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2010年8月 9日 (月)

和歌山の高校野球はこれでよいのか 関係者の嘆き

 私の知人に和歌山の高校野球関係者がいる。この方から、地元の高校野球の情報をいろいろいただくなど大変お世話になっている。特に桐蔭高校と向陽高校にはつながりがあって、その立場から高校野球の在るべき姿と実態について意見を聞かせていただくことが多い。
 今年も和歌山代表は智弁学園だった。常連と言えば聞こえはよいが、見方を変えれば切符を独占していることになる。なぜこんなことになるのだろうか。他の地域にも野球部に特別注力している学校はたくさんある。特に都市部には多いのだが、複数存在しているために、例えば大阪で言えば大阪桐蔭やPLでも簡単には予選を勝ち抜けない。ところが和歌山の場合は有力な私立高校は今のところ智弁だけだ。他にもあるが、公立高校の方が頑張っている。智弁では年に10人余りの生徒を入部させるが、表向きは県内選手重視である。高校が40校しかなく、人口も百万人を割ろうかという県で、有能な選手を集められては他校の勝ち目は非常に少なくなる。また、練習施設、練習時間、指導者の面でもアドバンテージがあるのだから、これに伍して戦うのはあまりにハンデが大きい状態にある。しばらく前に報道ステーションで智弁の練習風景が紹介されていたが、打撃ケージを5つ並べての練習は壮観であり、プロのキャンプ並みだと思ってしまった。このような条件でトレーニングを積めば勝って当たり前であろう。
 公立高校の選手たちは、他の生徒と同じように授業を受け、限られた部活の時間に練習を行う。またグランドは他の運動部と共用の場合が多い。そういう条件で工夫をしてレベルを上げていっており、もちろん目指すは甲子園である。その時に越えなければならない厚い壁が智弁なのである。
 智弁は、指導者も選手たちも他とは違う恵まれた環境で練習が来ていることをどれほど有難く思っているだろうか。指導者は選手たちに何を教えているのだろうか。野球の技術だけではなく、高校生としてもっと大事なことを教えているだろうか。駅伝の強豪である西脇工業の渡辺監督がかつておっしゃっていた。「ちゃんと授業に出て、ちゃんと挨拶できるようにする。そこから指導が始まるんです。それができないと良い選手にはなれません。」真っ当な考え方であると思う。高嶋監督の60勝目が話題になっていたが、監督だけで勝てるわけではないことは自明のことであって、ファンも甲子園出場という結果の背景には何があるのか、その現実を見なければならない。

 私は甲子園が始まると今年の高校野球も終わりだなと思う。ここに至るまでの過程にこそ高校野球の本質があるのである。

 知人であるY先生の和歌山の高校野球に対する危機感を参考に書かせていただいた。

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