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2010年10月21日 (木)

本物を知ること

 中国で仕事をするときの相棒であるKさんから聞いたのだが、中国で買い物をするときの注意点を中国人から教わったらしい。いわゆる偽ブランド品をつかまされないようにしなければならないが、それを防ぐにはまず本物のブランド品をじっくり見て回りしっかりと頭に焼き付けることだ。それが基準となって偽物が識別できる。縫い目が粗かったりして陳腐さがすぐに分かるらしい。

 何事も本物に触れることが大事である。それはいつも本物に触れていろということではない。それは特別な人間にしかできない。大金持ちか、美術の分野であれば美術研究を生業にしている人か美術館長であれば本物に触れる機会がたくさんある。一般人はそうはいかない。しかし、ときどきならできるだろう。
 美術であれば、海外の常設美術館まで行かなくても、たまに名画を含む西洋絵画の展覧会が開かれている。仏像なら国内に数多くの国宝や重要美術品が常設展示されている。見る気があればそれほど困難なことでもない。
 料理に本物があるのだろうか。確かに一流というのはある。一流のフランス料理、一流の懐石料理。しかし。一流の家庭料理はない。家庭の家事には家庭それぞれの流儀がある。とはいえ、最近では家庭料理なるものが失われつつある。できたものを買ってくるからだ。たとえば、私の故郷の名物はさんまの鮨だが、実家でも母親が年老いてから自宅で作らなくなった。卓上のさんま鮨の質を決めるのは店の技量になった。
 たまには一流のお店で食べるのもよかろう。こどものころにそういう店の味を経験させると舌が肥えるそうだ。味が分かるようになる。でもそれは幸せなことか。私のような貧乏育ちは何を食べてもおいしい。この方が好都合じゃないか。
 演芸などは生で見たい。歌舞伎も浄瑠璃も見たことがないので、これは見なきゃいけない。クラシック音楽は何度か聴いているが、一流じゃなかった。チケットは高いだろうが、一回ぐらい聴かないと。
 スポーツは、野球やサッカーは見るが他はあまり見ない。マラソンや駅伝はたまに見にいく。一流のアスリートはさすがにすごい。よく人間にここまでのことができるなと感心する。人並み外れたという表現が適当だ。将来一流を目指す若者はこういうものを見なくてはならない。成長を志向するものにとって本物を経験することは必須である。

 最後に。本物のビジネスパーソンにはお目にかかることがない。私が中堅企業に勤めていることもその理由の一つかもしれない。大企業の一線級は、おそらくできる人達なのだろう。しかし、そうは言っても、皆そうではあるまい、そのなかの一握りだろう。大方がどんぐりの背比べである。ビジネスは特殊な能力ではない。人間力の勝負なのだ。

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