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2010年10月20日 (水)

連続か断絶か 戦前と戦後

 政治的空白という言葉があるが、社会そのものは連続的なものであっていささかも空白はない。それは人間の生の営みは絶え間なく続いているからである。

 断絶とは、ある時期をもって社会なり組織なり文化なりが、異なる性質のものに変わってしまうことをいう。それはまた後戻りできない変化である。
 よくテーマに取り上げられるのは、戦前と戦後の連続性と断絶についてである。諸説あるわけだが、自分なりに考えてみよう。基本的に変わっていなものがあるとすれば、それは日本の国家を構成する国民であろう。正確にいえば、兵士が出国し、その一部は生き残って帰還した。国内に残った者も一部は空襲や原爆投下などで死亡した。有能な人材が失われたことは大きな損失であったが、数百万人を除く国民が戦争を生き抜き、戦後も生きたのである。また、戦前の官僚と政治家の一部は戦争のあとも職を失うことはなかった。彼らの運命は戦勝国のアメリカに握られていたが、アメリカ自身の都合で復帰することになった。以上からして人の構成からいえば、戦前とほとんど変わりがなかったと言えよう。
 体制の面ではどうか。憲法が新しくなった。これは解釈改憲が繰り返されながらも憲法自体が維持されていることは、意義深いことである。主権は国民にあると明記された。民主主義が拡張されたことは大きな変化であった。レッドパージが行われ、反動化の動きが強まったが、言いたいことが言えるようになったことは大きな前進であった。天皇は国民統合の象徴とされたが、これは全く新しい位置づけではなく、長い間象徴であり続けたのであり、戦前の一時期に限って権力を集中させたのだった。だから、戦前の天皇制はきわめて特殊な性格を持っていたのである。まとめると、戦後新しい体制が作られ、戦前と断絶した面を多数持っているが、天皇制の温存と権力の中枢に戦前の戦争遂行派が残ったことは連続性を顕著に表していると言える。
 経済の面ではどうか。戦時の統制経済と戦後の経済では大きく変わったように思えるが、実態は多くの要素が持ち越されたと言えるのではないか。戦後の復興が政府主導のものであり、戦時の計画的な組織運営が活かされたというような表現を見るにつけ、連続面を感じざるをえない。高度成長は日本の奇跡と言われるが、アメリカの支援が背後にあり、朝鮮戦争特需とベトナム戦争特需があったことを考えると、自助努力が基本にありながらも、世界経済のなかでいくつかの幸運が重なった結果だと言えなくもないのである。
 最後に文化の面ではどうか。意識や行動が急に大きく変わることはないだろう。制度は一気に変わっても、文化は急には変わらないのである。もちろんその中には優れた面はあるし、今後も維持したいが、戦争を止めることができなかったことの理由として上げられる否定的な面は今も続いているのであって、それはこれからの課題として存在し続けることになるだろう。

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