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2010年9月23日 (木)

差別について少々

 私は「ココログ」でブログを書いているが、そこの利用者向けサービスにココログ広場というものがある。そのなかにはさらに「つぶやき広場」というコーナーがあって、さまざまなテーマを出し合って意見を交換している。
 今日開いてみると、差別は常にあるのではないかというお題があった。いろいろ意見があり、人それぞれのとらえ方があっていいと思うが、制度としての差別と差別意識とをひとまず分けて考える方が分かりやすい。

 あまり話を広げると分かりにくいので、就職差別に絞って考えてみる。大手の企業はみな同じだろうが、新卒にしても中途採用にしても事務系・営業系は大卒が条件で、技術系では最近院卒まで求めるようになっている。私の勤める会社は小規模だが、同じような基準になっている。企業が欲しいのは、建前でなく、正味有能な人材である。仕事のできる人なら学歴に関係なく欲しい。では、なぜ学歴で線を引くのだろうか。それは学歴差別には違いない。
 できる・できないの見極めが非常に難しい。できないと思って採用したが実はできたという例はあまりないが、できると思って採ったができなかったという例は多い。採用の判断には不確実性が存在し、リスクが大きい。本来はあらゆる人に門戸を開放すべきだが、他の企業にならって安全策を選ぶことになる。試験を受けさせれば、学歴の高いものほど点数が若くなる傾向はあるだろう。入試という関所を通った人間に困難を突破する力を見るのも根拠のない話ではない。そういう要素を根拠にして、最初から障壁を設けるのである。
 とはいえ、私の勤める会社の社員が全員大卒以上だというのでもない。昔は高卒や高専卒も採用したから、そういう人がいる。また、同じ大卒でも有名大学もあればそうでない大学もある。しかし、そういうことには関係なく入ったら仕事の中身次第である。ほぼそういう基準で動いている。派閥もない。しかし、意識のなかには差別的な要素が入り込む場合があるのではないかと思う。人物本意ではなく、高卒だからどうだとか、○○大学卒だからどうだとかいう判断の仕方が混じりこむ。実際には本人の資質の問題であったり、努力の不足によるものだったりするのだが、評価する側の公平性の欠如や業務の怠慢からそんな論理が持ち込まれるわけだ。

 人間の人間に対する評価は、外的な要素で行われることが多い。内面を見るのは難しいし、人の行動を細かく見るのは管理者の役割ではあるのだが、それは意外とできないものなのだ。責任の不履行ではあるが、多くの人に共通する弱さであることも知っておく必要がある。

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