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2010年7月27日 (火)

埋め合わせる人生

 人生は全くのゼロベースでスタートするのであろうか。ある者は恵まれた家庭に生まれ、不自由なく生きる。別のある者は平穏に生きるにいくつかの条件を欠いて生れる。身体的な重荷を抱えて生れる者もいれば、精神的なハンデを負っている者もいる。人間様々、人生いろいろである。
 初めからマイナスから出発するのは辛い。まずはひたすらマイナスを埋め合わせるためにエネルギーを消費しなければならない。これは他責によるものに限らず、自責による場合もある。若い時になんらかの罪を負ってしまった場合に、法律上は償いを終えたとしても道義的な負債は解消せず死ぬまで抱え込まざるをえないことがある。もちろん、これは人によるだろうが。
 日本人にははっきりと形にできる信仰心はなく、「原罪」なる意識は希薄だと思うのだが、そういう信仰とは別に過去の罪や失敗を忘れることができず、それを埋め合わせるために生きている人も少なからずいるのではなかろうか。前向きの人生とは言い難いが、それもまた一つの精神の在り様である。個人的な記憶に留まらず、民族的な記憶として忘れ難く背負っていく場合もあるし、それが広範囲に存在するものであれば民族の精神と言ってよいものだろう。戦争のことを言いたいのだが、もはやそんなものはどこにもありはしないのかもしれない。人間嫌なことは忘れたい。とはいえ、忘れられないこともある。どういう精神のメカニズムか分からないが、あるのは事実だ。それを消滅させず、何らかの思想の形まで昇華できれば素晴らしいが、実際には難しく、個人的な教訓の範囲を出ないのであろう。

 ネガティブかもしれないが、私の場合も、生きながら成果を積み上げていると言うよりは、穴を埋めているイメージが強いのである。

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