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2010年10月27日 (水)

むぎわら帽子と野を渡る風

 私の実家は海沿いの国道に面して建っていた。海側に背を向け、視線を上げると近くにも遠くにも山が見えてくる。そして、それらの山に至るまでの間にわずかばかりの平地がある。やや高い位置にはいくつかの集落があり、川にそった低地には水田が広がる。
 小学校は集落をぬって続く小道を歩いていくと、山に近い丘陵地に立っていた。いくつか通学するルートはあったが、基本は民家の近くを通るコースだった。その方が安全という判断が習いになって定着したのであろう。したがって、普段は水田の集まる地区には足を運ぶことがなかった。

 春には田植えがあり、初秋には稲刈りがある。当家も子供のころには水田を所有していた。したがって農作業も手伝わされたのだが、たまにサボって叱られた記憶がある。魚釣りが好きだったので、一人離れて釣り糸を垂れているところを叱られた。
 夏休みもよく釣りに行った。竿や釣り道具は安っぽいものだったが、小川でフナを釣るには十分だった。釣ったフナはバケツに入れて持ち帰り、雨水を受ける甕に入れておいた。そうすると、ボウフラなどいくらか餌になるものはあったのだろうが、次第に痩せて行くのだった。
 釣りを終わって帰るのは、陽が相当西に傾いた時間だ。頭には麦わら帽子が載っている。帰り道は背に陽を受けることになる。稲は成長し、実を大きくしている。田を渡る風が稲の穂を揺らす。あちらでも揺れ、こちらでも揺れる。実際は耳に聞こえるほど穂がすれ合う音はしないのだが、ざわざわとした音が聞こえるような気がしていた。釣り糸を垂れている時もひとりだったし、ざわつきを耳に感じていた時もひとりだった。
 西日、少しぬるくなった風、穂のざわめき、そのなかに少年がひとりぼっちで帰路に就く。円満で、特に問題もない平和な家族であり、そのなかで守られて暮らしていたのだが、なにか孤独な虫が心に住みついていたのかもしれない。その虫は決して子を増やすことはなかったが次第に成長し、高校生の時に最大化した。それ以降は、餌をやらないことに努めた結果少しずつ小型化していったが、未だに死滅していない。おそらく死ぬまで巣食っているに違いない。孤独の虫の死は私の死と時を同じくするのである。

 

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