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2010年10月10日 (日)

一極集中

  たまには文化的な生活も必要かなと思って、インターネットで演奏会の情報を検索した。そこで気付いた明確な特徴は、圧倒的に東京での開催件数が多いということだ。大半が東京だと言っても過言ではない。これは人口が集中したことの結果として考えられるが、そのことがまた新たな集中を生み、同時に地方の衰退を加速するのではないかと心配される。

  首都に政治、経済、文化が集中するのはどういう理屈だろうか。中央集権国家なら政治が集中するのは当然の結果である。地方議会もあり、議員の数も国会の何十倍にもなるが、重要な案件はすべて国で決められている。地方分権が声高に叫ばれているが、簡単に進みそうもない。経済は、それぞれの地域で住民が生活を営んでいるのだから、過度に偏重すれば生活が成り立たなくなる。だから政治ほど集中はしないが、それでも東京の一人当たり年収は沖縄の2倍以上である。市場経済の場合、もっとも効率的な資本の配置が志向されるので、どうしても特定の狭い地域に集中する。社会資本にしても、人口を密集させた方が一人当たりの費用は安く上がるのである。このままいけば、ますます地方が疲弊するのは必至であろう。
 文化はどうだろうか。高度成長が始まるまでは、確かに外来のモダンな文化は都市部が特権的に受容していたが、伝統的な文化は各地域に根付いていた。ところが、高度成長以降は欧米の消費文化が入り込んで日本中を席巻した。それはマスコミを通じて流布したとも言えるし、外来の消費財の普及とともに浸透したとも言える。伝統文化の維持に努める人達が各地にいるのだが、守るのは厳しそうだ。

 ところで冒頭に述べたのは演奏会の話で、そこには伝統芸能も含まれるが、多くは西洋音楽である。これらは消費財とともに押し寄せてきた流行音楽とは違うものだ。西洋の伝統音楽だ。日本の伝統文化とともに、これも人類の文化的遺産として残したいものである。都市の住民にしか届かないというのはもったいない話である。ところが、楽団などを維持したり、一流の演奏家を招待するには巨額の費用が必要だ。前にも書いたが、この分野に行政は金を出さない。勢い、客の入る都市の演奏会だけが生き残ることになる。
 こういう変化は、大きな社会の変化にともなって起こっているもので、部分的に解決は難しいのだが、流れに任せておくには少々リスクが大きいように思う。人類の遺産の喪失なのだから。人間が偉大な生物だと思いたいなら、人間の作り上げた文化をもっと誇るべきではないのか。

 一極集中。看過すべき問題ではない。

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