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2010年10月14日 (木)

進化について

 進化とはなんだろうか。歴史に目的はないが、進化にもまた目的は存在しない。どこか決まった地点に向かって種が変化しているのではない。

 進化というと、ダーウィンの自然淘汰説が有名である。他にも様々説があるようで、単純には説明できないのだろうが、ダーウィンの説が基本になる。
 種の変化は環境の変化に影響される。その際に、より環境に適応した個体が生き延びる確率が高くなる。生物は実際に生き延びられる個体数よりもずっと多くの子を産みだす。それはどんな種にもある生き残りの戦略だ。数だけではなく、多様性も確保される。個体間に差があれば、環境の変化に対応できる可能性が残るからである。
 環境の変化を予測することはできない。とりあえず、人間は除外して考えよう。自然環境は、地球自身の活動によって、太陽の活動によって、あるいは地球と太陽の関係などによって変わっていくのだろう。個々の個体がそれを予測して子孫の残し方を考えるはずもないし、種が集団として何らかの意思を持つはずもない。種とは類似の組織構造と機能を持つ個体の集まりだろうから、その行動もまた類似しているのであり、本能に従って類似の生と性を営むのである。したがって、それらを外部から支配しているものはない。

 人間は、類人猿と共通する祖先から進化してきた。その経過は何百万年か前の人骨の化石の発見によってほんの少しではあるが明らかになりつつある。進化は単線的ではなく、いくつも枝分かれしているので、発見された人骨が現在の人類にどのようにつながっているのか分かりにくい事情がある。しかし、これまで人間が考えていた以上にずっと古くから人類という範疇に入るものが生きていたようだ。
 人間は数千年前から自然を加工して文明を作り上げてきたが、これは進化とは全く違う次元の問題である。人間は自分で環境を変えてしまう力を持った。その結果、汚染された大気、汚染された土壌、汚染された水のなかで生きていくことになった。そして自ら変えた環境の中で不適応を起こしてしまった。これだけ、自ら自らの運命を手にしてしまった生物はいないのである。それを素晴らしいことととらえるのか、恐ろしいことととらえるのか。少なくとも、そう遠くない時期に絶滅の危機を迎える可能性は少なくないということだけは言える。そうなったら進化論を発展させた人間が、進化論の対象から消え去ることになる。

 人間はよく言われるように、自分だけは特別な生き物だと考えたい。猿と人間の染色体の差は、馬とシマウマの差よりも小さいという。驕らぬことだ。人間だけが特別環境に対して適応する力が大きいのではない。だから環境を変えることには利益も大きいが、リスクも伴っていることを知るべきである。

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