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2010年6月 1日 (火)

個人差・個体差と民主主義

 次第に汗ばむ陽気になってきた。そろそろ事務所でもエアコンを入れる季節だ。そこで毎年考えさせられるのが、暑さ寒さに対する感覚の違いである。
 朝、誰かが窓を一斉に開け始める。「開けます。」とか「開けていいですか。」とか声をかけてもよさそうだが、それはしない。自分が暑いと感じているならば、他の人も暑いのだと決め込んでいるのである。窓開けにはルールがないが、その場合は気配りで穴を埋めるべきである。これに対し、空調の運用についてはルールが設けられている。人に依って、仕事の能率を著しく落とさない室温の範囲に差がある。すべての人の感覚に合わせようと思えば、一人ひとりに個室を用意しなければならないが、それは不可能だ。意見は聞きつつも、どこかに線を引かなければならない。その線を引くまでのプロセスが民主主義の基本である。もちろん、基準が現実に合わなければ見直しも必要である。温度が一定であっても湿度によって快適さに違いが出ることは経験的に知っている。見直しのプロセスも民主主義である。
 一つの例として示しているが、これが利害の関わる問題であれば、なおのこと複雑で時間のかかる民主主義のプロセスが必要になるだろう。その手続きが上手く進まないと、暑い寒いの大合唱が始まるのである。
 

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