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2010年10月30日 (土)

無縁仏

  盆と正月には故郷へ帰り墓参りをするのが習いになっているが、墓参りの仕方にもその家の流儀があろう。当家では、まず家の墓に参り、続いて父親が養子に出ているのでその生家の墓を参る。そしていくつか親戚の墓、無縁仏とめぐり、最後は水子地蔵だ。この順番は何十年と変わらない。

 無縁仏とは、行き倒れた人や親類縁者のない人などを葬る墓である。孤独の死。この墓に立ち寄るようになった理由について亡くなった父は、祖母が孤独なひとであったからだという見方をしていた。祖母に確かめたわけではないので、真偽のほどは分からない。
 
 衣食足りて礼節を知るという。生活が落ち着いてこそ周りに気配りができ、大人の振る舞いができるようになるということだ。ゆとりがあればこそ施しもできるというものだが、はじめから豊かな人には貧しい人間の気持ちは分からないだろうし、孤独を味わったことのない人には孤独な人間の胸の内は分からない。祖母は、今生きていれば112歳だが、離婚し、次の夫には早く先立たれ、小学生だった息子を亡くした。そのあとに養子に入ったのが父である。祖母は貧しい人にやさしかった。街道を流れて歩く乞食にも飯を食わせていたし、説教もした。まるで自分の身内であるかのように。

 無縁仏。それはまさに、祖母自身の姿である。

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