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2010年8月15日 (日)

戦争によって失われたもの 

 歴史には、あらかじめ定まったゴールはない。もちろん、そういうものがあると信じる人は大勢いる。信仰のなかには、目的論的歴史観を含んでいる場合が多い。
 歴史は不確定なものである。完全な予測など出来はしないし、自分が思った方向に変えることも同様に困難なことである。しかし、歴史を素直に見てみれば(とはいえ、それは歴史学や哲学や社会科学の成果をもって眺めているのであるが)、大きな流れ、基本的な傾向があることが分かる。人間という動物が他の動物と違って著しいスピードで脳を発達させ、分業によって自然の大規模で高度な加工を可能にした。生産力は増大し、人口も膨張した。そのことは集団間の軋轢を生み、戦争を発生させ、また自然の破壊も進めた。自然の破壊とは、人間に不利益を生じる、修復が著しく困難な過度の加工を意味する。不利益を生じない加工は破壊とは呼ばない。
 歴史の推進力は、素朴に考えれば分かることだが、個々の人間の生きようとする意欲であり、そのことによるエネルギーの支出である。それは今後も変わらないだろう。仮に、本能的な部分も含めて生への欲求を喪失したならば、人類の未来は破滅的なものにならざるをえない。どんな形であれ生き続けることを欲し、その次には安全で楽しく暮らせる家庭を欲し、そこを起点にして意味ある社会への参加を欲する。また単に生理的物質的欲求の充足に留まらず、倫理的な欲求も欲するようになる。このことを多くの人間に保障できる構造や法制度を整えることが歴史の「進歩」なのであり、行きつくところは分からないにしてもその方向性を確認することは重要だし、異を唱える人は少ないのではないかと思う。もっとも、それだけの言葉面で合意できても、中身の解釈ではまた細かな差異が生じるのだが。

 戦争は、とりわけ全面的な戦争は先の「進歩」を押しとどめるばかりか逆行するものである。生き続けることの条件を破壊するだけではなく、「生」そのものの破壊である。この時期になると、十五年戦争においてなぜ負けたのかという議論がかまびすしいが、より大事なのはなぜ始めたのかという議論と分析である。この件についてはここでは触れない。それよりも思い起こすのは、戦争で失われた命のことである。戦死した人に対しては、あるいは「戦死」とも呼べないようなどさくさで不運にも亡くなった人も含めて残念に思う。大衆であろうが知識人であろうが特殊な才能をもった人であろうが、命の大切さには隔てはない。しかし、国家のレベルで考えるならば有能な人材の喪失は大きな痛手であることは間違いなかろう。戦後、第二の青春と称して活き活きと活動を始めた人達もいたが、生き残ったことへの悔恨からしばらく沈黙を守らざるをえなかった人達もいた。その苦悶は、証言や文学のなかに見ることができる。しかし、私にはそれを理解することができない。理解したくないのではなく、軽々に理解したと言えるような次元の問題ではないと考えるからである。
 私には戦争体験はない。私たちにできることは、死んでいった人びとの命を無駄にしないために二度と戦争を起こさないための努力を惜しまないことである。戦争の記憶を語れる人は数少なくなっている。そんななかで、毎年行われるヒロシマ、ナガサキでの式典は内外に向けて戦争の惨禍を呼び覚ますよい機会になっている。かつて、労働組合の関係で広島での原水禁大会に参加したり、原爆資料館を見てきたりしたが、そういう経験は貴重なものである。これは、とにかく見てくれば感じるものなので、難しい説教を垂れるより実に有効な手段だと思う。そんなことも通じて、多くの人を失ってしまった歴史的事実を民族の記憶として伝承して行かなければならない。

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