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2010年12月18日 (土)

引き受ける

 これは一つの美徳としてとらえればよいのだろうか。「この仕事は自分がやり遂げなければならない」と覚悟して、執念深く取り組む。
 企業では、組織に対応して分掌が決まっており、その範囲で役割があって、責任・権限が付与されている。しかし実際の仕事には、はっきり線引きできないものがある。細かく定義できないものがあるし、従来のカテゴリーには納まらない新しい仕事も発生している。そんな状況でも、やるべき仕事は進めなければならないので、誰かが引き受けることになる。
 おそらく、欧米などでは新たな任務が加わればそれに見合う報酬を要求するのだろう。日本では最初からそんな要求は出さない。(もっとも、期待通りの成果を出せば、まともな評価制度をもっている企業であれば報酬に結び付くはずである。)任せる方は、彼(彼女)だったらやれるだろうと信頼し、あるいはやってほしいと期待している。受ける方はそれに応える。積極的に私が引き受けましょうと受け止めればモチベーションが上がることになる。ところが、消極的に受け止めると「なぜ私がやらなければならないのか」という不満が発生してしまう。「引き受ける」ではなく、「背負い込む」になるのである。

 これは私の勝手な思い込みかもしれないが、成長期には社員にこの「引き受ける」態度が多く見られた。安易に考えれば、それは日本人の勤勉さによるのだという説明が成り立つ。しかし、勤勉さなるものの実体は何か、はたまたそれはどこから来たのかを考えたり、昨今勤勉という言葉を耳にすることが皆無になったことも考えると、確かなものではなさそうだ。
 とはいえ、説明の可否にかかわらず、この「引き受ける態度」は今後も大事にしなければならない。消極的に「背負い込む」のでは成果を生まないばかりでなく、重圧から精神の劣化を生むことになるだろう。そういえば、日本には「意気に感じる」という言葉があった。「よっしゃ、わしがやったる。」の精神だ。逆に、最近ではできるだけ楽をしようと仕事を値切る傾向が見られる。「えーっ。私がやるんですか。もういっぱいいっぱいですよ。」そんなことを言っていると、君の能力と士気はその程度のものかと思われるだけである。また、私は仕事をしたくありません、と言っているようなものだ。

 いつの間にか自分もそうなっていないだろうか・・・。心したい。

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