« 本物を知ること | トップページ | ロジカルシンキング »

2010年10月22日 (金)

価値観の原点としての帰属意識

 先週の金曜日に東京で、大学時代からの友人であるK君に会い、飲みながら話した。お互いの家族や友人たちの近況をはじめとして様々な話題を語り合った。そのなかで、尖閣列島の問題も出たが、これは二人ともに最近中国に出張(私は上海、彼は大連)しており、中国に特別な関心を寄せていたことが背景にある。彼は、自分は土着的な人間であり、民族的な意識を捨てることができないと言った。それは今になってより強く意識するようになったのだろうが、学生時代から彼の立場はそうだったように思う。

 どこに帰属意識を持つかによって、ものの考え方や思想が変わってくる。現実には、様々な組織・集団に同時に属しているのだが、主観的には人それぞれ意識の持ち方が違う。ある人は家族に、ある人は会社に、ある人は地域に、ある人は国家に帰属意識を持ち、そこをアイデンティティーの拠りどころにしている。
 人は自分が帰属している組織・集団の繁栄を願う。国家への帰属意識が強い日本人であれば、昨今の景気低迷や産業の空洞化、少子高齢化などを憂えているに違いないし、尖閣列島の問題では中国に対し少なからず不信感を抱いたはずだ。国家よりも差しあたって企業人としての意識が強い人は、企業の生き残りを最優先で考え、海外への事業移転を厭わないであろうし、政治的な問題よりも経済的な問題を大事に考えるだろう。また、国家や企業よりももっと手前の自分と家族の生活や楽しみを最優先する人にとったら、企業や国家は自分の生活を守るために最低限の関わりを持てばいいものであって、日常的に関心を持つべきものではない。

 私もK君と同じように、民族意識を強く持った人間である。だから民族国家の存在を前提に思考するし、民族の利益を大事にする。しかし、だからといって他民族の利益を損なうことに対して無神経でいられない。今後もより注意深くあろうと思う。自らの誇りのために、他の民族との協調を欲するのである。
 容易に民族は消滅しないだろう。それは国家よりも強固である。抑圧の手段としての国家が無くなったとしても、同じ言語を話し、同じ文化を共有する集団としての民族はしばらく生き残るだろう。民族意識は抑圧のために利用もされたし、抑圧からの解放のためにも使われた。これからの民族意識は、どう働くのだろうか。いずれにしても、新たな前向きの価値観を生み出す概念であってもらいたい。

« 本物を知ること | トップページ | ロジカルシンキング »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 本物を知ること | トップページ | ロジカルシンキング »