« 恩田陸 「ユージニア」 | トップページ | 本末転倒Ⅱ 海外短期ボランティア  »

2010年8月22日 (日)

私は「商品」か 市場経済の浸透力を恐れる

 経済学では、人間を労働力という特殊な商品を保持するものとして扱っている。労働力市場という言葉もある。そのように扱うのは、現実の市場経済における現象がそれによって上手く説明できるからであろう。そして市場の原理が生活のあらゆる場面に入り込んでくると、私自身、私の人格があたかも商品であるかのように思い込んでしまう。
 「自己啓発に努め、自分の付加価値を高めよう」とか「自分自身に投資しよう」などという文句がビジネス雑誌のあちらこちらに見られるし、会社でもそんなことを社員に向かって話していることもある。しかし、よく考えてみると間違っているのではないかという気がしてくる。自己啓発はよいことだが、そのことでひたすら自分の商品価値を高めようとしている。少しでも高く売ろうとしているわけだ。その場合、「自分」しか視野に入っていないのではなかろうか。そのことと仕事(目的や生きがい)、そのこととと会社(自分と会社との関係)、そのことと社会(自分と社会とのつながり)などが考慮されいるだろうか。
 どうやってこの厳しい時代を一人のビジネスパーソンとして生き抜くかという問題設定。それが大前研一や勝間和代を売れっ子にさせた。ビジネス雑誌がこぞって生涯賃金の企業別ランキングを特集するのもそういう競争にとらわれているからであり、逆に競争をあおり立てる効果をもたらしているとも言える。仕事が自分のためでしかないという考え方も同じ文脈で進んでいるように思われるのだが、それでは「職業倫理」なるものは成立しえないし、まともな経済ルールが通用する安定した社会は望むべくもない。行きつく先は、この間に反省が行われたばかりの市場原理主義がまかり通る弱肉強食の社会である。
 会社のためという考え方が滅私奉公的な歪みを生じるならば、社会のためという考えに軸を置けばよい。そういう考え方はどの企業にも見かけは備わっている。あとは経営者が本気でそう思っているかどうかである。本気なら経営判断に表れ、従業員にも伝わるだろう。個々人の倫理観の確立が将来の日本の社会構造にどれだけの影響を及ぼすのか予測できないが、それがいろいろな形で変化の方向性を決定づける要素にはなるであろう。もちろん、政治や経済の在り方を直接論じ政策決定することが重要だが、そのレベルになると難解な問題も含まれるから、多くの人が参加するのは難しい。しかし、何のために仕事をするのかという問題であれば意見を持つことが出来るだろう。自分本位の考え方が顕著であるなかで、それを変えるのは容易でないことも事実だが、いつまでもそういう状況では社会が実質上持たないのではないかと危惧される。

« 恩田陸 「ユージニア」 | トップページ | 本末転倒Ⅱ 海外短期ボランティア  »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 恩田陸 「ユージニア」 | トップページ | 本末転倒Ⅱ 海外短期ボランティア  »