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2010年7月28日 (水)

才能は授かりものという思想

 優れた才能をもって生れる人がいる。才能の種類には様々あるが、それを持っていることを生きる上においてどう解釈するのかという問題である。
 才能を伸ばすには本人の努力が必要で、それは正当に評価すべきである。しかし、才能のあるなしは自分の成果ではない。科学的に見れば、遺伝子の働きと言えるのかもしれないが、父と母の出会いにしても偶然が左右している。すなわち、才能豊かに生れたことは偶然だと言いたいのである。その偶然を、活かすも殺すも本人次第ではあるが、それを授かったものと解釈し、他人よりも多めに頂いた分は自分の生活や地位や名声のために使うのではなく、社会ために使うという思想がもっとあってもいいのではないかと思うのである。
 しかし、このような発想は今の社会には人生観としてほとんど見られないのではないだろうか。何かを成し遂げた時に周囲の人に感謝する姿勢は、スポーツ選手のコメントなどで学ぶことがあるが、そもそも努力するのは人のため社会のためとは考えない。それどころか自分のために頑張りなさいと言うのが昨今の風潮である。凡人はそれでよかろう。しかし、いくらかでも人並み外れて才能を持っていると認識したならば、それを自分以外のために役立ててほしい。自分の要求を満たすためにはさほど大きな才能を必要としない。愚直に頑張ればできる。人の分まで頑張るには才能が必要だ。才能は、大きな目的に向かうべきである。そのことを教え、支える社会にしようじゃないか。

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