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2010年8月31日 (火)

日テレの24時間テレビを観て

  もともとテレビは観ない方なので、食事の時などに目に留まる範囲で、断片的に恒例の24時間テレビを観た。あれだけの長丁場になれば出演者にも増して、番組のスタッフの準備と当日の進行は大変な苦労だ。それだけにあまり否定的なことは言いたくないが、すんなり入り込めない世界がそこにある。
 民放の番組企画であることの制約があって、より劇的に伝える工夫や操作が行われる。その枠の中でも伝えたいことを真面目に考えている人がいるのだろう。しかし、われわれが生きる世の中は、淡々としていて、ある意味実に冷酷である。たまたまテレビのスイッチを入れたために見せつけられる世界はそことは随分かけ離れている。その場は感動して涙を流したとしても、スイッチを切ったらすっかり忘れて、またもとの生活に戻る。そこが福祉とは縁のない世界であれば、その後の一年間は、画面で見た人達のことを忘れて生きるのである。家族に障害者がいて、片時も目を離せない状況に置かれた人も大勢いる。施設で、過酷な労働条件で働いている人もいる。後者であれば離職もできないことはないが、前者はどこにも逃げ場はない。そういう世界とスイッチを押すだけで見える世界とが同じであるはずがないだろう。
 盲目の少女が、スケートリンクをふらつきながら滑っている姿を見て、「見世物にされている」と感じてしまう私は、あまりにもひねくれた人間なのだろうか。85km走りきった性同一性障害のタレントを見て、どこに彼女を走らせる意味があるのだろうかと考えてしまう私はあまりにも冷ややかな人間なのだろうか。なるな愛を批判しているのではない。椿姫彩菜と並んで、そのような障害を持ちながらも頑張っている彼女を応援したい。だからこそ余計にその人に走らせる企画に疑問を抱いてしまう。伴走しているスタッフは当然ながら足取りがしっかりしている。それと比べるとはるな愛の姿は無残だ。訓練の不足を露呈してる。ただそれを見せるために走っているようなものではないか。テレビのスイッチを入れた人々を番組のフィナーレで感動させるために仕組まれた、安っぽい芝居に過ぎないのではないか。

 福祉の世界を支えるのは地道に頑張っている人達である。世の中を変えるには、そこを土台にしながら、制度などを現実的に変えようとする行動が必要である。そういう動きを引き出すために24時間テレビが少しでも役立ってくれたらよいとは思うが、実のところあまり期待をしていない。スイッチを切った瞬間、それぞれがまたこれまでと同じことに同じように時間を費やすのである。

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