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2010年8月21日 (土)

恩田陸 「ユージニア」

 恩田陸さんは1964年生まれ。宮部みゆきより4歳年下であり、角田光代より3歳年上である。(ちなみに、江國香織、よしもとばななと同年生まれ。)作品のジャンルは幅広いが、受賞歴を見ると宮部みゆきと重なり合う部分が多い。吉川英治文学新人賞、山本周五郎賞を受賞し、直木賞候補に名を連ねる。違うのは恩田陸がまだ直木賞を受賞していないことだ。宮部は最初に候補に挙がってから5年かかっているが、恩田も5年だからそろそろ来てもよいころだと思う。

 宮部みゆきの「理由」を読破した後、続いて恩田陸の「ユージニア」を読む。日本推理作家協会賞受賞作であり、彼女の代表作の一つに数えられる作品だ。感想を言えば、読んでいて「理由」よりもずっと面白かった。こういうものは好き嫌いの問題であろうから作品の優劣という次元とは一緒にできないが、読書の目的から言えば面白い方が良い。
 これは北陸のK市で起こった、医師家族とその縁者および近隣の人々17名が毒殺されるという事件を描いた作品である。当主の還暦祝いと母親の米寿の祝いが重なった祝宴があり、当主の知人を送り主とする酒とジュースが届けられる。出席していた人びとはそれを何ら不審を抱くことなく飲んでしまい、大惨事となる。犯人は毒入りの酒とジュースを配達した黒い野球帽と黄色い雨合羽の青年と見られ、捜査が続けられたが大きな進展はなかった。ところが発生から二カ月を経過したある日、近くのアパートで首つり自殺が発生した。そして死亡した青年の部屋から、犯行に使われたものと同じ農薬と黒い野球帽およびオートバイのキーが発見された。さらには、彼の指紋が犯行現場に残された手紙とコップにあった指紋と一致したことが判明し、彼の犯行への関わりが決定的となった。警察でも周囲の人々の間でも、共犯者がいるのではないかという説が流れたが、けっきょく警察は単独犯で事件を片付けてしまったのである。
 事件の内容とその背景についての空白を関係者の証言が次第に埋めていく。その過程で医師一家でただ一人生き残った緋紗子という少女が主犯ではないかという強い疑いが読者に伝えられる。緋紗子は古い年代の男性が描くであろう典型的な美少女であるが、小学校に上がる前に起こった事故がもとで視力を失う。理由は最期まで明らかにしないが、この少女と先に自殺した青年と申し合わせて犯行を計画したのであろうと強く思わせる筋書きになっている。
 K市の湿って暑い夏の気候、旧家の人間関係、精神の病み、目の見えない者が持つ世界のイメージなどが重なり合っておどろおどろしい世界を構成していく。関係者が創ったそれぞれの事件像を足していっても正確な事件の姿は見えてこない。物理的に誰がどう動いたということは客観的事実として確定できたとしても、人間関係や個々人の思惑や動機はなかなか客観的には捉えられないものであるという考えが作者にあるように思う。とはいえ、この小説のなかにも刑事が登場しているが、捜査においては小さな事実を積み上げてより正確な事件像に迫る努力が必要であることも重要である。
 
 この小説には、事件現場に居合わせ、後年事件の真相を探るべくK市で調査活動を行う雑賀満喜子をはじめ、著しく神経質で大衆的感覚からは距離のある人物が多く登場する。満喜子の次兄の順二もそうだった。最後からひとつ前の章で明らかにされるが、彼はジュースに毒が入っていることを皆が飲む前に知ったのである。しかし知らせなかった。このくだりが、この小説でどんな意味を持つのか測りかねる。事件を引きずって生きなければならなかった人物を登場させることで、この事件の奇怪さをより際立たせる効果があるのかもしれない。

 さて話は前後するが、緋紗子はなぜあのような犯行を企てたのか。そこは読者の想像に委ねられている。ただし、最後に暗示されているように母親との関係がキーになるのではないか。あるいはまた、失明の原因になった事故に秘密が隠されているのかもしれない。視力を失うことで外界に対する感覚が著しく肥大化し、自分以外のものは自分を否定する塊として迫り、それを振り払うために目の見えないことも利用して女王化していったのではないか。そして最後には、煩わしきものの抹殺を企てたのである。
 
 繰り返しになるが、大変面白い小説だった。事件を調査し書籍として内容を公表した雑賀満喜子があえて書かなかった中身が古本屋に関することであり、それが緋紗子へのメッセージであり、そのことがM書店の焼失につながる(という疑いが示される)のであるが、このアイデアなどは素晴らしい。ただ、細かいところでは疑問を持った部分もある。例えば、角川文庫の32ページにある、「けれど、押入れの中から、混入されたのと同じ農薬の残りと、黒い野球帽、オートバイの鍵が出てきたことで様相は一変した。」という記述だが、この時点では犯人と断定されていないのだから、混入されたのと同じ種類の農薬が出てきたとは書けても、「残り」という表現は書き過ぎではないか。「残りと思われるもの」程度でよかったのではないか。私の屁理屈かもしれないが、そう感じた。

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