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2010年8月28日 (土)

女性の作家たち

  私は男性にしては女性の作家の作品を読んでいる方かもしれない。女性は男が書いた小説を普通に読んでいるが、その逆は少ない。いや、少なかったと言うべきだろう。昔に比べて女性の作家は増えているし、出版されている本の数もおびただしくある。そのほとんどすべてを女性の読者が読んでいるのではなかろう。男性でも私のように好んで読む人間がいる。
 私が読む理由は、ひとつは社会を構成するのは男性だけではないという基本的な事実に基づき、女性の見方や感じ方も知りたいということがある。ふたつ目は、それ以上に、女性だからという理由ではなく、作品そのものが面白いという理由による。三つ目は、これはややこじ付けかもしれないが、女性の表現には性描写などに行きすぎた面がなく安心して読めると無意識に思っているからだろう。

 桐野夏生、唯川恵、山田詠美、宮部みゆき、恩田陸、江國香織、よしもとばなな、角田光代、川上未映子、綿矢りさ、を読んできた。読んだと言っても、たった一冊だけの作家もいるから本の数としては全然多くはない。また、主だったところでは小池真理子、林真理子、山本文緒が読めていない。とはいえ、私は根っからの文学愛好者でもないし、ましてや研究者でもないので読まなければならない理由はどこにもない。ただ、好奇心との相談だけである。
 基本的には面白いから読むのであって、面白くもないものを我慢して読むほどそれをワークにしているのではない。しかし、後付けかもしれないが、社会で今起こっていること、進行しつつあることを知る手段になると思っている。小説に出てくる人物は、こんな人は実際にはいないだろうという人が大半であるが、強調されているにしても一定の傾向あるいは兆候を表現しているのだと思う。それが、どれほどリアルで、必然性をもっているか。そこで作家の力量が試されるのだろうが、私自身にそれを評価する力はない。もっとも、読んだからには感想なり意見なりが生れるのも事実で、それをブログに書いたりするのだが、その中身の妥当性を判断するのは私自身ではできないことなのだ。

 さて、女性の作家について書き始めたので、女性作家の特徴なりについて触れなければならない。先ほど、性描写などが緩やかだと書いたが、それはあるだろう。基本的には受け身の立場で生きてきたのだから、攻撃的な表現にはならない。逆に、受け身の立場でのリアルな表現は女性にしか書けない部分がある。また、女性の描く女性は、冷ややかな目で見ているから、ある意味あっさりしていると思う。男性の描く女性は、男というフィルターを通しているので、イメージに願望あるいは偏見が上乗せされている。それが、作品の効果を高めることに役立っている場合もあるだろうから、それを一概にマイナス材料として捉えるわけにもいかないのだが。
 一般化してよいのか迷うが、他にも人間の描き方が違うように思う。それは松本清張と宮部みゆきとを比べると感じることである。書いている時代の違いがあるので、男女の差と解するべきかはっきりしないところだが、松本清張の描く人間は、地位や金や性に対する欲望が著しく大きい。よくここまで人間を悪くすることができるなと感心する。男の作家のなかでもそれは目立つ。こういう描き方が女性には出来ないだろう。宮部みゆきも清張と比べるとあっさりしている。しかし、最初にも触れたようにそのあっさり感が安心して読める要素でもあり、そこに女性作家の特長を認めるべきだろう。

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