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2010年11月 7日 (日)

植村のおじさんのこと

 同じ部落に住む植村のおじさんは父と同い年だった。おじさんは稲作とみかん作りを営む農家だった。父は尋常高等小学校卒だが、おじさんは上級の久居農林という学校を出ており、帰郷して農業に従事するのではなく県庁勤めもあり得た境遇だったようである。おじさんは本をよく読んでおり、晴耕雨読を地で行くような人だった。折りに触れて父がおじさんの経歴を持ちだすのは、友人としてその才能を活かす道が閉ざされてしまったことに無念さを抱いていたからだった。

 むかし私の祖母が「みどりや」という屋号の旅館を経営していたのだが、そこに町の若い衆が集まって飲む機会が多くあった。祖母は女傑だったので、彼らを子供のようにあしらったと思われる。私が子供のころもおじさんは家に来て祖母や父とむかし話をして帰った。おじさんは、私の家の歴史を小説にしてみたいと何度も語っていたが、それはさすがに実現しなかった。いつかその志を受け継いで私が書こうという気持はあるが、当時を知る者は残り少なくなっている。

 おじさんは結局農家として一生を終えた。決して不幸な人生ではなかっと思うが、彼にとって農業とは何だったのだろうか。父は、自分が農家に様々な物資を供給する仕事をしていたくせに、「農」のつく仕事に就いているものは駄目だと言い続けていた。その胸中にあるものは、常に農民と接していたからこそ生まれたものであろう。国政のなかで切り捨てられる運命にあったことに加え、その境遇から脱することを強く欲しない姿勢に対する忸怩たる思いがあったのではないか。
 
 あまりに大層な言い方かもしれないが、おじさんは戦後農政の欠陥を表す象徴的な存在だったと思う。

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