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2010年6月23日 (水)

歩く

 人にとって最も基本的な動作である。移動するためには歩かなければならない。対照的に、「走る」ことは必ずしも必須の動作ではない。日々の生活を振り返ってみると、青信号が点滅し始めた時に小走りするぐらいで、走ることは滅多にない。これが子どもであれば、体育の授業やクラブ活動で走る機会はたくさんある。これは制度としてあるのだから、やらないわけにはいかない。大人でも健康のためにジョギングする人もいるが、これは自分の意思でやっているのだから必須の行為ではない。「走る」ことを強制されるとすれば、狂った犬が襲ってきたときに逃げるだとか、ひったくりの犯人を追いかけるとかいう極めて非日常的なできごとに限られる。とはいえ、日頃走り慣れない者には無理な行動だ。足がもつれて転倒する姿が目に浮かぶ。
 100kmウォークというイベントがある。一昼夜かけて踏破するのだが、参加した知り合いに聞くと相当厳しいらしい。集団で励まし合いながら歩かないとリタイアすることになる。また、年中行事として長距離歩行が行われる高校もあると聞く。恩田陸さんの「真夜中のピクニック」という小説は、その行事の過程で進行する。歩くこともこれだけの距離になると非日常的な行為となり、思いもよらぬ経験をすることになるのである。
 走ることはできなくとも、歩ければ生活はできる。歩くことができなくなると辛い。腰痛で数日それに近い経験をしたが、脳梗塞などで足が動かなくなったらどうなるだろうか。リハビリを続けて辛うじて杖を頼りに歩ければよいが、車椅子が必要になれば介護者が欲しい。その時に連れ合いが元気でいるとも限らない。こういうことは若いうちには考えなかったことである。
 歩くということは当たり前の動作だと思ってきたが、50を過ぎるとそうでもない現実が迫ってくるのである。やはり健康は大事だ。一日でも長く、普通に歩けるように、無精をせず、歩けるところは歩いて足を老化させないようにしよう。

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