていたら刑務所をいくつ作っても間に合わない。国の予算もない。犯罪をなくすことは住民レベル、地域レベルで考えないと解決しない。極端に犯罪の少ない市町村があるが、その要因を探れば面白いのではないかと思う。

2011年1月22日 (土)

沈黙

 黙っているからといって、何も考えていないわけではない。言いたくないこともあるし、言えないこともある。あまり計算高いのはよくないが、言っても益がないと考えれば意見を差し控えることもある。

 むかし戦争があった時に、言論弾圧に負けて積極的に戦争を推進するサイドに加担していった作家が多くいた。そういう状況で弾圧をはね返して反戦的メッセージを送り続けることは困難であったに違いないが、少なくとも180度旋回して今まで批判していた勢力を後押しすることは避けて、沈黙を守るべきではなかったか。

 沈黙にはいろいろな意味がある。時には何も書かないことが最善の政治的表現でありうるだろう。にもかかわらず、翼賛文学者になり下がったのは、何を書くかは大した問題ではなく、文学者であることが無条件に大事なことであったからだろう。

 そういうことは世間にはよくある。立場あるいは地位を守ることが一番の目的と化している。それを使ってやろうとしたことはどこかに行っている。信念を守ることは、難しいことなのだ。老いればなおさらである。人生やり直しがきかないとなれば、残る人生はできるだけ楽なものでありたいと願う。

 休むことを考えず、ただひたすら自分の使命を果たすべく前に進んでいる人を素直に偉いと思う。

2011年1月16日 (日)

伊達直人現象

 伊達直人の連鎖。結構気軽にできる行為だから、自分もやってみようという気になりやすい。寄付をするという行為にわれわれは慣れていない。せいぜい街頭募金に応じて、募金箱に小銭を入れる程度だ。金額はほんの賽銭程度。賽銭感覚か。

 ランドセル、文房具、おもちゃ・・・。ランドセルは金額がはるな。複数買うと何に使うのかと疑問を持たれる。伊達直人するんじゃないかと。数万円のお金なら誰にでもできないことではない。かといって、名前を名乗るほど信念を持ってやっているのでもない。匿名で、かつ特定の施設に贈る。団体には贈りたくないのだ。そこからどこに配布されるか分からないから。顔が見える相手に贈りたいのだ。それでこそ、自分の行為が喜んでもらえたというリアリティーが生じる。

 テレビ局が、ある伊達直人にインタビューしていた。(よく探してくるものだ。さすがにやらせではなかろうが。)なぜ名乗らないのですかと聞かれて、いいことをするのって恥ずかしいですからと答えていた。自分の若いころを思い出すと、偽善という言葉をよく使った。若者は偽善がきらいなのだ。しかし、偽善というのは、正しいと思っていないのに善を装うことであり、正しいと思ってする行為は偽善じゃないのだ。正しいと思ったら堂々とやればいい。
 それができないのは、自信がないからだろう。だから伊達直人の名前を使う。どこのだれか分からない平凡な名よりも伊達直人の方がかっこいいのだ。

 今の人間は、すごく悪い人はいなくて、まあまあの善人が多い。いいことをするのもスケールが小さい。そういう人間にとっての、ささやかな自己表現だろうな。まあ、それも悪くはない。

 贈り物をもらった施設の人達は口をそろえて、大変助かります、ありがたいと言っている。そう言わざるをえない面もあるだろうが、実際困っているんだろうな。その事実の方が大事なのじゃないか。その問題を取り上げてほしいな。

1/11(じゅういちぶんのいち)中村たかとし

Jyuubunnnoichi

 会社の同僚Iさんの息子が漫画を描いている。月刊誌に何度か作品が掲載されたのだが、原稿料だけでは食べていけず今は親の家に戻って仕事をしている。

 昨日会社の新年会があったが、帰りにIさんに声をかけられた。ぜひ私に渡したいものがあると言ってカバンから本を取り出した。「息子が集英社から単行本を出したよ。」と言うのである。それが「1/11(じゅういちぶんのいち)」というタイトルの漫画本だった。これからは印税が入るので食べていけるようになるかもしれないと喜んでいた。

 親としては、漫画を続けて生活が成り立つのか心配だったに違いない。また経済的な面も含めて様々な援助も惜しまずやってきたに違いない。本人の努力の上に、周囲の人々の援助が加わり、このような結果が出た。皆喜ぶと同時にホッとしたことだろう。

 巻末のことばで、スタッフや両親への感謝の気持ちを表しているが、これは実感であろう。それにしても、この言葉で親はどれだけ報われるか計り知れないものがある。

 作品の内容も新鮮でよい。昔の漫画と違う点があり戸惑いもあるが、変わらないものもはっきりとある。

2011年1月10日 (月)

成人の日に 自殺について考える

 以下FNNニュースより

 2010年に自殺した人が3万1,560人で、13年連続で3万人を超えたことが警察庁のまとめでわかった。
 警察庁によると、2010年に国内で自殺した人は3万1,560人で、2009年に比べて1,285人少なくなったものの(前年比3.9%減)、1998年から13年連続で3万人を超えた。
 男女別では、男性が2万2,178人、女性は9,382人で男性が多くを占めている。
 また、月別で見ると、3月が最も多く2,947人で、会社の決算など節目の時期に自殺する人が多くなる傾向が見られるという。
(01/07 20:25)

 「自殺」の問題については、このブログで何度も記事を書いている。たとえば、2008年10月19日に「1998年という年」というタイトルで、2009年9月13日にはずばり「自殺考」というタイトルで書いている。そこでは主に、社会環境の変化、とりわけ市場経済の構造変動からくる雇用情勢の変化と心理的な不安感の高まりを自殺増加の原因として指摘している。
 昨年も若干の減少があったとはいえ3万人の大台を超えた。交通事故による死亡者が5千人弱だからその多さが分かる。警察庁のデータでみると、3万人超えは1998年以来13年連続である。特筆すべきは、1998年に、前年の24、391人から8、482人増えて一気に3万人台に突入したことだ。したがって、この年および前後の社会環境の変化をよく分析すれば自殺急増の原因を知ることができると考えている。

 警察庁のデータを見ると、過去との比較でいくつかの特徴が分かる。自殺者の職業は、無職が多く、次いで雇用者になっている。無職には専業主婦と学生は入っていない。そうすると、その中身は失業者とリタイアした高齢者が中心ということになろう。そして、そこには病気などの悩みに加えて生活苦というものが重くのしかかっていることが容易に想像できる。年齢別の自殺率を見ると、以前は年齢が上がるにつれてほぼ一本調子で上昇するが、近年は50歳代後半にピークが来て、その後は一旦下降している。ここからは、30歳代後半から50歳代後半にかけての働き盛り(それは同時にもっとも生活費のかかる年代でもある)に問題が集中していることの表れである。

 
この現状に対し、企業ではメンタルヘルスへの取り組みを強化しているし、行政も対策に一定の努力はしている。しかし、精神科医療の充実とか、多重債務問題の相談窓口を設けるとかいう対策は対症療法である。もちろん、それも必要なことで、やるべきなのだが、構造的な対処が必要だ。その中身についてはいつも触れているので省略する。誰かが「痛みに耐えろ」と言ったが、言われなくても痛んだら当面耐えるしかない。個人としては耐えながら活路を見出すしかないのだが、企業や行政も含めて社会がなんとかしなければならない。未遂者も含めると、毎年数十万人の人が命を捨てようとしている。

成人の日

 次男が成人式に臨む。大阪市では23100人が対象者になっている。出席率はどのくらいあるのだろうか。ちなみに私は出席していない。当時まだ浪人中の身であり、入試直前の状況では故郷に帰ることなど考えることもしなかった。
 大阪市の成人式の内容は見たことがないので分からないが、式典前後の会場を何度か通ったことがあり、参加者の様子は見たことがある。服装は、男子はスーツ、女子は振袖姿が定番だ。なかには男子で和服スタイルもいる。髪は長く、茶髪も多い。昔も茶髪はなかったが、服装は同じようなものだった。みな大体同じになってしまう。私は出なかったが、出るのならジーパンと革ジャンで行こうと思っていた。会場で騒いだりするのは迷惑だし、みっともないから嫌いだが、そういう自己主張の仕方もあっていいのではないだろうか。そんなことを考える若者自体いなくなってしまったのだろうか。

 成人式にどれほどの意味があるのかと考えてしまうが、なにごとにもけじめは必要であり、式に参加することで大人の自覚が高まってくれたら、それはそれでよいことだ。しかし、大事なのは年齢ではなくて、社会に向きあう自分自身の姿勢である。それはある種の緊張感であると思うが、若くしても可能であるし、年齢を重ねたからといって出来上がるものでもない。

2011年1月 9日 (日)

年賀状について

 今年も例年とほぼ同じ数の年賀状が届いた。出す相手、来る相手はおおよそ決まっていて、そこに新顔が加わり、同じぐらいの人数が脱落するので総数では変わらない。

 学生時代には年賀状を書く習慣がなかったので、社会人になって書き始めた。数が増えたのは結婚してからだ。家内の親族が加わるのだから当然である。それから、主に仕事での人間関係が広がるにつれて少しずつ増え、今日に至る。

 この年になると誰でも同じだろうが、随分長い間会うことも無く賀状だけの交換になっている知人がいる。高校時代の友人H君にはもう三十年会っていない。遅くにいくつか年上の女性と結婚し、ずっと東京で暮らしている。大学のサークルの後輩であるK君とI君にも三十年近く会っていない。K君は若くして重い病気に罹ったが、回復して公務員として堅実に働いている。I君は要領の悪いところがあったが、京都の大手企業に就職し、奥さんと娘さん二人とで暮らしている。近くなので会おうと思えば会えるのだが、きっかけがない。
 若いころ営業をしていた時にお世話になった当時得意先に努めていたMさんとYさんも毎年賀状をいただくが、その後一度も会っていない。Mさんは元ある業界紙の記者で、映画や文学にも詳しかったので話が合った。二人とも地方の得意先の社員だったので、出張したときにはよく飲みにいったものだ。

 花仙のママから今年も賀状が届いた。花仙とは高田の馬場駅近くにあった小さなスナックである。ママさんは八十代半ばまで現役で働いていたが、今は引退して娘さんの家で暮らしている。今は九十歳をいくつか超えているはずだ。金のない学生が、一番安いウイスキーを頼んで夜遅くまで騒いだが、よく追い出さずに辛抱してくれた。出張で東京に行ったときには何度か立ち寄り話ができた。

 高校時代の同級生M君と大学の後輩のN君とはそれぞれ別々の付き合いだが、この二人は偶然松本の同じ町内に住んでいる。N君は信州大学で教鞭をとっており、M君は信州大学の医学部を出て大学病院に長く勤務し一昨年に松本で開業した。だから、大学を通じて近隣の関係が生まれたわけだ。こういうのも面白い。

 それぞれ自分の人生を生きているが、賀状だけでその人の生活は推し量れないものの、皆頑張っている様子で、安心すると同時に励まされる。日本のよい習慣であると思う。

2011年1月 8日 (土)

小吉 おみくじ

 たまに神社でおみくじを引くことがあるが、あれは概していい加減なものなのであてにしてはいけない。もっとも、あれを信じて生活の指針にしている人は滅多にいないだろう。読んだあと、木の枝に結んでしまえば何が書いてあったかもすぐに忘れてしまう。

 今年は新宮の速玉神社でおみくじを引いて、中吉だった。そこには、自己主張せず自然体で暮らせば順調であると書かれていた。しかし、仕事の中では自己主張も必要だ。そのうえで協調することも考えなくてはならない。
 また、病気は急がず気長に対処すれば治ると書いてあった。続けて、心配ならば名医に見せるべしとある。そりゃ名医に見せるに越したことはない。ただ、名医がどこにいるのか誰にでも分かるわけではないし、治療費が嵩む場合もあろう。

 もともとが根拠のないくじなのだから、それをあまり真面目に考えるべきではない。大体が遊び心で引くものなのだから。

2011年1月 4日 (火)

負債を抱えること

 新興国の労働者たちはローンで物を買うことを覚える(覚えさせられる)。ブラジルの労働者が電気製品を買い、インドネシアの労働者がスクーターを買うところをテレビの報道で見たことがある。買っている本人は、商品を手に入れて嬉しそうだった。今までは高額なものを手に入れることは困難だったが、支払いを分割することで可能になった。これを教えたのは銀行である。

 買う方は返せると思うから借りて買う。貸す方は返ってくると計算するから貸す。いずれも未来に対して楽観的であるからこそできる行為である。収入が安定しているから、あるいは少しずつでも増えていくだろうという見込みが商品の購入を促進する。新興国では所得の伸び以上に消費が促進するから経済成長に力がある。借金は将来の労働の成果の先食いには違いないが、確実に未来が期待できるのであればその負荷は小さく感じる。

 現在の日本の場合は、何もかもが縮んでいく傾向にある。だから人の考えは保守的になり、行為は消極的になる。購買行動においても同じだ。過去に未来を楽観視して高額の買い物をしてしまった者は、その負債の大きさに苦しみ、労働の目的がその負債の埋め合わせに奪われている。バブル期に住宅を購入した世代は随分苦労した。失われた20年とはこの人達のためにある言葉のように思える。

 負債、借金はできる限り背負いたくないものだ。心の負債も含めて。

2011年1月 3日 (月)

故郷の海はありがたきかな

 海沿いの町で育った。海岸は広く、遊ぶ場所には困らなかった。海にはいろいろな表情がある。宮城道雄の「春の海」や蕪村の句が表しているような穏やかな世界もあれば、嵐に荒れ狂い大波を打ち続ける世界もある。いろいろな顔を見てきたのだが、思い起こせば悪い条件の時には近寄らなかったから、概して静かな海を見てきたのだと思う。

 子供のころは海岸にいくらか人がいた。今と違うのは、買い上げてもらうために堆積した小石のなかから那智黒石と呼ばれる石を拾い出す人がいたことだ。子供でもできる仕事だったから私も拾った経験がある。しかし、今は勝手に採取することが禁じられたのでそういう仕事はなくなった。もっとも、時間の割に実入りは少なかったので、仕事として成り立たないという面もあったに違いない。

 今でも釣り人は見かける。地元の人もいるし、遠方から来る人もいる。釣り場としてはあまり良くないように思えるが、シーズンによっては岸から投げ込むことでカツオなどを釣りあげることができる。回遊する群れを狙うのだが、岸からはっきり見えるだけに迫力があった。

 初日の出が見える確率の高い海岸でもある。わざわざ名古屋あたりから車を飛ばして見に来る人もいる。近所のおじさんが毎年流木を集めて暖をとれるようにしてくれていたが、最近はみかけなくなった。そういうところにも月日の流れを感じる。

 生活と隣り合わせの存在だった海。そこへ行くと、幼いころの記憶がよみがえる。誰かが故郷の山はありがたきかなと詠んだが、私の場合は故郷の海はありがたきかな、である。

2011年1月 2日 (日)

入試にネット割!?

 実家でテレビの正月番組を見ていたら、中京大学のコマーシャルが流れていた。インターネットで出願すると受験料が割引になるという。最近はネット割が流行りだが、とうとう入試にも及んだ。
 受験料が高くなるなかで割引すれば受けやすくなる。ネットであれば手続きが簡単である。大学も事務が楽になる。そういうことだろう。
 しかし古い人間は心配してしまう。受験票は大学から送ってくるのかなあ。写真は?最近は内申書は要らないのかなあ。
 なんか入試に値打ちがなくなったように思うのはわたしだけだろうか。

正月の風景

 生活習慣が変わってしまった。炬燵に入って紅白歌合戦を見る。母はおせち料理を作っている。除夜の鐘が鳴り出したら父がお寺へ向かう。子供たちは遅い眠りに就く。
 目覚めると父が和服を着て皆を待っている。あわてて顔を洗い食卓につく。今年も頑張ろうと声を上げ、おとそを少し飲んでから雑煮を食べる。元旦の儀式が終わると、しばらくして皆で墓参りする。それから親せき筋を回り、お年玉をもらって帰ってくる。帰ってきてからは凧あげをしに海岸へいく。

 私は故郷を出て今は大阪で生活している。父はなくなったが母親は健在である。だから盆と正月は実家に帰る。子供たちと家内はたまにしか一緒に帰らない。ここ数年は私一人だ。母と私とたまに兄が食卓を囲む。雑煮はむかしと変わらないが、おせち料理は出来合いのものだ。幼い子供の姿はない。外へいってもやはり子供は少ない。
 近くの町は寂れてしまって、賑やかさがなくなった。過疎化に加え、少子高齢化で人口減少が進み、活力がなくなっていることは疑えない。地方はどこも同じようなものではないか。テレビで都市部にある大きな神社の初詣風景を見るといまだに人出があり地方とのギャップを感じるが、それでも以前と比べたら参拝者は減っているに違いない。

 暮れには暮れのあわただしさの中に心弾むものがあったし、年始には新しい年が始まることの活気と希望感があった。それが薄らいでいくのは、生活のスタイルが欧米化によって変わってしまったことがあるし、節目節目でけじめをつけるという民族のよき伝統が失われているからだろう。家族は昔ほど一緒に行動しなくなった。「遊び」が巷にあふれているから、家にいることが退屈なのかもしれない。いや、そうでもない。カラオケ、ゲームセンターなどが数多くできたが、むかしも映画館がたくさんあったし、ボウリング場やパチンコもあった。今はテレビゲームがあり、かえって家にこもる傾向が出ているかもしれない。そういうものによって家族が分断されたのか。パソコン、携帯電話、テレビゲーム。これらのものが人間関係と生活の在り方を大きく変えてしまったのである。

 街を歩いていると、歩きながら携帯で話す人にしょっちゅう出会う。たまにではなく、本当に頻度が高い。昔は携帯電話がなかったのだ。それでも人間関係は十分な密度で成立していた。固定電話や手紙などの手段でコミュニケーションはとれた。便利な道具が発明されたことで、一人ひとりが孤立化し、存在感をなくした。一定の不便さは、自己表現のバリエーションを育む条件を与えていたのかもしれない。容易に伝えられないことによって、伝える意欲と工夫を生み出したのだ。

 風景が変わった。人間が変わった。

2011年1月 1日 (土)

過去を掘り起こす

 実家の敷地にある古い蔵を取り壊すことになった。そこには学生時代の本がたくさん納まっているはずだ。
 帰ると、とりあえず段ボール箱に十箱ぐらい外に運びだしてくれていた。それを今日の午後片付けたのだった。
 一箱一箱中身を確かめながら、これは残す、これは捨てると判断していく。主に捨てたのは教科書である。それからノートの類。ぱらぱらめくってみると最後まで使いきったものは皆無である。この当時の勉強の程度がわかる。
 順に見ていくと懐かしいものに出会う。一つは予備校時代の模擬試験の成績表だ。東京の予備校に9月から通い始めたのだが、模試では当初から上位に入っていたようだ。あまりレベルの高い予備校ではなかったのだが。上位者の名前のなかに、大学で同じクラスだった女子を見つけた。同じ予備校に通っていたのだ。
 入試の問題も出てきた。さすがに問題までは覚えていないが、受験番号にはかすかな記憶があった。次に、サークルで勉強した時の資料や小論文集があった。今日は片付けに忙しいので後日読んでみようと思う。
 最後に相当な数の書籍。大きく分けると、社会科学や思想・哲学のグループと文学のグループに別れる。小説はほとんど読んでいると思うが、専門書は読み残しが多い。これを全部読んでいたら今頃どうなっていたかと考えるてしまう。
 ところで前にも書いたが、むかしの文庫本は字が小さい。この歳になると読めない。むかしは読者層が若い世代に偏っていたのだ。それが高齢化で中高年に傾いている。だから新聞も本も字を大きくした。
 新聞で、ついでに書いておくと、1977年の朝日新聞が残っていた。江川がクラウンに指名されたとある。また、驚くことに高齢化を憂う記事が載っている。こういう時代になることは分かっていたのだ。そして何もできなかった。

年頭にあたって 今年の目標

 2010年の振り返りは昨日書いたので、今日はそれを踏まえて今年やりたいこと、あるいは実現したいことについて書いてみたい。評価しやすいように箇条書きにしてみる。あまりたくさん書くとぼやけてしまうので、常道だが3点に絞りたい。

 1 仕事の管理をしっかりやる。

 原点に返り、仕事の基本を守りたい。何十年も仕事をしていたら当たり前に身に就いていると思うかもしれないが、実は意外にできていないのだ。
 課題を書き出す。一つひとつ手順を明確にする。それをスケジュールに落とし込んで納期を明確にする。習慣化すれば苦もないことであろうが、段取りを考えずに思いつきで動いたり、周囲の状況に流されて仕事を進めがちである。その傾向を打破し、自律的に動くようにしたい。

 2 内にこもらず、積極的に外へ出る。

 自分なりの足跡を残すためには生活に動きがなくてはならない。動きというなかにはもちろん読書などの知的な活動も含む。
 動きを誘発するのはなんだろうか。原始的な要素としては「欲望」が動力に違いないが、知的な活動をイメージしているから、「好奇心」を上げる方が適切だ。「サボりたい、じっとしていたい、ゆっくりしていたい」という感情を上回る「見てみたい、会ってみたい、知りたい」という意志が存在しなければならない。その発生については理屈では説明のつかない部分もあるに違いない。ここまで育ってきた人生のなかに特殊な経験が隠されているかもしれない。しかし、一般的に言えば、はっきりした信念や目標を持っている人には現象を捉える感性が備わっているし、大きな夢を持っている人には遠い将来を見据える目が備わっているだろう。そしてその人達に共通する関心の持ち方を「好奇心」というのであろう。
 とすれば、私にも信念、目標、夢がなければならない。もちろん、ある。ここに書けと言われれば書くことができる。問題はその大きさである。ある人は、手帳に夢を書いて毎日毎日見ているという。見続けているうちに、脳がその方向に活動し始め、体を動かし始めるのではないか。それは一つの仮説だが、今年はこれを実践し、「引きこもり」状態から脱したい。
  

 3 自分の体調管理を行うとともに、家族を大事にする。

 積極的に動くためには健康でなければならない。大きな病気はなかったが、睡眠が浅い問題は長期に継続している。対策はいくつか考えられるが、それを実践してこれなかった。毎日適度な運動をして体に疲労感を与える。歌を歌ったり会話をしたりしてストレス解消に努める。海を見たり、美術館で絵を見たりして心を落ち着ける。などなどの工夫がありうる。しかしなかなか足が出ないならば、いつ何をするのかスケジュールを決めるのがよいだろう。そうしたい。
 また、それは自分の話だが、家族もまた心身ともに万全の状態にあるわけではない。当然のことだがサポートが必要な時期があろう。それぞれの人間にとって大事な人は様々あるのだろうが、やはり一番は家族である。家族を大事にする一年にしたい。

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