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2010年11月13日 (土)

一番と二番との差

 世の中には順番を競う仕組みがある。思い起こせば、小学校では運動会で競走があり、何番に入ったということが記憶となっている。幸いにも私は1年から6年まで一番であったが、当然ながらあとには二番があり、三番があり、最も下位の者に続く。他には試験の順位があった。学内の試験ではその発表はなかったが、業者の模擬試験は自ずと順位が出る仕組みになっている。それを見て、何番上がったとか下がったとか一喜一憂する。
 だれしもこの程度の経験はするものであるが、もっと別の一般の人が参加しない分野ではより激しい競争が行われている。はっきりと「競技」と言われるものは、誰しも一番を目指す。オリンピックがあり、サッカーのワールドカップがあり、プロ野球があり、アマチュア野球があり、他にも数え切れないほどのものがある。

 いずれにしても誰かが一番になるのであるが、二番三番になった者は、何番であろうが力を出し切ればよいという心境になれるものではない。本気で一番を狙っているからこそ悔いも残る。オリンピックの競技では、金メダルと銀メダルとではその値打ちが大きく違う。記録を狙うことが目標ならば別だが、金を超える成績はない。銀にはまだ上がある。だから悔いを引っ張りながらその後の人生を送る人も多くいるに違いない。
 これはオリンピックに限った話ではない。いろんな場面で力不足や力を出し切れなかったことによって悔いを残すことがある。それは何らかの目標を目指して頑張ったからこそ生まれる結果なのだが、リトライはありうるにせよ最終的にはその結果を受容せざるをえないものである。

 競争、競技から身を引き、しばらく時間をおけば悔いも薄れるだろう。墓場までそれを持っていくことはできない。老いるにしたがって、あんなこともあったという思いに変化し、さらには忘却へと向かうのである。悔いなき人生がよいのか、悔いもまた人生の一つの成果なのか、それはその人の解釈次第である。

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