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2010年9月24日 (金)

「ザ・ロード」 コーマック・マッカーシー

 核兵器による世界全面戦争後の世界であろうか。人間が作り上げた世界は自然とともに焼け崩れ、大気には黒い埃が舞い散る。太陽の光は薄く地上に届くだけで、気温が下がり、凍えた世界になってしまった。

 そんななかを凍てつく寒さを逃れるために父と子が徒歩で南下の旅に出る。持ち物は、スーパーのショッピングカートに乗せたわずかの衣類や食糧などである。災厄に見舞われた後に生き残った人々はいたが、限られた物資をめぐって掠奪や殺戮が繰り返され数を減らしていた。また、暴徒によって奴隷化された人々もおり、身の安全を守ることは不可能な状況に追い込まれてたのだった。
 秋が深まるにつれ、寒さが二人を追いかけてくる。季節の進行は二人の足取りよりもはるかに速い。冷たい雨が降り、そして雪に変わる。変わらないのは、絶望的な状況にあっても生きることをあきらめない父子の姿である。灰に覆われ、埃の舞い散る風景が延々と描かれる。そして、そこに浮き上がる親子の会話。男の子の、人の「善」に希望を抱く素朴な心。その心を大事にしながらも、生き延びるために現実的に行動する父。そこには理想と現実の相克がある。
 この二人以外に登場する人間は少ない。人を喰う暴徒。奴隷を従えた武装集団。彼らと同じように南に移動する男女のグループ。視力を失い、衰弱しつつある老人。孤立し、父子の荷物を盗む無力な男。悪い奴らは集団化し、武装している。孤立し、武器を持たぬ者は悪人になることすらできない。悪い奴らからは逃げ延び、無力な人には同情を示しつつも分け与える余裕はなく、放置してひたすら南へ向かうのだった。
 物語のなかには、首を切り取られ内臓を抜きとられた赤ん坊が串焼きにされている場面などがあり、刺激の強い表現も見られた。この話にどこまで必要なのか。読者の興奮をあおるための仕掛けにすぎないのか。こういうものは今やあちらこちらで目にするので慣らされてしまっているが、少しこだわって考えてみるべきかもしれない。

 南部の海岸線までたどり着いてしばらくのち、父は寒さと疲労のために肺を患い体力を消耗して死んでしまう。これで少年も終わりかと思われたのだが、運よく親子のグループにめぐりあう。その後どうなるかは分からないが、小さな希望は生き延びた。絶望のまま幕を下ろすのであれば、重苦しさに耐えて読み続けたあの時間から意味が失われてしまう。

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