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2010年12月 5日 (日)

能面化する顔

 最近気がついた。顔が知らぬ間に平板化している。日本人で、かつ関西人だから元々顔の彫りは深くないが、ますます平たくなり、おまけに無表情で能面のようだ。

 この変化はいかにして生じたか。加齢もひとつの要因には違いなかろうが、主たる要因は感情の露出の忌避にある。私とて一般社会に暮らしており、一定の人間関係のもとにあるわけで、感情があり起伏するのであるが、それを表に出すことを抑え込んで生きている。これは今に始まったことではない。子供のころからそうだった。
 しかし、そうではあったが、それにしても子供には子供の無防備さがあって、表情にこぼれ出る部分があった。時を経て青年期に入ると人の視線が内側に入りこむことを拒むようになった。爾来私は無意識に無表情を通してきた。その結果がこの能面化現象である。生乾きのセメントが水分を失い、がっちりと顔面を固めてしまったのである。

 鏡を見ながら、自分でありながら自分ではないような疎遠な感じを受けた。これは何を意味するか。精神の退化か荒廃か。それとも崩壊の危機か。
 私の問題に違いないが、私だけの問題か。世界が能面化しているのではないか。世界の様相が私の顔に映っているのかもしれない。無表情な世界・・・か。としても、世界を変えることはできない。とすれば、自ら動くしかない。顔面のセメントを内から掘り崩すことができるだろうか。

 蟄居した日々を改め、私は街に出なければならない。

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