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2010年9月17日 (金)

経済学知らずの経済論 序

 経済学をまともに学んだことがない。経済現象については新聞を毎日読んでいるし、興味も覚えるが、それを知識として得ているだけで原理的に把握しているのではない。経済学者やアナリストは原理的な理解が出来、正確ではなくともおおよその予測もできるに違いないが、人によっては正反対のことを言っていたり、予測の数値も大きくかけ離れている現実を見ると、かなりいい加減なものだなと思う。あるいは、対象自体があまりに不安定、不確実なものだから、そういう結果を招くのかもしれない。

 大学の時に、サムエルソンの経済原論を使った講義に出たが、面白くなかったので数回出席したあと放棄してしまった。その後、原論のレベルで近代経済学の分野に立ち入ったことがない。今は、書店へ行くと経済原論のテキストにサムエルソンの名はない。その代わりにマンキューとやらの本が並んでいる。一般的に言えば、いつまでも同じ学者のテキストが使われるということは学問が進歩していないと考えられるから、変わるのはよいことである。しかし逆に考えると、社会科学とは言うけれど、経済現象を科学的に捉えることは至難の業であって、その根本概念、根本原理さえ確定せず動揺しており、実際には狭い範囲で恣意的な解釈が繰り返されていることを意味しないだろうか。そうなるのは、経済現象があまりに肥大化していて、それを総体として説明できるような学者あるいは理論が出現しえないからだろう。

 さて、これから少しずつでも、経済という営みについて探究したいと思う。しかし、極力経済学のテキストには手を伸ばさず、これまでに得たいくつかの概念だけを使って自分の解釈を試みたい。非常に効率の悪い作業だが、細かい議論に入り込んでしまうと、現在の経済システムの根本問題に行きつかないからである。根本的な問題があるなら、根本的な治療が必要になるだろう。当たり前に思っていることが当たり前でないことが分かったら、その事実は伝えなければならないだろう。

 それほど大そうなことではないが、世界の成り立ちや、変化のメカニズムについては大いに知りたいと思っている。お金とはなんだろか。価値とは。交換とは。平等・公平を装っているが、実は知らないうちに富は移転していっているのではないか。労働の成果は、自分の手の届かないところに遠ざかっているのではないだろうか。などなど。

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