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2010年6月11日 (金)

ルイ・アルチュセールのこと

 ルイ・アルチュセールと言っても、その名を知る日本人はどれほどいるだろうか。およそ哲学者というものは、大衆の関心を惹かぬものである。ソクラテスやプラトンの名前は知っている。政治的行動で歴史に名を残したマルクスやレーニンなら知っている。近代の哲学者で例外的によく知られているのはニーチェだろう。それにしても名前だけだろうが。
 私も多くは知らない。アルチュセールにしても、彼の著作は60年代後半から紹介され始めたが、名前だけは学生時代に耳にしていたものの内容に触れたのは90年代に入ってからであった。初心者が原典に手を伸ばすのは無理があるので当然解説書から入り、主に今村仁司さんの著書から学んだ。アルチュセールはフランスの哲学者で、1918年に誕生し1990年に没している。一般的に構造主義的マルクス主義哲学者と言われている。
 アルチュセールの書いた本は難解だと言われる。今村さんの解説書は分かりやすく書かれているが、それでも元が分かりにくければ理解は難しい。読んでいると分かった様な気分になることはあっても、説明しろと言われたらお手上げだ。もっとも、凡人にたちまち理解されるような説は俗的な世界観の域を出ないものであろう。

 さて、覚書程度に、最近読んだ「不確定な唯物論のために」という本の要点を記しておこう。買ったのは2年も前のことで、その時にも目を通してはいたが、中身がなかなか難解であって簡単には理解することができない。それでも、この本はインタビュー形式なので、まだ分かりやすい内容になっていると思う。

 1 マルクス主義の根底にある哲学は不確定な唯物論である。マルクス自身は資本論などの著作がどういう哲学に基づいているか自ら語ってはいない。ソ連科学アカデミーなどではマルクス主義が定式化され、それは自明のものとして取り扱われているが、それはヘーゲルの絶対精神の位置に物質を置いただけの形而上学的な考えである。マルクスの唯物論は、いっさいの目的論を否定している。言い換えると、主体(神ないしプロレタリアート)の唯物論ではなく、過程の唯物論―主体なき唯物論―であって、それは指定可能な目的を持たずに、みずからの展開の秩序を支配している。

 2 唯物論的な哲学は理論に対する実践の優位を主張する。実践とは固有の実在条件の領域内部における結果もしくは認識の「諸真理」である。そして、実践は担い手を持ってはいるが、その目標ないし意図の超越的かつ存在論的な起源である主体は持っていない、みずからの過程の真理としての目的性も備えていない。つまり、それは主体なき過程である。

 3 歴史的唯物論を支えている理論的反人間主義は、マルクス主義理論にとっては、中心概念としての「人間」概念の消去を意味しているのだということを明示する必要がある。それは、人間という概念によって社会編成やその歴史を説明することを拒否しているのである。

 他にも大事な論点、例えばイデオロギーについて語っているくだりがあるが、書くと長くなるので省略した。今村仁司さんがその著書で、マルクス解釈を三つの類型にまとめている(経済中心史観、実践的主体論、構造論・関係論)が、アルチュセールは構造論に分類される。この分類は確かに分かりやすいが、異論も多くあるに違いない。そもそも前の二つを乗り越えたものとして第三の類型を設定する構成になっているので、今村さんは基本的に構造論を支持しているのである。

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